試練の国際貿易 脱炭素、供給網構築の要点に

石川 城太
ファカルティフェロー

1990年代以降、情報通信技術の飛躍的な発達やコスト低下により先進国の高度な技術と途上国の安価な労働力を結びつけることが可能となり、グローバル・バリュー・チェーン(GVC)が展開されてきた。

GVCには原材料調達・生産・輸送・消費など多くの段階が含まれ、これらの活動が国境を越えて行われる。GVCは、国際分業をより進展させることで世界経済の統合を深化させ、経済成長を促してきた。しかし現在、グローバル経済は様々な問題に直面し、GVCにも逆風が吹いている。

地球温暖化は喫緊の対応が必要とされる問題の一つだ。GVC構築の際には何より経済効率性が優先されてきたが、今や温暖化ガスの排出とその責任に関心が向けられるようになっている。本稿では、温暖化ガスの排出責任を巡る議論をGVCとの関連で整理する。

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排出責任としては国レベルと企業レベルの議論がある。国レベルでは、97年の国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP3)で採択され2005年に発効した京都議定書で、初めて排出削減目標が設定された。

議定書は、温暖化を引き起こしてきたのは先進国であり、まずは先進国が率先して対策をとるべきだとの考えに基づく。そのため排出削減義務は先進国および市場経済移行国のみに限定された。だがそれらの国での排出削減措置が排出規制のない途上国での排出量を増やしてしまう「炭素リーケージ」が問題となった。

15年のCOP21で採択され16年に発効したパリ協定では、途上国を含むすべての国が排出削減にコミット(関与)した点で前進した。しかし各国がバラバラに目標値・目標達成時期・目標達成手段を設定し、国際的な調整がほとんどなされていない。この点は京都議定書からの後退といえる。

国レベルの排出責任に関して特に懸念されるのは、排出削減目標が「生産者責任」に基づく点だ。生産物が輸出されても、生産時に排出される温暖化ガスはすべて生産国の排出量としてカウントされる。生産者責任の下では国内の脱炭素のために、生産プラントを意図的に海外に移転することや海外の企業に生産委託するということが生じうる。

また脱炭素政策の差異により生じうるゆがみ、あるいは効率性のみを追求し脱炭素を鑑みないGVCの活動を「国境炭素調整措置(CBAM)」で是正すべきだという考え方も出てきた。例えば欧州連合(EU)は26年から、対象製品が輸入される場合、その生産に伴う温暖化ガス排出量相当の課徴金負担を求める。今後各国が勝手にCBAMを導入すれば、経済摩擦や混乱が生じかねない。CBAMは偽装された保護主義の可能性も否定できず、世界貿易機関(WTO)のルールとの整合性も問われる。

一方、生産での排出をすべて消費国の排出量とカウントする「消費者責任」という考え方もある。だが生産国が排出削減の誘因を失いかねないし、輸入国にとって海外生産での排出を制限することは難しい。最近、生産者責任と消費者責任の短所を踏まえ、ハイブリッドの「共有責任」(大まかに言えば、生産者責任と消費者責任の加重平均)という概念も提唱されている。

筆者は一橋大の成海濤氏らと、二酸化炭素(CO2)のトップ5排出国(中国・米国・インド・ロシア・日本)を対象に、共有責任に基づくCO2排出量を計算した。共有責任に基づいても中印の排出量は急増している(図参照)。またその研究では、生産者責任に基づくと中印ロの責任が過大となる一方、米日の責任が過小となることが示唆されている。つまり中印ロ以外から中印ロへ、米日から米日以外への炭素リーケージが、国際貿易を通じて生じていると考えられる。

共有責任に基づくCO2排出量の変化

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次に企業レベルの議論に目を向けてみる。持続可能な経済社会の実現に向け、脱炭素経営を目指す企業が増えている。特にGVCを展開するグローバル企業を中心に、脱炭素に対応した経営戦略の開示や脱炭素に向けた目標設定が相次ぐ。

こうした企業は資源の適切な利用、エネルギー効率の向上、温暖化ガス排出の削減などに自ら取り組むとともに、サプライヤーの脱炭素にも目配りしている。日立製作所は供給網全体でCO2の排出量を30年度までに50%削減(10年度比)、50年度までにカーボンニュートラル(CO2排出実質ゼロ)を目標とする。米アップルはGVCに対し30年までに脱炭素を達成することを要請している。

GVC上の活動に伴う温暖化ガス排出量の算定は、国際会計基準の策定を担うIFRS財団の下部組織である国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)が定めた3つの基準からなる。すなわち、自らによる直接排出(スコープ1)、他社から供給された電気や熱・蒸気の使用に伴う間接排出(スコープ2)、事業者の活動に関連する他社の排出(スコープ3)だ。

スコープ3には製品の使用や廃棄からの排出も含まれる。23年9月にアップルは製造や輸送、そしてユーザーの使用を含むライフサイクル全体で温暖化ガス排出量を実質ゼロにしたアップルウオッチを発表した。だがスコープ3の開示については、すべての取引先から排出に関わる情報を適切に集める必要があるため、企業によっては対応が困難なケースが考えられる。

また取引先にスコープ3排出量を含む温暖化ガス排出量の情報開示を求め、それを基に取引先を選定する企業も出てきた。これはGVCの再編にもつながりうる。さらにスコープ3の排出量を算出できても、それが大きいと脱炭素のための企業負担が重くなる。日立製作所は19年度に供給網全体で温暖化ガスをCO2換算で1億1千万トン排出したが、そのうちスコープ3の排出が96%を占める(21年9月14日付日経新聞)。

情報開示が進められる背景には、「ESG(環境・社会・企業統治)投資」への関心の高まりがある。企業の気候変動リスクを把握したい投資家にとって、温暖化ガスがGVCのどこでどれくらい排出されているかという情報は重要だ。

東京証券取引所は22年4月以降、プライム市場上場企業に、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)に基づく情報開示を義務付けている。また企業側も、パリ協定が求める水準と整合的な温暖化ガスの削減目標である「SBT」に取り組んだり、事業運営を100%再エネで賄うことを目指す国際的なイニシアチブである「RE100」に参加したりするなど、投資家のみならず顧客、サプライヤー、社員などに対し、持続可能な企業とアピールする努力を始めている。

すべての企業が脱炭素に積極的とはいえないが、企業の方が製品などのライフサイクル全体で温暖化ガスの排出削減を目指す包括的な視点を有している。ただ企業の場合、排出削減の主誘因はあくまでもビジネス機会の確保・拡大だ。政府は他国と協調しながら企業の排出削減を促すような環境を整えることが重要だ。

2023年12月21日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2024年1月9日掲載

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