環太平洋の主導権争い、波乱も 米中分断の行方

石川 城太
ファカルティフェロー

トランプ米政権下での米中通商摩擦は米中デカップリング(分断)をもたらしているが、バイデン新政権下ではどうなるだろうか。

バイデン氏は米通商代表部(USTR)代表に中国通の実務家キャサリン・タイ氏の起用を発表したが、議会では対中強硬姿勢が超党派で強まっており、対中強硬路線が大きく変わることはないだろう。バイデン氏の通商政策に関する具体的言及は少ないうえ、上院の議席も確定していないので、実際の政策を予測するのは容易でない。ただ労働者と環境の保護に力を入れるのは明確だ。本稿では、今後の米中通商関係と日本の立ち位置に関してポイントとなる点を整理したい。

◆◆◆

第1に世界貿易機関(WTO)の問題だ。8月末に辞任したアゼベド前事務局長の後任が決まっていない。ナイジェリアのヌゴジ・オコンジョイウェアラ氏が加盟国の過半数の支持を得たが、トランプ政権は反対の意向を示し、後任選びは暗礁に乗り上げている。

それ以上に厄介なのは、米国がWTOの紛争処理で裁判官の役割を果たす上級委員会委員の欠員補充を阻止し、紛争処理機能がまひしていることだ。米国は、WTO上級委員会の判断がWTOの権限を逸脱して米国をはじめ加盟国の権利を侵害していると主張する。

中国は多額の産業補助金を出しているうえ、WTOの補助金通報ルールを順守していない。日米欧3極は、産業補助金の規制強化や途上国の特別待遇の見直しなど、WTOの抜本的改革を進めて中国を封じ込めようという思惑を共有しているが、議論は進んでいない。バイデン氏は同盟国と連携して中国に対抗すると述べており、それを実現するための一つの方策としてWTOを活用することが考えられる。WTOの立て直しに向けた新政権の積極的対応を期待したいところだ。

第2に関税問題だ。トランプ政権は中国の知的財産権侵害や技術移転強要などに対し、通商法301条に基づき2018年7月に中国からの340億ドルの輸入に25%の追加関税を課し、中国も報復関税で応じた。これを契機に、米中が互いに4回ずつ追加関税を発動しあう関税戦争となった。

20年2月発効の米中経済・貿易協定(第1弾合意)では、中国が米国から今後2年間で2千億ドル以上輸入を増やすことで合意し、状況がやや緩和された。だが基準となる17年の中国の対米輸入額が約1549億ドルであることを考えると無謀な数字だし、目標達成は困難な状況だ(表参照)。

表:中国の輸入額

合意違反を協議で解決できなければ、米国は対抗措置をとるとしている。だがバイデン氏は懲罰的な貿易手法はとらないと述べており、そこまで踏み込まないだろう。では、トランプ政権が中国に発動した追加関税を撤廃するだろうか。米中関税戦争で不利益を被る米国の産業や消費者を考慮して一部撤廃や引き下げは考えられるが、知的財産権侵害や技術移転強要などの問題に中国が十分な対応を示さない限り、追加関税を撤廃することはないと思われる。また香港やウイグルの人権問題も踏まえて関税を維持するかもしれない。

なおWTO紛争処理小委員会(パネル)は20年9月、米国の中国製品に対する追加関税の一部がWTO協定違反と判断した。米国は上級委員会に上訴できるが、前述の通り上級委員会は機能不全となっている。日本やその他の国に対する鉄鋼とアルミニウムの追加関税についても、民主党の支持基盤が労働組合でバイデン氏が労働者保護を重視していることを考えると、早期の撤廃は望めなさそうだ。

ただ鉄鋼やアルミ産業は温暖化ガスの大量排出を伴うため、現状の保護政策を続けるとは限らない。当面の間は同盟国の関税適用除外品目の拡大といった措置で対応するのではないか。

◆◆◆

第3に中国・華為技術(ファーウェイ)などに対する制裁の問題だ。米商務省は重要な情報が中国に流出するリスクがあるという安全保障上の理由から、米政府機関のファーウェイなどからの製品調達を禁止し、さらには米国技術を用いた製品のファーウェイ向け輸出を禁止した。

背後には「中国製造2025」など中国の産業支援もあり、中国のハイテク分野での急速なキャッチアップが米国のトップの座を脅かしている状況がある。制裁を正当化する法律は超党派の賛成で成立しているので、バイデン氏が制裁を緩和する可能性は低い。中国は戦略物資やハイテク技術の輸出管理を強化する輸出管理法を12月1日に施行しており、これを対抗手段として用いる可能性が高い。

制裁合戦は、日本企業を含むグローバルサプライチェーン(供給網)に深刻な影響を与える。米国企業のみならず、日本を含む第三国企業もファーウェイなどへの半導体や半導体製造装置などの供給をストップせざるを得ない状況だ。中国が輸出管理法に基づき作成する禁輸企業リストは恣意的に運用されかねない。中国の部品や原料を加工して米国に輸出する第三国企業も含まれる可能性がある。

第4に環太平洋経済連携協定(TPP)の問題だ。トランプ大統領は就任直後にTPPから離脱し、貿易交渉は2国間交渉を基本とした。その後、TPPは米国を除く11カ国の貿易協定(TPP11)として発効した。米国がTPPに復帰する可能性はあるだろうか。

バイデン氏は、TPPの再交渉の余地を大統領選の序盤で認めたが、現在では米国の競争力を立て直すまでは、新たな貿易協定の交渉はしないとの立場だ。仮に再交渉が開始されても、バイデン氏が労働者と環境に配慮した協定とすることを主張すれば、交渉が進展しない可能性がある。

米国のTPP離脱前は環太平洋地域の主導権を、米国はTPPを通じて、中国は東アジア地域包括的経済連携(RCEP)を通じて握ろうという構図だった。だがその構図はトランプ大統領の出現により崩れた。インドがRCEP交渉から離脱したこともあり、中国は環太平洋地域での主導権を発揮すべくRCEPの合意を急いだといわれる。

さらに中国はTPP参加への関心を示して、米国に揺さぶりをかけている。TPP協定の要求水準はRCEPと比べてかなり高く、中国がすぐに参加表明することはないだろう。だがもし米国の復帰前に中国が参加表明するようなことになれば、米国は環太平洋地域での2つのメガ自由貿易協定(FTA)から排除されかねず、日本政府も難しい対応を迫られるだろう。

日本は米中のデカップリングの狭間で、どちらにも肩入れできない状況に立たされている。新政権になっても米国の対中強硬路線は変わらないが、デカップリングを明らかに助長するような動きはしないだろう。ただ内向きになって、米国製品を優遇する「バイ・アメリカン」といった政策を強く推し進める可能性がある。米国の政策が内向きになると、その隙を狙って中国は経済圏の拡大を目指すだろう。いずれにせよ日本政府には、米中の政策に是々非々の対応を求めたい。

2020年12月18日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2021年1月15日掲載

この著者の記事