日米貿易交渉 どうみるか デジタル協定、他交渉を先導

石川 城太
ファカルティフェロー

安倍晋三首相とトランプ米大統領は9月25日、日米貿易協定および日米デジタル貿易協定に関する最終合意内容を確認する日米共同声明に署名した。2018年9月26日の首脳会談で、日米物品貿易協定(TAG)の締結に向けた交渉開始で合意してからわずか1年というスピード合意だ。その後、10月7日に両政府の代表者が正式に署名した。

米国側では大統領貿易促進権限(TPA)法の特例措置などにより議会の承認なしで協定が発効する。日本側では臨時国会での承認が必要となるが、20年1月にも発効する見通しだ。本稿では2つの協定のポイントを整理し、今後の見通しや含意について述べたい。

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最初に物品貿易の協定である日米貿易協定からみてみよう。米国はトランプ大統領就任後すぐに環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱したが、今回の合意内容はTPPでの合意内容(15年)がベースになっているとの指摘もある。

両者の合意内容を比較してみる。農林水産物については、1年前の共同声明では日本の農林水産物の市場開放が過去の日本の経済連携協定(EPA)の水準を上回らないことが明記されていた。米国内にはTPP合意と同等以上の市場開放を求める強硬な意見もあったが、牛肉・豚肉・小麦・大麦・ホエー(乳清)・チーズ・ワインなどはTPPとほぼ同内容での合意となった。コメについては、TPPで合意された無関税輸入枠の導入は見送られた。

またTPPで関税削減・撤廃した木材・水産品すべてが除外されている。日本から米国への牛肉輸出は、実質的に枠拡大となった。一方、日本からの輸出関心品目(しょうゆ・長芋・柿・メロン・切り花・盆栽など42品目)は関税撤廃もしくは削減で合意した。

工業品では、工作機械・先端技術品目など199品目で米国の関税の撤廃もしくは削減で合意した。だが米国向け輸出額で1位(約4兆5千億円でシェア29%)と2位(約9300億円で6%)の自動車と自動車部品の関税撤廃については継続協議となった。TPPでは、乗用車の関税(2.5%)は25年かけてゼロ、トラックの関税(25%)は30年目に撤廃し、8割以上の自動車部品の関税は即時撤廃となっていた。自動車部品に関しては大幅な後退と言わざるを得ない。

日本政府は、米通商拡大法232条に基づく米国による自動車への25%の追加関税や自動車の対米輸出の数量規制を課さない旨を閣僚間で確認したと述べている。そもそも同法に基づく追加関税や数量規制導入は強引だし、世界貿易機関(WTO)違反の疑いもある。

今回の協定が発効すると両国は4カ月以内に新たな貿易交渉の対象範囲を決める。今後の米中貿易摩擦や米国と欧州連合(EU)の貿易交渉の展開により、交渉の開始時期やスピードが大きく左右されるだろう。

日本からの輸出については、自動車部品および乗用車とトラックの関税撤廃が重要な交渉事項となる。ただ20年の大統領選挙が終わるまで、トランプ大統領が同分野での合意を戦略的に引き延ばす可能性も否定できない。1年前の共同声明には自動車の市場アクセスに関して米自動車産業の生産と雇用を増やすことが明記されており、関税撤廃先送りに加えてさらなる要求をしてくるかもしれない。

農産品については再協議の規定があるため、今回対象とならなかった品目も対象範囲となり得る。今回の協定では関税割り当てがなかった日本側の有税工業品も対象になるだろう。

米通商代表部(USTR)は18年12月、日本との通商交渉に向けて22項目の交渉目的を発表した。TPPの21交渉分野のほとんどをカバーしており、サービス分野の自由化や通貨安誘導を封じる為替条項を要求してくる可能性もある。

日本は米通商拡大法232条に基づく鉄鋼とアルミ製品への追加関税の撤廃を強く主張すべきだ。USMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)交渉ではカナダとメキシコがそれらの関税撤廃を米国に認めさせた。

また日米貿易協定により牛肉のセーフガード(緊急輸入制限)の発動基準に米国からの輸入を合算することになり、日本がTPP11の締約国に配慮を求める必要が生じた点にも注意する必要がある。

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次にデジタル貿易協定をみてみよう。デジタル化されたデータやプロダクトの越境移動が大量に生じている。最近ではデータ解析技術の進展、人工知能(AI)やロボットの開発などにより、データ蓄積を巡る国際競争、生産プロセスのデジタル化、生産・開発拠点のより一層のグローバル化が進みつつある。こうしたデジタル貿易のルール構築の重要性が高まっている。

米国はルール構築で主導権を握るべく、積極的にデジタル貿易に関する条項を自由貿易協定(FTA)に取り込もうとしている。今回の日米デジタル貿易協定もその一環だ(表参照)。

表:日米デジタル貿易協定の概要

安倍首相は19年1月のダボス会議で「data free flow with trust」(信頼性のある自由なデータ流通)を提唱した。日本政府は、自由なデータ流通については越境データ取引の自由化とデータのローカライゼーション(現地化)の制限、信頼性についてはソフトウエアの設計図にあたる「ソースコード」などの開示要求禁止と暗号の開示禁止が重要な規定だと述べている。

TPPでも電子商取引の章があり同様の規定が定められていたが、日米デジタル貿易協定の方がより自由なデータの越境流通を後押しする規定となっている。

物品貿易の方が注目されがちだが、日本企業の約4割が国外にデータ提供している(総務省「情報通信白書」)。また05年から10年間に越境データ通信は45倍になり、今後も加速度的に増えるとの報告もある。将来、物品貿易協定よりもデジタル貿易協定の方がはるかに重要となるだろう。

従って今回の日米間のデジタル貿易協定は今後のグローバリゼーションの展開にとって重要な鍵となり得る。また今後FTAやWTOの交渉でデジタル貿易のルール構築が非常に重要な案件となろう。発効済みの日欧EPAでも、データの自由な流通に関する規定を協定に含めるかどうかについて、発効から3年以内に再評価するとされている。

デジタル貿易のルール構築では、国や地域により考え方に相当違いがある。米国はGAFAなどの巨大プラットフォーマーを抱えることもあり、デジタル貿易の自由化に積極的だ。中国は、国が中心となりデータを収集・管理し、デジタル経済で競争力の源泉となるデータを囲い込もうとしている。欧州はプライバシーや個人情報に対する関心が高く、特に個人データの保護を重視している。

国や地域によりルールがバラバラになると、かえってデジタル貿易を阻害しかねない。日本政府はデジタル貿易についてどんなルールを構築していくかを消費者と生産者の便益のバランスをとりながら慎重かつ戦略的に考える必要がある。

2019年10月25日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2019年11月18日掲載

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