債務の罠、長期停滞招く恐れ コロナ危機と財政膨張

細野 薫
ファカルティフェロー

新型コロナウイルスの感染拡大が収まらないなか、景気落ち込みに伴う税収減少、失業・休業に対する給付金の増加、企業金融への支援措置拡大、旅行・観光・飲食の消費喚起策などで財政赤字が増大している。

内閣府は7月末時点で、国と地方を合わせた基礎的財政収支の国内総生産(GDP)比率が、2019年度のマイナス2.6%から20年度には同12.8%と大幅に悪化するとの予想を公表している。その後、経済対策のための追加支出19兆円超を含む第3次補正予算案が決定され、赤字幅はさらに膨らむと見込まれる。

政府債務も増えている。社会保障基金を含む一般政府の負債のGDP比は、20年3月末の2.4倍から9月末の2.6倍に拡大した。財政赤字は景気落ち込みを防ぐとの評価がある一方、政府債務の持続可能性を懸念する声もある。ただ10年物国債利回りはおおむねゼロ%で安定的に推移している。直接的には日銀の金融緩和、とりわけ16年9月以降の長短金利操作によるものだが、日本経済が抱える問題点を明らかにし、望ましい政策対応を考えるためには、こうした低金利政策の背景を探る必要がある。

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図は非金融法人企業、家計および一般政府の純負債(負債と金融資産の差額)のGDP比について、1997年末から20年9月末までの推移を示したものだ。一般政府が0.3倍から1.3倍に増える一方、家計のマイナス幅(=純資産)が1.6倍から2.9倍に増えている。企業は金融資産、負債(株式等含む)をともに増やした結果、純負債はおおむね安定している。

図:部門別純負債(GDP比)
(注)純負債=負債-金融資産、負債には株式等を含む
(出所)日銀「資金循環統計」、内閣府「国民経済計算」を基に筆者作成

つまりこの期間の国債増発は主に家計による金融資産の蓄積により支えられてきた。自然利子率(資金需給が一致する実質利子率)が低い水準に抑えられてきたことが、低金利政策の背景にあると考えられる。

自然利子率の低下は、多くの先進国にみられる共通の現象であり、いくつかの構造的要因が指摘される。

第1に生産性の停滞は、実物資本の収益率低下による資金需要の減少を通じて自然利子率を低下させる。

第2に高齢化は、貯蓄を取り崩す退職者の割合が上昇する効果と、退職後の期間が長期化することに備えるために現役世帯が貯蓄を増やす効果があるが、後者の効果が大きければ資金供給の増加を通じて自然利子率を低下させる。少子化による住宅需要の縮小も自然利子率の低下に寄与する。

第3に金融危機時などに実物資本などのリスク資産と比較して国債などの安全資産への需要が高まり、相対的に安全資産の供給が不足すると、リスクプレミアム(リスク相当分の上乗せ金利)は上昇して安全資産の金利は低下する。

第4に所得リスクの高まりは貯蓄の予備的需要を増大させ、新興国を中心とするグローバルな貯蓄過剰からの資本流入とあわせて自然利子率を低下させる。

さらに最近アティフ・ミアン米プリンストン大教授らの理論研究により、所得格差の拡大が債務の増大とあいまって自然利子率を低下させる可能性が指摘されている。家計や政府が債務を伴って支出を増やすと一時的には需要が増えるが、債務の返済は消費性向の高い家計(低所得・低資産家計)や政府から、消費性向の低い家計(高所得・高資産家計)に所得を移転するため、経済全体の貯蓄が増え、長期的に低金利と需要の停滞をもたらすという。

またこうした状況で名目金利が下限(流動性の罠=わな)に達し、自然利子率がマイナスにまで低下すると、長期間にわたり総需要が停滞する危険性(債務の罠)が指摘されている。

日本でも多かれ少なかれこれらの要因が複合的に低金利をもたらしていると考えられる。従ってコロナショックによる政府債務増加が直ちに国債金利を上昇させるとは考えにくい。政府債務の膨張を抑えるという観点からは望ましいが、マクロ経済の観点からは決して望ましいことではない。現在の低金利は、人々が老後の生活や不安に備えて貯蓄を増やす一方、生産的な実物資本の収益率が、増大した貯蓄を引きつけるほど十分高まらなかった結果として生じているからだ。

望まれる経済政策は、低金利を利用した野放図な財政支出拡大(それは債務の罠に陥るリスクを高める)ではなく、低金利からの脱却を目指して長期停滞に陥るリスクを減らすことだ。

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この観点からコロナショック後の財政金融政策を評価すると、雇用調整助成金の特例措置や無利子無担保融資などの企業金融支援策は、企業の一時的な流動性不足による倒産や失業を回避し、総需要を下支えする効果があったといえる。これらの措置の多くは、追加経済対策により21年前半にかけて延長された後、順次縮減・停止される予定だ。引き続き感染状況に応じて柔軟に対応する必要があるが、仮に過度に長期にわたり再延長されれば、債務の罠による長期停滞に陥るリスクや、労働や資本の企業間再配分を停滞させ潜在成長率を低下させるリスクがあることに注意が必要だ。

他方、コロナショックにより非正規雇用労働者などが最も深刻な影響を受けたことから、所得格差は拡大していると考えられる。影響を受けた労働者にターゲットを絞った給付金や社会保障給付などの所得再分配政策により、総需要を下支えすることが望ましい。

さらに企業・産業のダイナミズムを活性化させ、生産性の上昇を通じて実物資本の収益率を高めることが重要だ。筆者は宮川大介・一橋大准教授、滝澤美帆・学習院大教授とともに、東京商工リサーチが保有する企業情報データを用いて、日本のビジネス・ダイナミズムを定量的に把握した。

コロナショック以前(10~18年)に新規参入率の低下、社齢の若い企業のシェア低下、労働生産性のトップ5%とそれ以外の企業間格差の拡大、雇用創出率の低下、労働分配率の低下、マークアップ(利幅)率の上昇など、ほとんどの指標でビジネス・ダイナミズムは低下していた。コロナショックを契機にビジネス・ダイナミズムがさらに停滞する可能性も懸念される。

これを避ける重要なカギの一つは中小企業政策だ。前述のデータを用いて各産業の売上高シェア10分位ごとに労働生産性の伸び率をみると、産業により異なるものの、平均的には生産性の伸びがみられたのは売上高シェア最上位の10%のみであり、残りの下位90%はほとんど生産性の伸びがみられなかった。こうした下位層に対する手厚い政策的保護などを背景として、適切な新陳代謝が進んでいない可能性を示唆している。

追加経済対策では中堅・中小企業の事業転換などへの補助が決定された。さらに税制も含め企業の成長を促す方向で中小企業政策全般を見直すことが急務だ。

再分配政策を中心とした総需要政策と、中小企業の成長促進を通じた生産性向上策を速やかに講じなければ、コロナショックによる政府債務の増大を契機として、新たな長期停滞に陥る可能性も否定できない。

2020年12月24日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2021年1月26日掲載

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