世界経済 危機は去ったか 中銀 国債大量保有に懸念

細野 薫
ファカルティフェロー

リーマン・ショックから7年がたった。中国経済の減速、ギリシャ債務問題など、世界経済はいくつかのリスク要因をはらみつつ、比較的順調にみえる。しかし、グローバル金融危機を経た後の世界経済は、それ以前とはかなり様相が異なっており、新たな危機の種を抱え始めている。本稿では、やや中長期的観点から、日本、米国およびユーロ圏を中心に金融危機後のマクロ経済運営を展望する。

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世界金融危機から脱出し、その後の低成長に対処するため、主要な中央銀行は大規模な金融緩和を実施・継続した。政策金利をゼロ近傍にまで引き下げるだけでなく、国債その他の債券を大量に購入し、ベースマネーを増大させた。

その結果、中央銀行のバランスシートは大幅に拡大した(図参照)。日銀の総資産残高はリーマン危機前の2008年3月末は113兆円だったが、15年3月末には3倍近い323兆円(国内総生産=GDP=比約65%)に達した。その過半は長期国債である。米連邦準備理事会(FRB)の総資産も同期間に5倍近い約4兆5000億ドル(GDP比約25%)に増加した。欧州中央銀行(ECB)の総資産は15年3月末に約2兆4000億ユーロ(ユーロ圏GDP比約23%)で、同期間に約7割増だが、今年3月以降、月600億ユーロのペースで債券購入を始めている。

図:主要中央銀行の資産はリーマン危機後に急増した
図:主要中央銀行の資産はリーマン危機後に急増した
(注)2008年第1四半期を100として指数化

中央銀行が国債を中心に大量の資産を保有している状態は、当面続かざるを得ないだろう。FRBは年内に金利を引き上げる可能性が高いとされるが、利上げのペースは緩慢で、当分の間は比較的低い金利水準にとどまるのではないか。第1の理由は、今後見通される米国の成長率が決して高いものではないことだ。

第2に、急激かつ大幅に金利を引き上げれば、新興市場からの資本逃避により為替・株式市場が動揺するリスクがある。また急激な利上げは国債価格の急落をもたらし、中央銀行や金融機関がキャピタルロス(値下がり損)を被る懸念もある。

第3に、大量の国債などを保有しつつ政策金利を引き上げるには、準備預金の金利もあわせて引き上げる必要があるため、中央銀行の利払い負担の増大に直結する。

主要中央銀行の量的緩和政策が債券・為替市場を中心に大きな効果を持ったのは、国債を売却した金融機関によるポートフォリオのリバランス効果に加え、低金利政策の継続期待があったためと考えられる。しかし中央銀行の大量の国債保有は将来の金融政策を縛り、新たなリスクを抱え込むことにつながっている。

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第1に、今後仮に経済成長率が高まっても低金利が続けば、バブルが発生・崩壊するリスクが高まる。どのような資産でも、将来得られる利益とリスクに基づくファンダメンタルズ価格を上回る価格はバブルであり、不動産価格や株価の高騰だけがバブルではない。例えば低格付け債や高債務国の国債など高リスク債券の利回りが低い(価格が高い)場合もバブルである。

世界金融危機の反省から、グローバルに活動する主要な金融機関に対して、自己資本比率の上乗せ規制やレバレッジ(総資産・自己資本倍率)の規制が課せられつつあるため、金融機関のレバレッジはリーマン危機以前と比べれば低水準にとどまる。信用膨張を伴いながら資産価格が上昇を続ける懸念は今のところ大きくない。しかし、リアルタイムで資産価格がバブルかどうかを判断することは困難であり、政策対応は遅れる傾向がある点には注意が必要だ。

現在、米国で格付けの低い債券の発行や低格付け企業へのレバレッジドローンが増加し、利回りが低下している。これらの債券価格が下落に転じれば、投資家のファンドや年金基金が損失を被り、最終的に家計支出を抑制する。

第2に、財政危機のリスクが高まる。中央銀行が大量に国債を購入し、低金利を維持することは、財政当局にとって都合の良い状況だが、長期的に安定的な均衡とはいえない。低金利のもとでは財政赤字を削減するインセンティブ(誘因)が弱まるからだ。

多くの先進国では金融危機後に政府債務残高は急増したが、景気回復とともに米国やユーロ圏全体の一般政府の純債務残高GDP比の上昇は止まりつつある。しかしユーロ圏では、ギリシャなどの債務残高は依然大きい。日本では、一般政府の純債務残高(国鉄清算事業団および国有林野事業債務管理特別会計の債務を含む)のGDP比は、07年末の80.5%から14年末には142.9%に急増しており、さらに増加が見込まれる。

南カリフォルニア大学のセラハッティン・イムロホログル教授らのシミュレーションによると、現状の政策のままでは日本の一般政府の純債務残高GDP比は30年に210%を超える。グロス(金融資産控除前の総額)の政府債務残高はさらに大きく、日本国債の外国への依存度は急速に高まっていくだろう。そうなれば国債利回りは上昇する。

低金利と財政赤字の組み合わせが長期的に不安定であるもう1つの理由として、将来インフレやバブルの兆しがみえ始め、金融引き締めをすべき状況になっても、金利上昇に伴う財政負担の増大を恐れる当局がけん制する恐れがある。特にバブル対策には金融政策と金融監督をうまく組み合わせる必要があるが、財政赤字の継続はこうしたマクロプルーデンス政策の実施を困難にする。これらの懸念が差し迫ったものとなれば、高金利・高インフレが実現する。

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では、こうした2つのリスクを軽減するため、どのような政策が望まれるだろうか。

そもそも現在の先進国における低金利の背景には、生産要素である実物資本の収益率が低いことがある。バブルのリスクを軽減するには、生産設備、人的資本、知識資本など実物資本の収益率を上げるための「成長戦略」が重要だ。日本では現在、企業のガバナンス(統治)改革が進められているが、投資家と企業の双方に収益率重視の経営を求めることは、バブルの予防という観点からも肝要である。

また、企業内での事業再編や、企業間・産業間での労働、資金の移動を通じて資源が効率的に配分されれば、経済全体の生産性や実物資本の収益率は高まる。この点、日本では改善の余地が大きく、労働市場改革の加速が不可欠だ。

財政リスクに関しては、日本の財政改革が世界的にみて最も重要である。しかし、20年度に国・地方をあわせたプライマリーバランス(基礎的財政収支)を黒字化するという財政健全化目標は、早くも風前の灯である。内閣府の試算では、今後5年間の平均成長率が実質2%、名目3%という前提のもとで、歳出削減がなされなければ20年度に9.4兆円(GDP比1.6%)程度の赤字が残る。

この赤字幅に対し、経済財政諮問会議では、成長による税収増を図るのか、歳出削減で大半を埋めるのかが議論された。しかし、いずれの議論も実現可能性は極めて低い。日本の潜在成長率はせいぜい1%程度と推計されており、少子高齢化が進む中で社会保障費を中心に一層の歳出削減を進めることも容易ではない。安倍晋三首相は早々と消費税率の10%超への引き上げの議論を封印してしまったが、社会保障改革とあわせて歳入改革を早期に実施しなければ、心地よい現在の安定はすぐに壊れてしまうだろう。

2015年6月16日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2015年7月21日掲載

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