ディベート経済

日銀と政治 距離感は

小林 慶一郎
RIETI上席研究員

今月(1月)18日、日本銀行は追加利上げの見送りを決めた。利上げをめぐっては自民党幹部らが見送りを求め、日銀の独立性が焦点となった。では、金融政策は、政治とどのような距離を取るべきなのだろうか。

独立性がインフレを防ぐ

お札を発行する権能を持つ中央銀行である日銀はなぜ、政府や政治家から独立した存在でなければならないのか。

教科書的な答えは、政府がインフレを起こす誘惑に負けることを防ぐことだ。日銀が独立してないと、政府はお札をたくさん刷ってもらい、公共事業などの支出に充てる誘惑にかられる。もし日銀が何の裏付けもなくお札を印刷して政府に渡すようなことが続けば、流通量が増えすぎ、お札1枚で買えるモノの量が減る。つまり、インフレ(物価上昇)が起きる。

インフレは国民の持つ預金などの金融資産の価値を減らすので、一種の税だ。インフレを起こすことは、国会の議決を経ないで増税するのと実質的には同じだ。

日銀が政府の思い通りになるなら、財政支出をインフレでまかなう、という誘惑に政府は負けてしまう。その結果、インフレで経済は混乱する。だから、物価と国民生活を安定させるために、日銀は政府から独立した存在であるべきだ、というわけだ。

実際、第1次大戦後のドイツなどでは、戦後の混乱で税収が減るなか、必要な歳出をまかなうためにお札を大量に印刷したため、激しいインフレが起きた。

戦前の日本でも、2.26事件後の軍拡路線で、軍事費をまかなうため、日銀による国債引き受けが続いた。政府が国債を発行し、それを日銀が買い取って日銀券(お札)を支払う、という方法だ。つまり、日銀が印刷したお札を使って政府が財政支出を行う、というのと同じことだ。この結果、じわじわインフレ傾向が強まったが、戦時中は統制経済だったため、あまり顕在化することはなかった。しかし、そのツケは終戦後にやってきた。物価が数十倍に暴騰する悪性インフレが終戦直後の数年間、日本経済を苦しめた。

この反省から、戦後、財政法で日銀による国債引き受けは禁止された。日銀の金融政策は、政府から独立して運営されることが再確認されたわけだ。

政策目標の共有が前提だ

90年代の日銀法の大改正は、運の悪いことに、デフレと金融危機が深刻化するさなかに行われた。橋本内閣の改革の一環として、98年に日銀法は改正され、大蔵大臣の日銀に対する指揮権もなくなり、独立性は法令上も高まった。

しかし、経済の危機が続いたため、新日銀法のもとでの日銀の独立性を確立する仕事は、危機対応の前では二の次にされてしまった。デフレが問題なのに、インフレになることを心配するのはナンセンスだ、と言われた。新しい独立性は、社会に定着できないまま現在にいたった。デフレが収まってきて、経済が落ち着いてきたので、独立性がやっと大きな論点になってきた、というのが現状だろう。

今月(1月)17日、18日の日銀の金融政策決定会合の前には、利上げに反対する政治家の発言が相次いだ。

独立性とは、政策目標を政府と共有した上で、その政策手段について日銀に独立性があるということだ、というのがその言い分だ。

景気拡大を持続させ、デフレから完全に脱却するというのが、政府・日銀が共有する政策目標であることは間違いない。消費が伸び悩んでいる現状で、金利を上げることは、その目標に反するではないか、というわけだ。

また、日銀は、新日銀法の下での「独立性」を実質的に強化したいという組織防衛の立場から、経済の実態を軽視し、意地になって利上げをしようとしているのではないか、との推測もあった。

しかし、経済の足取りが強いことを示唆するデータもあったので、利上げに反対した政治家たちの景気判断が正しかったかどうかは一般には明らかではない。

むしろ、最終目標を共有しても、政策決定の独立性は尊重するという政治の自制があってもよかったのではないか。ちなみに、政府の公式の立場は、日銀の判断を尊重するというものだった。

今回の構図は、短期的に増税したくない政治家が、インフレ政策で景気拡大が続くことを露骨に求めた、というようにも見える。

信頼の歴史、つくっていく努力を

中央銀行の金融政策が政府や政治から独立していなければならない理由を、理論的にすっきりと説明することは難しい。

そもそも中央銀行の金融政策は、政府が行うその他の経済政策とどこが違うのか。金融政策の特別な地位はどこに根拠があるのか、必ずしもはっきりしない。

マクロ経済学の世界をみても、金融政策の理論が十分に確立していると言っていいかどうかわからない。

たとえば、バブル後に日本経済を苦しませたのは銀行システムの機能不全という問題だった。一般の人は、経済学者が金融政策の効果を論じるときに当然、銀行部門の反応を考慮に入れているはずだと思うだろう。

しかし、金融政策の分析に使われる最近の経済学の理論モデルでは、通常、銀行部門という存在ははじめから省略されている。モデルで考慮されているのは、消費者と企業だけで、銀行はその間にある単なるベールにすぎないとして省かれているのだ。つまり、バブルや不良債権問題といった銀行システムの問題と金融政策との関係は、最初から分析できない枠組みになっている。

もちろん、金融政策の実務を行っている日銀は、銀行の行動を緻密に分析しながら政策を行っているはずだが、その分析はあくまで実務上の経験則によるもので、経済理論とは小さくない断絶があるわけだ。

理論の裏付けよりも、むしろ経験則によって金融政策の実務が行われている。なんとも居心地の悪い思いがぬぐえない。これは、中央銀行がつくり出す「貨幣」とは何か、という哲学的な問題に直結しているようにも思われる。

人類の長い歴史の中で、貨幣が他の商品から独立した特殊な存在になったのと同様に、金融政策の特殊性と独立性も、歴史によってつくり上げられてきた、と言えるのかも知れない。

戯画化していえば、中央銀行とは貨幣という神に仕える神官のようなものだ。

経済史家チャールズ・キンドルバーガーの『大不況下の世界』には、第1次大戦後の混乱した時代に、世界経済を安定させようとして苦闘する米英仏独の中央銀行総裁たちの姿が描かれている。

相互の尊敬と信頼によってつながった中央銀行コミュニティが、母国の政府や政治家から一定の独立性を保った神秘的なクラブを形成していた様子がありありと伝わってくる。

中央銀行の独立性は、貨幣や市場経済という存在に対する信頼や畏敬の念が、その国の社会に共有されている度合いを示しているようだ。平時の経済になって我々が取り戻すべきことは、まさにそれではないだろうか。

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2007年1月29日 「朝日新聞」に掲載

2007年6月18日掲載

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