DXの思考法と教育の未来

開催日 2022年3月4日
スピーカー 西山 圭太(東京大学未来ビジョン研究センター客員教授 / 元経済産業省商務情報政策局長)
スピーカー 合田 哲雄(内閣府科学技術・イノベーション推進事務局審議官)
モデレータ 池田 陽子(RIETIコンサルティングフェロー / 内閣官房デジタル市場競争本部事務局 参事官補佐)
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開催案内/講演概要

「DXの思考法」セミナーシリーズではこれまで、各論編として「国際編」「組織編」「金融編」「経済編」を開催し、各分野における「DXの思考法」の方向性について深掘りしてきた。今回は同シリーズを締めくくるに当たり、教育行政の第一線で活躍されてきた合田哲雄内閣府科学技術・イノベーション推進事務局審議官を招き、『DXの思考法 日本経済復活への最強戦略』(文藝春秋社)の著者である西山圭太東京大学客員教授と対談を行った。新学習指導要領やGIGAスクール構想、現在取りまとめ中の政策パッケージにも触れながら、「DXの思考法」を教育に取り入れることで何を転換し、何を目指すべきなのか、そしてそれは真にDXを実現する人材の育成にどうつながるのか、デジタルトランスフォーメーション(DX)の時代における教育の未来について議論した。

議事録

池田:
2021年9月、本日のスピーカーである西山圭太先生によるBBLセミナーが開催され、「DXの思考法」の神髄を語っていただくとともに、若手・中堅の行政官への前向きで温かいメッセージも頂きました。

デジタルトランスフォーメーション(DX)とは、決してITツール導入による業務効率化のことではなく、抽象と具体を行き来しながら思考することで、ビジネスや組織、ひいては国家の在り方さえ変わる、変わらなくてはならないというお話を伺い、その後、「DXの思考法」に触発された経済産業省内外の若手・中堅行政官を中心に、「国際編」「組織編」「金融編」「経済編」という各論編のセミナーシリーズの形で、新たな政策検討の試みが進められてきました。

本日は「DXの思考法」セミナーシリーズを締めくくるに当たり、「教育編」として西山先生と合田審議官の特別対談の形でお送りします。はじめに、西山先生から、これまでの各論編を振り返って、それらの共通項として見えてくる点を含めてフィードバックをいただき、その後、合田審議官からご講演いただいた上で、お二方の特別対談に入ります。

キーワードは抽象化

西山:
このシリーズを企画してよかったと思うのは、1つは、自分の経験を生かし、若い行政官の手助けになれたこと。もう1つは、このシリーズ企画は今から20年ほど前に自分がやりたいと思っていたことの発展形であり、当時と同じように時代が大きく変わる中、若手行政官を中心に創造的な政策形成を議論する機会を持てたことです。以上の2点は私が役所を辞めた後、こうなったら良いなと思っていたことでもあります。

若手・中堅の行政官が政策形成について自分が考えていることを発信する機会ができたことはとても良いことだと思っています。つまり国民からの要請として、いわゆるお役所仕事的なこと、霞が関でしか通用しない発想はやめた方がいいという考えがあるからです。そのために霞が関から発信する機会を工夫しながら持つことは素晴らしいことだと思います。

「DXの思考法」では、「抽象化」が1つのキーワードとなっています。抽象化する目的は、発想のスペースを広げることにあります。視点を変えて、例えば3年後ぐらいのことしか考えていなかったのを10年先を想像してみることで、別の視点から気付くことがあるように思います。

上司の対応として典型的なのは、「そんなに先のことを考えている暇があったら、目の前の具体的なことをやれ」というものです。このような対応を繰り返すと、目の前にあること以外は目に入らなくなり、余裕がなくなります。明日には今日と違うことが必ず起きるので、結局また一から考えなければならなくなり、残業もどんどん増えていきます。抽象化に取り組むことで発想も自由になるし、時間的にも自由になるのではないでしょうか。

それから、今回各論でプレゼンした方々は、各課題について新しいフレームを作って対象を理解しようとしています。世の中は複雑なので、フレームやモデルでとらえるときに一筆書きをするのはかなり困難ですが、私はまず大まかな相関図のようなものを書きます。そうすることで、単純化できるコツがだんだんつかめるようになりました。

レイヤー構造にしてみることも有効です。レイヤーに分けるということは段階を踏むことであり、難しいことでも段取りを付けて順番に行えば結果的に結構複雑なものでも理解できるし、解決します。思考を単純化する工夫の1つとしてレイヤーは有効だと思います。

経験価値を生み出す

もう1つよいキャッチフレーズだと思ったのは、「経験価値」です。経験することに仕事上の大きな価値があるという意味で、抽象化することやフレームが関係しています。例えば、行政官は異なる分野に異動するのになぜ経験価値が生まれるかというと、一見違う業務の間にも共通性があるからです。経験価値が生まれるのは、裏を返せば、対象を抽象化してフレームで認識できているからだと思います。若い人の多くは専門性を身につけることを目指しますが、官でも民でも必要になるのは、分野を超えて経験を価値にできる力だと思います。

DXがなかなか進まないのはなぜかというと、新しい挑戦へのリスクを恐れているからかもしれえません。しかし本当は、実践することにリスクがあるのではなく、実践しないことでますます遅れていってリスクが高まる、それだけのことだと思います。新しいことをすれば、経験価値になります。しかも、新しいことをしてコツさえ分かれば、指数関数的に効果が出るようになりますが、つかめない人はどんどん取り残されていきます。そうしたことと教育の関連性は強くなっているのではないかと思います。

学びの時間的・空間的な多様化が必要

合田:
私は2021年に『DXの思考法』を読んで、実は「DXの思考法」は学校教育の在り方そのものに深く関わると考えました。西山先生からもお話があったように、課題から考えること、抽象化して考えること、複数の分野や専門を経験することで得られる複数の解決パターンを駆使することこそ、学校教育ではぐくむべき資質・能力だと思います。

自分の学校や教科の縦割りの中で最適化しようとする発想自体を転換することが、教育DXの肝だと思いますし、カリキュラム構造も、抽象化して考えたり、現象を質的・量的な関係でとらえたりする資質・能力のレイヤー構造で発想する必要があります。

霞が関ではScience(科学)、 Technology(技術)、 Engineering(工学)、Mathematics(数学)を統合的に学習するSTEM教育が非常に大事だといわれていますが、単に理数科目が大事というだけでなく、社会や産業の構造的変化の中で、抽象化や論理といった思考法をいわば学びのオペレーションシステム(OS)にしなければならないと考えています。

DXの思考法と教育を考える上で、ポイントが2つあると思います。1つは、同じことができることだけが評価されるのではなく、他者との違いに価値があることです。もう1つは、レイヤー構造の中においてインディペンデントラーナー(自立した学び手)であることが求められていることです。その点では、子どもたちの学びの時間的・空間的な多様化が必要となるでしょう。

そして、従来の管理的業務に適合した学びから、問いや仮説を立てることやメタ認知、他者と協働しながら既存の枠組みにとらわれずに考えること、二項対立を超えて合理的な解決策を見いだすことに力点を置いた学びへの転換が必要です。

「DXの思考法」を踏まえた教育制度の転換

子どもの特性を重視した学びの時間と空間の多様化が実現すれば、教室の風景は変わるでしょう。現在は多様な背景を持った子どもたちが1つの教室に集まった一斉授業のみで教育が行われている状況ですが、これからは1人1台の情報端末を使うことで、子どもたちの認知の特性や関心に応じた教育をしていく流れになっていくでしょう。

ここで留意すべきなのは、みんなと同じであることのみが評価される社会が変わらないまま、AIによる個別最適な学びが実現すると、AIに命じられるままに他律的・受動的に学ぶことになる点です。これでは「DXの思考法」の真逆です。重要なのは、個別最適な学びと協働的な学びを一体的に充実させる観点と、探究した結果としてのレポートやプレゼン、討論などに対する「パフォーマンス評価」の確立だと思います。

そこで私は、学校という組織に着目し、サプライサイド目線で組み立てられている教育制度を変える必要があると考えます。現在の教育制度は、学校=教育プログラムで学校体系も入学資格と修業年限という形式に着目して構築されていますが、デマンドサイドに立って教育プログラムで再編成する必要があると思うのです。小学校ではなく「初等教育プログラム」と捉えることになります。その教育プログラムは多様な専門家に支えられる必要があり、多様な専門家が教育学部に入り直すことなく教員免許を取得できる仕組みや、多様な専門性を生かす観点からの教員配置基準の再構築も必要だと思います。

ただ、これらのシステムを変えるに当たって、教科を横断する資質・能力の構造化が求められます。文部科学省もトライはしていて、2008年改訂の学習指導要領では、ブルームのタキソノミーなどを参考に、論理的な思考の基盤である言語能力について、レイヤー構造で教科の言語活動の横串を通す形にしました。私自身、この「DXの思考法」を踏まえて、カリキュラム構造をよりしっかりと組み立てることが必要ではないかと考えています。

対談

西山:
合田審議官がこれまで教育を中心に行政分野を歩まれた中で、政策をつくる上で必要だと思う発想やプラスになったということはありますか。

合田:
私は文部省に入って、教育について責任を持って質の高い仕事をしようと考えてきました。ただ、社会構造の変化のなかで大きな時代の歯車を回すに当たり、1つの府省や局課でできることはかなり限られるようになっています。そうした視点で、異なるセクションの人と対話することは非常に大事だと思います。

その点では、この分野は自分たちの専管事項だという発想ではなく、対話と協働によってまったく異なる分野の一見関係のないソリューションは、(私であれば)教育改革に使えるのではないかという発想を持つことが大切だと思います。対話も、SNSも含めた多様な方々との言葉やロジックのキャッチボールが重要になっていると感じています。

実は、『DXの思考法』を読んだ教育関係者は、デジタル化時代の思考法についてかなり理解を深めていると思うのです。この本には教育のことは出てきませんが、抽象化したり課題から考えたりすることは、対話や協働、共創という観点からも重要です。私はその点を少し深掘りしたいのですが、公教育はデモクラシーの基盤であり、放っておけば分断が生じる社会において、意見の異なる他者と対話したり、世の中の情報をファクトやロジックで咀嚼しながら考えたりしないと、息苦しいファシズムになる危険性が高まってしまいます。

そのときに、民主政治にとって一番の肝は何かというと、相手と立場が入れ替わる可能性があるということを前提に対話することだと思います。そう考えると、「DXの思考法」が経済的な価値だけでなく、民主政という社会的価値との間でどのような関係性を持っていると西山さんはお考えでしょうか。

西山:
従来の社会の仕組みは、政府であれば選挙で代表者が決まり、マーケットであれば価格があって需給が調整されることで成り立っています。つまり、大前提として、まったく共通性のない人が集まっても、投票や市場調整で解決されると考えます。ですから、今までの多様性の捉え方は、意見が違う人のことは別に知らなくてもいいけれども、適切な仕組みがあればまとまる、という発想だったわけです。

しかしこれからは、相手の意見との違いをどのように理解するかが重要です。みんなが同じ意見になる必要はないけれども、なぜそれぞれがその立場になるかということを理解することが必要だし、そうすることで世界に対する見方がより柔軟で多様になります。

それこそ合田さんがおっしゃったような教育システムの改革が実現して「未来の教室」が実現すれば、職場もそれに近いようなものをつくるように考えた方がいいし、これから先生方に求められる能力と、企業においてリーダーに求められることもかなり似る気がします。

合田:
おっしゃるとおりで、工業化社会において求められる力とインディペンデントラーナーが大事だ、それがデモクラシーの基盤だということとは実は食い違っていて、学校教育はその矛盾に苦しみながら、人格の完成といいつつ現実的には人材のスクリーニング(選別)をしてきたというゆがみの構造だったわけです。そのゆがみがなくなってきたことはものすごく大きいと思います。

ただ、1点だけ気になるのは、「DXの思考法」で構造的に思考する人と、「DXの思考法」ではなくてあくまでも具体物に即して思考する人が二極分化していることです。この点についてお考えをお聞かせください。

西山:
抽象思考と目の前の具体を考えるという極端な2極だとすると、その両方にそれぞれの役割があるのだといういわばメタフレームを共有した方がいいでしょう。全員が同じような抽象思考を達成する社会が望ましいかというと、そうではないのかもしれません。

日本人の特性として、細かいことをきちんと行うこと自体は引き続き保持されるべきだと思うのですが、不得意なことを伸ばさないと社会が回らないので、不得意なところは伸ばすことを強調すれば「DXの思考法」のようになるのだけれども、仮にそれができたとして、得意なことが異なる人たちがどう力を合わせたらいいのかというフレームが恐らく必要です。

つまり、仕事を分野で分けて担当者に抽象化・創造性もきめ細かさも全て求めるのではなく、向き不向きで分けて、仕事をバトンタッチするようなやり方もあると思います。実際の企業や役所はそうなっていません。やはりお互いの役割があるという根源的な共通理解が必要だと思います。

合田:
仕事に人を合わせるのではなく、人に仕事を合わせることが重要ですね。日本社会が気を付けなければならないのは、製品を精巧に作り込むことに全力投球してしまって、そこで進化が止まってしまうことです。

実は、2021年1月の中央教育審議会の答申に、「正解主義」や「同調圧力」への偏りから脱却することを目指すというかなり明確なメッセージが盛り込まれています。日本社会は破壊的イノベーションを理解し、受け止めることを拒絶する風潮があるので、それを乗り越えるとともに、破壊的イノベーションを支えるサポーターも相当重要な役割であることを含めた社会像の共有がまず必要だと思います。そのことが正解主義と同調圧力を乗り越えて、仕事を人に合わせることにつながっていくのだと強く思いました。

質疑応答

Q:

DX的な教育環境を日本社会に実現するために、どのようなコミュニケーションの在り方を想定されていますか。

合田:

やはりデジタル化やSNSの効果は大きいと思います。今までの教育行政では文科省・教育委員会(都道府県と市町村)・校長会・学校と様々なフィルターがありましたが、今はSNSによって多様な情報や対話がダイレクトに行われるようになりつつあります。しかも、今までは教育に対して構想力のある先生が学校ごとの縦割り構造の中で息苦しい思いをされてきたのですが、今はそういういったイノベーターたちがSNSで横とつながり、「官製研修」と揶揄される行政研修とはまったく別の文脈でコミュニケーションが始まっています。

やはり教育は最終的に、内発を誘発するための外発だと思っています。やはり内発が核にないと効果がないので、それをどう刺激するかでしょう。その手段はかなり広がっていて、文部科学省のコミュニケーションの取り方や政策形成の仕方もこれからどんどん変えていかないといけません。

Q:

学校という場が子どもにとって死活的なコミュニティー(ムラ)になっていることは大きな問題です。学校というムラ社会を変えるにはどうしたらいいでしょうか。

合田:

0か1かという話ではないと思うのです。中学時代のことを思い出すと、「多様性」とは抽象的な理念ではなくて、背負っている家庭環境や背景、文化資本などがまったく違う中で学級として1つの集団をつくっていくことは難しいけれども社会の縮図として対話や協働を重ねていく、そういう感覚は非常に大事だすから、学級などの学習集団は必要です。

他方で、学制が発布されてからの150年間、とにかく質の高い教育の機会を全ての子どもたちに提供しようと私ども教育行政に携わる者は努めてきたわけですが、そのことが結果として、クラスというものを閉鎖的な逃げ場のない空間にしているのも事実だと思います。ですから、広島県教育委員会の平川理恵教育長が展開しておられるような「校内フリースクール」といったトライアルは非常に大切で、平川教育長はさらに学校に行けない子どもたちをデジタルで結んで学びにいざなう校内フリースクールのデジタルによる拡張にも取り組んでいます。

こうした学びの時間的・空間的な多様化は、これから進めていかなければなりません。これも0か1かではなくて、子どもの状況に応じてバリエーションを工夫することが重要だと思います。

Q:

現場の教育者は小学校から大学までみんなサプライサイドです。となると、一人一人に合わせたカリキュラムを最適化する教育者が必要ということでしょうか。それとも、AIなどに任せた方がよいのでしょうか。

合田:

教育界の方々は真面目ですから、自分たちの「教育ムラ」がサプライサイドに偏っていることを内省的にとらえておられますが、霞が関も企業もいまだにサプライサイドで動いている側面も強いので、教育だけが遅れていると思い詰める必要はまったくありません。ただ、変えていくという意思と方向性は大事だと思います。

これから重要になるのは、学校のスタッフポートフォリオの多様化です。いろいろな経験をした多様な専門家が学校にいる。今までは全員同じことができることで質を保証してきたのですが、これからは多様な専門性や経験を持った人がいることが学校の強みになる中で、私はサプライサイド一辺倒から少しずつ離れていくことになるだろうと思っています。

個別最適な学びにとってAIやアルゴリズムは非常に重要な手段だと思いますが、大事なのはデータを使いながら、最後は人と人とが向かい合って自分の学びを自分で調整することだと思います。ですので、われわれ霞が関もそうですが、データに何を語らせるか、データからどんな意味や価値を蘇生させるのかについての意思や能力が試されているのだと思います。

西山:

このRIETIのシリーズの最初のときに、役所で「発注する」という仕事のやり方をやめようという話をしたのですが、少し似ているところがあります。これまでは世界の情報にアクセスすることが簡単ではありませんでしたが、今は新しい事象について調べようと思えばいくらでも調べられます。教育でも同じことが起こっていて、生徒・学生側から見て、知らなければいけないことは探そうと思えばいくらでも探せます。そのこと自体はポジティブなことで、社会に出たらそうせざるを得ません。

例えば、私がフェローを務める株式会社経営共創基盤が運営する「株式会社みちのりホールディングス」は、バス会社を何社か、横串で経営しているのですが、横串で経営しているということは、燃料調達や車両補修のベストプラクティスを横割りで教えてくれるわけです。では、それぞれのバス会社の社長に意味がないかというとそうではなくて、彼らにはその場で働く人をインスパイアしたり、困ったら相談に応じたり、悩みを聞くといった役割があります。そうした役割が非常に大きくなっています。ですから、そういう意味で未来の教室と未来の職場は結構似てくると思っていて、お互いに学ぶこともあるのではないかと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。