概要
本稿は、『経済センサス‐活動調査』(平成24年、28年、令和3年)を用いて、最低賃金の引上げが日本企業の生産性、雇用構成、資本装備、ならびに参入・退出を含む企業ダイナミクスに与えた影響を包括的に再検証する。
まず、Foster, Haltiwanger and Krizan(2001)に基づく要因分解により、日本経済全体の労働生産性および全要素生産性(TFP)は、2011–2015年には比較的高い成長率を示した一方、2015–2020年には大きく鈍化したことを確認する。生産性鈍化の主因は企業内部における効率改善(内部効果)の低下であるが、企業間の再配分を反映する共分散効果は両期間を通じて一貫して正で大きく、日本経済において競争を通じた資源再配分が継続的に機能してきたことが示唆される。
次に、都道府県別集計データを用いた分析から、最低賃金上昇率と労働生産性・TFP上昇率との間には概して正の相関が観察されるものの、その関係は期間や要因別に大きく異なることを示す。特に、参入効果および退出効果は、2011–2015年の緩やかな上昇期と、2015–2020年の急上昇期かつ新型コロナウイルス感染症拡大期とで符号が反転しており、最低賃金上昇が企業ダイナミクスに及ぼす影響が非線形である可能性が示される。
さらに、企業レベルのパネル分析では、最低賃金上昇が労働生産性やTFPを統計的に有意に押し上げる証拠は限定的である一方、資本労働比率の変化、雇用形態の組み替え(特に臨時雇用の削減と無期雇用の調整)、平均賃金の変化といった企業の適応行動が一貫して観察される。通勤圏に基づく経済的隣接を用いた操作変数法によって内生性に配慮した推計においても、生産性への直接的な因果効果は小さい。
これらの結果は、最低賃金の引上げが短中期的には企業内部の生産性向上よりも、雇用構成や資本装備の調整を通じた適応を促すことを示唆している。また、最低賃金の上昇速度や景気局面に応じて、参入・退出を通じた企業ダイナミクスへの影響が大きく変化する点は、最低賃金政策を設計する上で重要な含意を持つ。