天皇と日王、そして、訪韓

YOO, Michael
RIETIリサーチアソシエイト

3泊4日の盧武鉉大統領の訪日期間中、韓国人の最大の関心事は、訪問初日に行われた、天皇との出会いだった。

天皇と大統領が会った6月6日は、韓国では国のために殉職した軍人らを追悼する顕忠日だ。訪日前から韓国では「なぜ殉国先烈をたたえる日に、天皇に会うのか」という世論が強かった。会見直後、韓国のマスコミや戦前を知る世代は「過去への言及」に注目した。しかし、10代や20代のインターネット空間では、天皇と大統領が語り合ったワールドカップ(W杯)に関心が集まっていた。

韓国人は公式、外交的な席では天皇と呼ぶが、一般国民には日王、日本国王の方がなじみ深い。皇室は王室、皇太子は王世子、皇居は王宮だ。韓国人にとっては、「私たちは皇国臣民だ」と押しつけられた過去から連想する、日帝時代の神格化された天皇への拒否感があるからだ。日本で天皇は、特別行事に現れる平和の象徴だ。しかし、植民地時代を経験した韓国人には、顔をあげることすらできなかった60余年前の恐ろしい存在のままだ。

だが、歴史は過去にではなく未来に向かって流れる。盧大統領は46年生まれの戦後世代である。解放世代、光復世代とも呼ばれる大統領は、植民地時代とは距離が遠い。

韓国人の天皇観はさらに、天皇自らが告白した1400余年の前の歴史によって、急に肯定的になった。

01年12月23日、天皇は68歳の誕生日の際、「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されている」と述べ、皇室と朝鮮半島との血縁関係を明らかにした。発言は韓国で大きく扱われた。

多くの韓国人は、天皇の祖先が朝鮮半島につながるという事実を、真実として受け入れた。日本に拒否感がない韓国の若者は、天皇に親しみも感じ始めた。盧大統領は天皇に「大変感銘を受けた。多くの韓国人もそう思っている」と述べたが、これは戦後世代の天皇に対するイメージをそのまま表現したのだ。

02年のW杯当時、韓国の若者は、天皇のソウル訪問を歓迎する空気さえ見せた。彼らは天皇か日王かという呼称ではなく、共同主催国として日本の代表がソウルを訪れて一緒に祝う、という点に注目した。天皇訪韓は実現しなかったが、韓国の若者は「天皇はこの機会に祖先の故郷を訪れたかったが、右翼勢力の反対で志を果たせなかった」と信じた。

盧大統領は金大中前大統領に続き、天皇を韓国に招請した。外交史の一幕を飾る「天皇の訪韓」を、W杯を挟んで2人の大統領が続けて求めたことは重要な意味を持つ。天皇は、もはや日本刀や軍服を着た白黒写真の中の人ではない。多くの韓国人が「新羅や百済の時代、日韓の間には多くの交流があった」と述べる歴史家として、韓国とつながりのある隣人として受け入れている。

92年10月、日中復交20周年の折、天皇は北京を訪れた。再来年の日韓基本条約締結40周年の際に、ソウルを訪れても全く不自然ではない。

天皇の訪韓は、日本政府が検討する問題だ。しかし、多くの韓国人は盧大統領が強調したように「未来」の視点で天皇を見つめ始めている。天皇が、桓武天皇の生母の故郷である、百済の白馬江のほとりを歩く時、韓国人は新しい時代を感じるだろう。

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2003年6月12日 朝日新聞「私の視点」に掲載

2003年6月17日掲載

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