やさしい経済学 財政改革

第5回 慎重な政策か

伊藤 隆敏
ファカルティフェロー

前回、政府の総債務ではなく純債務を重視すべきだというワインシュタイン氏(コロンビア大)らの論文を紹介したが、彼らの考え方に懐疑的な人々は、次のような問題点を指摘する。

まず純債務を計算するために総債務から資産を差し引いているが、資産には将来の債務支払いの財源になるといったように、理由があって特別会計などに蓄積されているものもあり、それらを相殺するのは不適切な財政会計である、と反論する。

たとえば公的年金の資産のうち、年金財政が将来ひっ迫した際などに取り崩されるはずの国債などについては、「将来の取り崩しのために保有している国債を差し引けば、先行き負担すべき額が膨らみかねない」「社会保障の給付の増大を食い止めることが先決」などと指摘する。

このように考えると、そうした資産を本当に相殺して総債務を圧縮してよいかどうか疑問が残る点は否めない。前回指摘した不良債権の計算についても、バランスシート(貸借対照表)にのっていない隠れ不良債権による損失などがかさむ場合は、その分問題も大きくなる。

また、ワインシュタイン氏らが採用している財政の維持可能性の定義や、計算についても、疑問の声が出ている。同氏らの場合、その定義は主に、債務の対国内総生産(GDP)比率が、いったん上昇するものの、長期的には当初のレベルまで下がるというものである。そして彼の計算は、純債務に基づいて行われ、将来の人口成長率、租税負担率などに一定の仮定を設けることで、かなり時間をかけて債務の対GDP比率が現状レベルに戻ることを示している。

急激な財政引き締めに走らなくても財政破綻は回避できるとの見方を提示した点で、彼らの考え方を評価する向きもあるが、やはり議論の余地は大きいと思われる。たとえば、債務の対GDP比率がどの程度で頭打ちするかの試算については「楽観的」といった批判が少なくない。債務の対GDP比率がピ-クを打つ前に何らかの悪いショックが生じれば、債務は一気に雪だるま式に膨らんでいく可能性がないとはいえない。

さらに、日本の出生率が先行き回復に向かうことを想定したシナリオも描いている点は不安を感じさせる。経済成長率が思うように上がらない、などのリスクがあまり考慮されていないことも併せ考えれば、彼の見通しに沿った政策は慎重なものとはいいにくいであろう。

2006年5月30日 日本経済新聞「やさしい経済学 財政改革」に掲載

2006年6月14日掲載