やさしい経済学 財政改革

第3回 マンキュー論文

伊藤 隆敏
ファカルティフェロー

「成長・金利論争」では理論面に加え歴史的な証拠についても議論が展開された。国債金利より高い名目経済成長率を唱える竹中平蔵総務相が引用したのが、前に述べたマンキュー氏(ハーバード大)の論文である。

これは他の研究者とともに書いた論文(1995年など)で、米国の長期データ(1871-1992年)では成長率の方が金利を上回ることが多い点を示した。したがって、おおよそ消費促進のための減税などを公債発行で補っても、成長率が金利を上回るので赤字を将来世代への増税で埋める必要性が生じる可能性は低いとしている。

しかし、この論文は、実は公債発行による財政赤字拡大を礼賛するものではない。それどころか、将来のあらゆる不確実性を考えると、低い確率であっても増税の必要性が出てくるような財政赤字増大は、無責任な政策(ギャンブル)である、と結んでいる。

不確実性を考慮すると、責任ある政策の意味がより明確になる。しかも、論文は明示的には述べていないが、債務が膨らむほど、ギャンブルが失敗する確率は高まることがわかるので、今の日本の状況で、この論文を引き合いに、財政再建のシナリオを楽観的に描くことには疑問が残る。

マンキュー氏らの論文では米国の長期データが示されたが、日本の場合はどうなっているのだろうか。戦後(統計では1966年以降)の日本の数値をみると、1970年代末までは、名目成長率が名目国債金利を上回るものの、80-90年を平均すると、ほとんど変わらず、91年以降は平均で名目成長率が名目国債金利を下回っている。そして、60-70年代についても、国債の発行、流通市場には大きな規制があったので、この時期の結果から単純に将来を推測することは危険である。

成長率と国債金利の大小関係は、理論面だけでなく、実績データによっても明確には把握しにくいといえる。

この論争が意味するところは何だろうか。理論モデルの不確実性や将来の経済環境の不確実性があるなかでは、政策決定にあたる閣僚や経済官僚は、将来不都合な状況が生じても財政が破綻することのないような政策をとるべきで、それが慎重かつ責任ある政策だということではないか。こうした点からすれば、現在の日本では「少なくとも名目金利は名目成長率より多少高いかもしれない」という仮定をおいて政策運営にあたるのが賢明ではあるまいか。

2006年5月26日 日本経済新聞「やさしい経済学 財政改革」に掲載

2006年6月14日掲載