本連載で示したように、現在の日本では個人・企業(組織)のどのレベルでもデジタル化便益をなかなか有効活用できていません。特に多段階競争への対応が大きな課題です。多段階競争は製品やそれを含むシステムの複雑性が不連続的に上がり、より上位レベルでの競争が加わるシステム間競争です。この競争に対応するにはシステム階層内の情報の正確な抽象化と階層間情報の明瞭・迅速な遡及が不可欠です。それが不十分なことが競争に劣後する理由だと考えられます。
例えば研究開発では不確実性の増大に備えて選択肢を増やす戦略が必須です。そのために研究開発の幅を広げ、自社技術の強み弱みを長期的視点に立って見定める必要がありますが、長期的(相対)評価が不可欠なので自前では困難です。そこで生まれたのが研究開発部門が積極関与する事業会社発のベンチャーキャピタル(CVC)などです。さらにCVCで獲得した評価軸に基づくA&D(買収型開発)も必要ですが、CVCやA&Dで日本勢の存在感はほとんどありません。
企業統治の対応も遅れています。世界の趨勢は執行と監視・監督の機能の分離・独立です。利潤を生み出すには、社会のためという長期的な視点も欠かせなくなってきたからです。既存の執行役員層だけでは事業戦略上の考察の系が狭くなりがちです。しかもデジタル化のもたらす一目瞭然化便益を享受できない場合、多段階競争による環境変化をなかなか認識できません。多くの日本企業の統治構造は、形式上は執行部門と監視・監督部門の二階建てですが、実態は前者が後者を圧倒しています。
このように多段階競争に対応できていない状況は、設計・製造、研究開発、企業統治、会社形態、ベンチャーファイナンスなど様々な分野で重層的な相似形(フラクタル構造)となっています。さらにこれが自己変化能に富む人的資本形成のための学習機会を不足させるというジレンマも生んでいます。日本企業が海外勢と競争するためには、このフラクタル構造の変革が不可欠だといえます。
2017年5月30日 日本経済新聞「やさしい経済学―デジタル化の衝撃と人的資本」に掲載