やさしい経済学―デジタル化の衝撃と人的資本

第9回 「保守」「革新」の両方必要

中馬 宏之
ファカルティフェロー

変化の激しい多段階競争では、人的資本には保守性と革新性の両方が求められると先に指摘しました。そのためには、(1)過去を正確に記録する(デジタル記号化)(2)記録・才能を再利用しやすいように断片化する(モジュール化)(3)記録・才能の断片の再利用効率を高める(インターフェースの標準化)——の3つが有効です。そしてヒトはこの3つを駆使し、一目瞭然化の便益をリアルタイムで実現できるまで進化しました。この点を理解するには最近の3Dプリンターの事例が示唆的です。

3Dプリンターは大量生産時代から家内工業時代への革命的回帰を可能にするとされます。実際、筆者は昨年来、創造空間ナノラボ(東京・千代田)の協力で教室を工場化する授業を試みています。必要なのは3Dプリンター、樹脂材料、設計データ、設計・加工アプリです。パソコンを含め、それぞれをつなぐインターフェースは全て世界標準です。学生は好みのひな型を選ぶだけで、もの作りの気分を味わえます。

家庭用インクジェットプリンターの価格でフルカラーの3D印刷が可能な時代も目前です。素人でも想像力次第で、斬新で多彩な日用品、玩具、装飾品、フィギュアなどあらゆる一品ものを作れます。米クラウドファンディングのキックスターターに出品し、資金調達を求める道もあります。誰でも可能なので、個性化・多様化を目指す多段階競争が広がるでしょう。

この事例が示すように、多彩な記録・才能の断片とそれをつなぐ標準インターフェースは相互依存性の高い複雑な社会ネットワークを生み出します。モノも含めて全てがインターネットで結びつくIoT時代の特徴そのものです。そして、この緊密に結びついた社会ネットワークこそが保守性と革新性を兼ね備えた変化への対応力を効果的に生み出す源泉になるのです。過去を温存しながら相互協力によって飛躍のための潜在力を素早く獲得できるからです。決して孤立無援型のスーパーマンが求められているわけではありません。

これはシステム生物学のアンドレアス・ワグナー教授らのシミュレーション実験の示唆によるものです。

2017年5月29日 日本経済新聞「やさしい経済学―デジタル化の衝撃と人的資本」に掲載

2017年6月6日掲載

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