経済学の研究対象は広く、近年では人のこころや感情にも及んでいます。しかし、メンタルヘルス問題について、経済学的アプローチを取り入れ、働き方や雇用慣行と関連づけて研究する動きは、世界的に緒に就いたばかりです。
例えば、同じ職場や企業に長く雇用されているほうがメンタルヘルスにとっていいのか。それとも、仕事や人間関係で支障が生じた際に他の企業に転職しやすい環境があるほうがいいのかといった労働市場のあり方との関係は明らかになっていません。
一方、同じ企業で長く働き、日々の労働時間も長い傾向にある日本人にとっては、職場環境がメンタルヘルスを左右する重要な要因になっている可能性があります。労働安全衛生法の改正で今後は職場のストレスチェックが義務化されますが、こうした対策の効果測定をしながら、メンタルヘルスが悪化しにくい働き方や職場の仕組みを検討していく必要があるでしょう。労働者が健康に働いている状態から病気に至るプロセスに注目した研究を学際的に進めていくことも期待されます。
その際、メンタルヘルスの不調をもたらしうる「個人の問題」と、働き方や職場の特性などの「多くの人に共通する問題」の双方を識別しながら、系統だった要因を見つけ出していくことが重要です。そこに経済学的アプローチが貢献できる余地が大きく存在すると考えられます。最近は個々人の異質性を分析対象にする経済学の実証研究も増えています。メンタルヘルス問題でも、こうした潮流に即した研究が必要といえます。
職場のメンタルヘルス問題に取り組む際に避けて通れないのが、職場における人間関係です。個々人の異質性の根源といえる「こころ」が職場で複雑に組み合わさることで、どのような人間関係が生まれ、どのようなときにメンタルヘルスが悪化するのかを科学的かつ学際的に解明する研究の発展が望まれます。
2014年11月4日 日本経済新聞「やさしいこころと経済学―メンタルヘルス」に掲載