やさしいこころと経済学―メンタルヘルス

第5回 雇用慣行が損失に影響

黒田 祥子
早稲田大学

山本 勲
ファカルティフェロー

労働者のメンタルヘルスが悪化すると、勤務中に本来の働きができなくなり生産効率が低下する「プレゼンティイズム」のほか、遅刻・早退や欠勤の増加、休職で勤務時間が減少する「アブセンティイズム」を通じた損失が企業に生じるといわれています。

経済学的にみると、メンタルヘルスの不調は、生産活動にフルに充てられる労働力を活用しきれていないため、企業に多くの損失(機会費用)をもたらすと解釈できます。

プレゼンティイズムとアブセンティイズムのいずれが大きいかは、雇用慣行により、変わってきます。労働者のメンタルヘルスが悪化した場合、成果主義の度合いが大きい企業や解雇が生じやすい企業の労働者は人事評価や雇用契約の打ち切りを恐れ、表向きは通常通りに勤務する傾向が強くなります。このとき、労働者の生産性が低下していれば、プレゼンティイズムによる損失が大きくなります。反対に、雇用保障の強い企業の労働者は欠勤や休職をしやすいため、悪化はアブセンティイズムによる損失を大きくすると考えられます。

欧米の研究では、企業の損失はアブセンティイズムよりプレゼンティイズムによるものが大きいと指摘されています。日本と比べて相対的に労働市場の流動性が高いことが関係すると考えられます。一方、日本は研究例が少なく、研究の蓄積が求められます。

ただし、プレゼンティイズムの推計は生産性がどの程度低下しているかを労働者の主観的な回答をもとに試算するなど、客観性の面で課題があります。アブセンティイズムについては休職期間満了で労働者が退職する場合、それまでに人的投資した訓練費用が回収できなくなることによる損失が含められていません。

さらに、ある労働者のメンタルヘルスが悪化した際に同僚が仕事をカバーする結果、同僚の負荷が高まることによって生じる二次的な損失が考慮されていないことも、経済学の視点からみると改善の余地があります。

2014年10月28日 日本経済新聞「やさしいこころと経済学―メンタルヘルス」に掲載

2015年2月17日掲載

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