やさしい経済学―ミクロデータから見た社会保障

第10回 残された課題

清水谷 諭
コンサルティングフェロー

「くらしと健康の調査」(JSTAR)は日本で初めての学際的、縦断的、国際的な中高年パネル調査だが、まだ初期段階で課題も多い。2011年の第3回調査は全国10都市、約8000人程度のサンプルで進める予定で、対象者や参加自治体は初回に比べ増えているが、諸外国に比べても組織や財政面は非常に脆弱で、不安定さが否めない。

今後は特に2つの方向性が強調されるべきだろう。1つは政策との連結だ。米国ではく社会保障政策の変更の際、必ずHRS(健康と引退に関する調査)での証拠(エビデンス)が求められているという。「証拠に基づいた政策立案」が徹底され、科学的な議論を通じ政策を進めていく姿勢が貫かれている。

社会保障分野に限らないが、日本では、政策がしっかりした実証に基づいて行われているとはいいがたい。最大の理由の1つは、そもそも官民が共通して利用できる公共財としてのデータセットがなかったからで、社会保障分野でその隙間を埋めるのがJSTARにほかならない。これによって誰でも政策効果をチェックでき、より建設的で効果的な政策論議を進める基礎が提供されるだろう。

もう1つは国際的な側面だ。JSTARを充実させて日本の高齢化の貴重な経験を解析し、世界に貢献する必要がある。それには国際比較研究が欠かせない。今年7月に米ランド研究所と経済産業研究所が主催した国際会議でも海外の関心の高さが再確認された。

今後は特に、アジア各国との比較を強化すべきだろう。すでに韓国ではKLoSA、中国ではCHARLS、インドでもLASIという名前で、同じタイプの調査が進められている。アジアでは欧米と比べても急速な高齢化が進むことから、アジアからの知恵を生み出すことは、世界共通の課題の解決への大きな貢献となりうる。さらに調査手法自体も、日本発のオリジナルで積極的な提案を行っていかなければならない。

JSTARは日本の社会保障改革への貢献はもちろん、新しい科学的知見の発見のために、世界に絶好の機会を提供している。また「ミクロからみる」という姿勢は、社会保障に限らず、財源論だけに陥りがちな政策論議に、実証に基づく共通の基盤とより具体的で効果的な提案をもたらす。その点で、政策の企画立案のあり方自体を大きく変える貴重な契機にもなりうるだろう。

2011年9月23日 日本経済新聞「やさしい経済学―ミクロデータから見た社会保障」に掲載

2011年11月3日掲載

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