本格的な高齢化と急速な財政悪化の中で、社会保障の改革論議がますます盛んになっている。しかし議論には行き詰まりも見える。
これまでは、まず比較的信頼できる将来の人口推計をベースとし、これに社会保障の核となる年金、医療、介護などの1人あたりの費用を掛け合わせ、将来時点の社会保障費の総額を推定。これを将来の財政収支の見通しと比べ、不足財源を割り出す手法が一般的だった。つまり議論が財源論に集中していた。多くの場合、帳尻を合わせるために消費税の引き上げ幅の試算が示される。もちろん財源の裏付けは制度の大前提だが、それだけでは効果的な改革案が提示できるわけではない。
過去の議論では重要な点が軽視されている。まず個人の多様性だ。マクロの財源論では単純化のため暗黙裏に典型的な高齢者像を想定する。しかしこれは非現実的な仮定である。高齢者の間でも、家族や地域社会とのつながりは様々で、経済面だけでなく健康面でも格差が見られる。ひとくくりの「高齢者」を想定して議論できるほど話は単純ではない。
次に、経済学で重要な個人の動機づけ(インセンティブ)の視点が乏しい。例えば自己負担を引き上げると医療や介護への需要は減るが、その程度は需要者や施設のタイプで異なる。また年金の受取額が減ると高齢者の労働供給が刺激されることが、各国の実証研究で確認されている。財源論で用いられる将来の1人あたりの社会保障費用は、機械的に一定の増減率をあてはめただけで、インセンティブ構造を十分に取り入れた実証的根拠に乏しい。
また1つの政策変更がインセンティブを通じて他の分野に波及することも多いが、これまでの社会保障論議では分野の壁を十分に乗り越えていない。これでは、保険料を安くするために働き続けて健康を維持し、医療や介護サービスの利用を減らす、といった動機づけに基づく発想は出てこない。さらに財源論では将来にわたって構造が安定しているという定常性を仮定している。だが例えば労働所得や健康状態は世代による違いが顕著である。
こうした多様性と動機づけを明示的に分析に取り込むために、ミクロデータから社会保障を眺めていくことが必要になるのである。
2011年9月9日 日本経済新聞「やさしい経済学―ミクロデータから見た社会保障」に掲載