やさしい経済学―ミクロデータから見た社会保障

第9回 新しい潮流

清水谷 諭
コンサルティングフェロー

今回は世界標準の中高年パネル調査で注目すべき新しい流れを2つ紹介したい。これらはより厳密に個人間を同じ尺度で比較できる点に特微がある。1つはバイオマーカー(生体情報)の活用だ。調査対象者は質問へ回答するだけでなく、同意の上で検体を直接提供する。身長・体重の実測のほか、血圧測定や血液や唾液を採取し、医学的に解析する。

すでに握力測定は広く取り入れられている。握力と生存確率の間には有意な関係があるとの研究結果が出されているからだ。その他、英国のパネル調査「ELSA」では面接調査に看護師が同行して血液を採取し、成分を分析しているほか、唾液を採取しうつ状態と関係の深いコルヂゾールというホルモンの解析も進めている。もっとも新しいのはDNA情報の採取だ。まだ手探りの段階だが、どんな遺伝子と行動が結びついているのかを発見するため多額の資金が投じられている。

バイオマーカーの採取には、費用面だけでなく、対象者の同意はもちろん、その情報の利用のあり方など倫理面でも解決すべき課題も多いが、海外では精力的に進んでいる。そもそも医学・疫学系の調査では生体情報の活用が以前から進んでおり、こうしたノウハウの活用も有効だろう。客観的な健康状態を測定する上で生体情報の活用は不可欠なだけに、一般の理解を高める努力も欠かせない。「くらしと健康の調査」(JSTAR)では対象者の同意をもとに自治体が保有する特定健診のデータの提供を依頼し、本体の調査と合わせて解析を行うことができる。

もう1つは、意識調査における個人間のスケールの調整である。調査の中では「意識」に関する質問が多い。代表的な例は、現在の健康状態を5段階で評価してもらう質問である。主観を答えてもらうことは大事だが、中には少し風邪を引いただけで、健康状態が「良くない」と答える人もいれば、重い病気で入院していても「良い」と答える人もいて、対人間(さらには対国間)の比較が難しい。そこで新たな質問方法が注目されている。まず仮想的な状況(例:Aさんは1カ月に1回頭痛がするが、薬を飲めば治るし、頭痛の間も日常のことはこなせる)を全員に提示し、その状況についてどう評価するかを答えてもらう。その後で、対象者個人の状況を聞き取り、その答えを標準化する、というものだ。それぞれの質問に関し、認識の違いを引き出すためにどういった仮想例が適切なのかについて、現在精力的に研究が進められている。

2011年9月22日 日本経済新聞「やさしい経済学―ミクロデータから見た社会保障」に掲載

2011年11月2日掲載

この著者の記事