やさしい経済学―ミクロデータから見た社会保障

第6回 健康を決める要因

清水谷 諭
コンサルティングフェロー

「くらしと健康の調査」(JSTAR)などの世界標準のデータセットの大きな特徴の1つは、経済学者だけでなく、社会学者や心理学者、中でも医学・疫学の研究者も加わって学際的な共同研究を進めている点にある。

特に健康と社会経済的要因(所得や学歴)の関係は、世界的に注目されているトピックの1つである。JSTARによる分析でも、横断面でみると、非常に多くの健康指標と社会経済的要因が結びついていた。具体的には、主観的な健康評価、日常生活動作、有病率(高脂血症、糖尿病、脳卒中、慢性肺疾患、関節炎など)、感覚機能、精神的健康(うつ)、認知機能、さらに医療機関の受診行動(外来、入院、歯科)、健康行動(喫煙、、健康診断の受診)や栄養摂取(食塩、脂質、コレステロール、野菜・果物)などの点て社会経済的要因と有意な相関がみられた。

所得と学歴では健康への影響が異なる点も興味深い。中高年では、学歴が変化する人は少ないが、所得は年齢に伴って変化する。東京大学の橋本英樹教授との共同研究では、栄養摂取は学歴と有意な相関がみられるが、所得との相関は必ずしも明確でなかった。

日本では皆保険制度が導入され、医療サービスヘのアクセスが保障されている。にもかかわらず、健康に格差がみられ、それが社会経済的要因と相関があるという事実は、個人の多様性を多角的に捉えていく必要があり、医療政策だけでなく社会経済政策によっても健康が影響を受けることを示唆する。例えば健康診断は明らかに高学歴・高所得の人々の方が受診する傾向が高い。一方、健康のリスクは高学歴・高所得の人の方が低い。つまり健康リスクが比較的低い人たちが積極的に健康診断を受診していることになる。しかし健康診断を医療費抑制のための予防政策の1つと見れば、健康リスクが高い人たちに受診を促す工夫が不可欠だ。

さらに因果関係の特定によって政策対応も異なってくる。だが健康と社会経済的要因は相互に影響し合い、因果関係の特定が難しい。このためパネルデータがどうしても必要になる。例えばパネル調査の中で、何らかの外生的ショックで所得が減り、その結果うつ状態に陥ったと結論づけられれば、この問題は所得の再分配である程度防げることがわかる。またパネル調査は、格差が固定されているかどうかという格差論の本質にも答えることができる。JSTARも回数を重ねるにつれ、こうした点を順次明らかにできるだろう。

2011年9月19日 日本経済新聞「やさしい経済学―ミクロデータから見た社会保障」に掲載

2011年11月2日掲載

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