やさしい経済学―ミクロデータから見た社会保障

第5回 資産設計と年金

清水谷 諭
コンサルティングフェロー

社会保障改革では、そもそも年金は何のために必要なのか、合理的な年金制度とはどのようなものか、という根本的な論点が繰り返し問われ、検証されなければならない。

合理的な個人は、生涯ベースでの資産設計を行っている。つまり死亡するまでの長期間を視野に入れて、今までためてきた資産、引退するまでの労働所得、引退してからの年金所得、さらに生前贈与や遺産の受け取りなど自分が利用できる経済資源と、自分の寿命をにらみながら、消費支出の水準を決定する。

年金のあり方はこうした枠組みの中で考えていく必要がある。その上でどんなタイプの人たちが生涯ベースでみて貯蓄不足に陥っているのかを実証的に検証しなければならない。「くらしと健康の調査」(JSTAR)の大きな特徴は、現在の経済状況(所得・消費・資産)や就労状況のみならず、引退(予定)年齢、年金受給開始(予定)年齢、遺産・生前贈与の受け取り・受け渡し(予定)額を、さらには自分の予想寿命(生存確率)を尋ねている点にある。こうした情報がすべてそろってはじめて、資産設計と年金の役割を定量的に明らかにできる。

米国のHRSのデータを用いたウィスコンシン大学のショルツ教授らの分析によると、経済学的にみて最適と算出される資産のレベルに比べて50歳代の8割がそれ以上の資産を保有しており、しかも残りの2割をみても不足する資産額は大きくない。日本でもJSTARを使って簡単試算を行ったところ、死亡する時点での資産額の中位値(メディアン)は1000万円程度となるが、死亡時点で負債が上回るのは全体の1~2割程度である。たとえていえば、キリギリス型の人よりも、実はアリ型の人の割合の方が高い。さらに一橋大学の小塩隆士教授と、年金の受給タイミングを分析したところ、本来の支給開始年齢よりも早く「繰り上げ」受給を行う個人は、生存確率が相対的に低い場合や流動性制約に陥っている場合に多いことが明らかとなった。今後は年金受給額が変化した場合の生涯ベースでの資産設計の変化を検証する予定である。

そもそも社会保障政策はこうした実証研究やデータセットなしに立案できないはずだ。政策論ではよく言及される所得代替率(現役世代の所得に対する年金の割合)だけを議論しても効果的な改革策は生まれてこない。個人の生涯ベースでの資産設計の中での年金の役割をしっかりとデータで把握することから、社会保障のあり方を議論すべきだろう。

2011年9月16日 日本経済新聞「やさしい経済学―ミクロデータから見た社会保障」に掲載

2011年11月2日掲載

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