第1次大戦でドイツは、イギリスによる海上封鎖で食料供給を断たれて降伏した。これを見た日本や米国は、今後は食料やエネルギーを含む総力戦になると考えた。日本は日米開戦前、「総力戦研究所」による机上演習で「必敗」の結論を出しながら意思決定に生かせなかった。逆に米国は、タイからのコメ輸送船を撃沈する「飢餓作戦」を日本に行い、降伏させた。
漢の劉邦が韓信や張良を差し置いて、物資の供給を担った宰相の蕭何(しょうか)を勲功第一に挙げたように、安全保障には食料や弾薬、エネルギーなどの兵たんが重要である。しかし、自民党総裁選のいずれの候補者も防衛装備を充実させる必要性は唱えても、兵たんには言及しなかった。
紛争に巻き込まれ輸入が途絶すると、戦時中の配給水準を賄うのに必要な1600万トンのコメのうち、半分しか供給できない。米価維持のための減反政策が原因だが、安全保障との関係で廃止を主張する候補者はいなかった。戦前、農林省の減反案を潰したのは、兵たんの重要性を理解していた陸軍省だった。
国民に食料を供給するのが目的のはずの農政は、食料安全保障を農家保護の口実としてしか使ってこなかった。輸入が途絶すると、あるだけの食料しか食べられない。国産とか輸入とか言ってはいられない。コメの生産には1年かかるので間に合わず、減反のせいで国民の半分が餓死しかねない。翌年も石油がなければ農業は成り立たず、増産どころか減産になりかねない。
農産物の加工・流通にもエネルギーが欠かせない。危機をしのぐには、減反廃止は当然だが、農家保護に巨額のコストをかけるより、輸入穀物や石油エネルギーを必要なだけ備蓄しなければならない。再び総力戦研究所が必要だ。
2025年10月7日 日本経済新聞(夕刊)「十字路」に掲載