早稲田大学地域・地域間研究機構(ORIS)が2022年11月に開催した国際シンポジウム「ロシアによるウクライナ侵略後の政治経済」では、政治・経済の両面から活発な議論が交わされました。経済パネルにおいて「機能不全に陥ったWTOと地域経済統合」をテーマに講演された浦田秀次郞先生に、経済連携の動向と日本の役割について聞きました。
自由貿易と経済圏の拡大を導く極東アジアのイニシアチブ
台頭する保護主義と機能しない国際経済システム
――ロシアによるウクライナ侵攻は、世界規模で進行する保護主義の台頭にも影響を与えているようです。どのようにご覧になっていますか。
ここ数年、各国による保護主義的措置が急激に増加しているのは確かです。米中間で繰り広げられる関税戦争、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う医療品の輸出規制、気候変動問題に絡む環境負荷製品への輸入規制など、その要因はさまざまあり、世界経済の構造そのものに大きな変化をもたらしています。ロシアのウクライナ侵略が食糧やエネルギー資源の高騰を招き、経済安全保障の必要性からハイテク製品などの取引規制が煽られていることも周知のとおりです。
そうしたなかで中国とロシアが接近し、協力関係を強化する動きを見せています。すると米中の対立は当然のように深刻化し、米国の同盟国である日本や豪州といった環太平洋の国々も中国との距離を取らざるを得なくなります。世界屈指の貿易大国である中国との関係悪化は、日本をはじめとする多くの国や地域の経済に多大な影響を与えないはずがありません。
本来はこうした場面で、保護主義を抑え自由貿易を促す世界貿易機関(WTO)が一定の役割を果たすべきところですが、これがほとんど機能していません。1つにはWTOが持つ紛争解決の機能が麻痺していることが挙げられます。自由貿易のルールを定め、それが守られるよう監視し、紛争が起きれば調停し裁定を下すのがWTOの役割です。その審理を担う上級委員会の運用に疑義を唱える米国が委員の選任を阻止しているため、事実上、紛争解決ができない状態が続いているのです。
また、2001年に開始された多角的貿易自由化交渉のドーハ・ラウンドが未だに合意を見ていないことも問題です。WTOが設立されたのは1995年ですが、それ以前のGATT(関税及び貿易に関する一般協定)時代に難航したウルグアイ・ラウンドの疲れが高じて、交渉が始まるまで6年を要したのに加え、その後も遅々として進んでいない。そうこうしている間に電子商取引などの新しい経済活動に対応するルールづくりが置き去りにされ、さらに新興国の台頭とは裏腹に先進国の経済的プレゼンスが低下するなど、ますます問題が複雑化しているのが実情です。
したがって、WTOに代わる別の多国間連携の枠組みに頼らざるを得ない状況が続いてきたわけですが、ウクライナ戦争による政治経済の混迷でさらにその重要性が高まってきたと言えるでしょう。
アジア太平洋を起点に活発化する地域連携
――FTA(自由貿易協定)/EPA(経済連携協定)の動きが注目されるわけですね。現状はいかがでしょうか。
アジア太平洋地域で経済連携が活発化しているのは非常に興味深い動きです。特に昨年(2022年)1月に発効したRCEP(地域的な包括的経済連携協定)を舞台として、今後ASEAN(東南アジア諸国連合)がどんな対応をしていくかに注目しています。この協定はASEAN10カ国に加え、⽇本、中国、韓国、豪州、ニュージーランドの15カ国が参加するもので、世界のGDP、貿易総額、人口の約3割をカバーする巨大なFTAとなっています。かつてのASEANは日本と中国、インドの狭間に埋もれてさほどの存在感は持てなかったのですが、急速な経済発展を背景に世界の政治経済に対する影響力を高め、RCEPの成立にも中心的な役割を果たしました。
これに先立ち、2018年12月にはCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)が発効しています。こちらはTPP(環太平洋パートナーシップ)として日本を含む12カ国間で署名まで進んでいたものの、トランプ政権に移った米国が2017年に離脱したため、残ったメンバーで再構築したもので、日本がその牽引役となりました。経済規模ではRCEPの半分にも及びませんが、労働や環境の分野もカバーするなど内容の包括性、自由化レベルにおいては勝っていると見られます。
――日本や豪州などの7カ国がRCEPとCPTPPの両方に加盟しています。合体という動きもあるのですか。
FTAAP(アジア太平洋自由貿易圏)と呼ばれる構想があります。2010年に横浜で開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議でも採択され、当時はその実現に向けて3つの道筋があるとされていました。すなわち、ASEAN+3(日・中・韓)、ASEAN+6(日・中・韓・印・豪・NZ)、そしてTPPですが、このうち前者の2つが合流してRCEPにつながったという流れです。したがって最終的には、APECに参加する21の国と地域のすべてが連携することが目標となるのは確かでしょう。
ただ、枠組みづくりはそう簡単ではありません。折からの米中対立があるなかで、米国不在のCPTPPには中国や台湾が加盟申請中で、逆に中国がいるRCEPからは成立の土壇場でインドが抜けました。インドは中国との自由貿易によって自国の製造業が打撃を被るのを阻みたかったのですね。さらにAPECにはロシアがいて、状況はますます複雑化しています。
いずれにしても、WTOの機能不全を根源として、それでは埒があかないと90年代半ばから活発化した地域連携を端緒に、独自のネットワークで自由貿易と経済成長を追求する動きが加速しています。実際、1948年のGATT発足以降、これまでに成立が報告されたFTAは600件に上り、うち約半数が現在も活動中です。今後いかにして世界規模のネットワークを構築するか、WTOの再興も含めた展開が待たれるところです。
日本のリーダーシップで産官学の経済協力を
――CPTPP成立に向けた日本の活躍は評価されているとのことですが、今後はどんな役割が期待されますか。
CPTPPとRCEPの加盟国拡大、特に米国とインドをどう巻き込むかが今後の課題だと思います。同時にWTO改革をどう進めるか。これは欧州諸国のイニシアチブに負うところが大だと思いますが、少なくともアジア太平洋地域においては日本が議論をリードするべきだと考えます。特に米国との関係も深いオーストラリアやカナダ、自由貿易の先頭を走るシンガポール、政治経済の影響力を強めているインドネシアといった、ミドルパワーとの協力体制を敷いて取り組む必要があるでしょう。
日本のGDPはかろうじて世界第3位ではありますが、今年中にもドイツに抜かれて4位に転落する観測が出ていますね。国際社会における日本の経済的プレゼンスが低下しつつあるなかで、主導的立場で議論を牽引できる時間も限られてくるでしょう。役割に期待するというよりも、日本は今、そうしなければならない状況にあると私は思います。
――その意味でも、こうした議論の場で学術界からも意見を発信することは重要ですね。
そう思います。米国のような同盟国とだけでなく、中国のような立場を異にする国・地域との間でも意見交換をすることは絶対に必要です。特に研究者は、政治や経済の利害関係とは切り離された立場で交流ができるわけですから、なおさら積極的に機会を求めるべきだと思いますし、そうした場を提供するこの地域・地域間研究機構のような学術機関の役割も大きいと思います。
英語ではよく、“agree to disagree”という言い方をします。意見の相違は仕方がない、違うこと自体を理解し、尊重し合うという意味です。国際関係においてもこれは必須の理で、そのためのコミュニケーションが欠かせません。今は国全体が内向きに偏っているように見えますが、きな臭い有事を起こさないためにも交流を深めてほしいと思いますね。研究者が間を取り持ち、政治家の交流を促すことがあってもいいでしょう。学生の皆さんにも、早いうちから海外に出てそうした経験を積むことを希望します。
――経済産業研究所(RIETI)の理事長に就任されました。学術交流をいっそう進めていかれますか。
そのつもりです。RIETIは、理論と実証の両面からの研究成果を政策現場に生かすために活動する政策シンクタンクです。政策現場では今、それぞれの政策に実質的な効果があるかどうかを統計データなどから厳密に検証し、その分析結果に基づいて優先的に政策を実施する姿勢、いわゆるEBPM(証拠に基づく政策立案)が求められています。まさにその分析・実証の研究を、行政からは独立した立場で担う組織がRIETIです。
EBPMは世界的な潮流ですが、諸外国の政策シンクタンクとRIETIが少し異なるのは、学術論文の世界的トップジャーナルに載ることを目指して研究する学者も数多く参画している点です。つまり、政策提言だけでなく、学術的成果も追究する。その両輪で知の交流を広げていきたいと考えています。2023年の世界の経済系シンクタンクランキング(IDEAS)でRIETIは19位に位置しているのですが、トップ10入りを果たすことが目標です。それくらいの実力・評判を得て、日本経済だけではなく、世界経済の抱える問題への解決に貢献したいですね。
2023年4月12日 早稲田大学 地域・地域間研究機構HP「ORISシンポジウムインタビュー/浦田秀次郎 名誉教授」(https://www.waseda.jp/inst/oris/news/2023/04/12/4814/)掲載