世界に誇るシンクタンクを目指して

浦田 秀次郎
理事長

2023年1月、RIETIの新理事長として、浦田秀次郎早稲田大学名誉教授が就任した。浦田新理事長は、国際経済学・経済発展論が専門であり、東アジアをはじめとする各国の経済発展の分析をはじめ、国家経済の発展に国際貿易や国際投資がどのように貢献してきたのか、さらには日本企業の海外展開が企業の生産性にどのような影響を与えたか等についての研究を進めてきた。
本インタビューでは、浦田新理事長のこれまでの研究や日本のFTA政策への貢献、日ASEAN関係の展望、RIETIの今後の方向性についての抱負を聞いた。

聞き手:佐分利 応貴 RIETI国際・広報ディレクター(経済産業省大臣官房 参事)

経済発展の研究からFTAの理論的支柱へ

佐分利:
最初に、これまでの研究についてお聞かせください。

浦田:
私の研究の中心は、国際経済学の経済発展論という分野です。国家が経済発展する要因はさまざまありますが、中でも国際貿易や国際投資がどのように各国の経済発展に貢献してきたかを研究してきました。

経済発展は産業構造の変化を伴います。私が世銀(世界銀行)で研究をしていた頃(1981-1986)は、各国の経済発展が、農業からより生産性の高い製造業へ、さらにサービス業へと移っていく産業構造の変化について、国レベル、産業レベルでモデル分析をしました。

これが、1990年代に入ると、企業レベル、工場レベルのマイクロデータが使えるようになり、さらに細かく経済活動を見ることができるようになりました。2001年にRIETIが創設されてファカルティフェローになってからは、日本企業の海外展開が企業の生産性向上にどのように影響してきたのかを分析しました。

佐分利:
産業構造の転換は、経済産業省が通商産業省だった時代からの大命題であり、今でも経済産業省には産業構造課があります。産業構造論の専門家に理事長として来ていただき、とても心強い思いがいたします。

世銀は1993年に『The East Asian Miracle: Economic Growth and Public Policy(東アジアの奇跡―経済成長と政府の役割)』を発表しましたが、理事長はこのレポートにも関係されたのでしょうか。「ひもつき」と非難されていた日本の途上国援助を、このレポートは高く評価してくれていて、担当者だった私もとても勇気づけられました。

浦田:
ホリス・チェネリーという有名な経済学者がいまして、ノーベル賞候補とされていました。彼の有名な論文はCES production functionという生産要素間の弾力性に関するもので、共著者であるアローやソローはノーベル賞を取っています。彼が世銀の研究担当副総裁で、私は彼に誘われて世銀に入りました。

『東アジアの奇跡』の編集リーダーはジョン・ペイジで、私は世銀で彼と同じ課にいました。当時世銀では「東アジア奇跡論争」があって、政府の支援があったから経済成長が実現したという見方と、政府の介入がなければ民間のダイナミズムでもっと成長したという見方がありました。確かに日本、韓国、台湾は政府が経済成長に貢献した代表例ですが、他の国では官僚の質が良くなかったり汚職が多かったりしたので政府の貢献はあまりなかったように思います。

一方、「東アジアの奇跡」で着目された日本の援助、特にインフラの整備の効果は経済学でも説明できますし、これが途上国の経済発展、経済成長に非常に重要だったことには異論はないでしょう。

佐分利:
浦田先生は、日本のFTAの理論的バックボーンを作られたとお聞きしています。

浦田:
私自身、政策に強い関心を持って研究をしてきました。世界の貿易政策の流れとして、戦後に「関税および貿易に関する一般協定」(GATT)が作られ、その下で世界大で貿易の自由化が進み、経済が発展してきましたが、その後GATTでは貿易の自由化が進まなくなってきて、1990年ごろから特定の国の間で貿易を自由化する自由貿易協定(FTA)が盛んに締結されるようになります。

こうした中、最初に日本がFTAを結んだ国がシンガポールです。日・シンガポール経済連携協定(EPA)は2002年に締結され発効するのですが、多くの政策担当者や研究者の関心が、世界レベルの貿易自由化から二国間あるいは複数国間での貿易自由化に移っていきました。RIETIでの私の最初のプロジェクトもFTAに関する研究です。

佐分利:
FTA交渉の経験を経て、今では日本が「自由貿易の旗手」といわれるまでになりましたね。

浦田:
トランプ前大統領が環太平洋パートナーシップ(TPP)脱退を表明したため、日本にチャンスが与えられたわけですが、そうした機会をうまく捉えて日本が自由貿易の維持に重要な役割を果たしたことは高く評価されていいでしょう。

日ASEAN関係とERIAへの貢献

佐分利:
先生は東アジア・アセアン経済研究センター(ERIA:本部ジャカルタ)での研究も進められてきました。今後、日本とアジアの関係、アジア経済はどうなっていくのでしょうか。

浦田:
日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)の友好協力関係は今年で50周年を迎えます。外務省や経済産業省などでもいろいろな催しが準備されています。

ASEANは、対立していた東南アジア諸国間の平和や政治的安定を目指して1967年にインドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイの5ヶ国により作られた組織です。これらの国の政治的な安定が実現して経済協力が始まり、そこにASEAN以外の国として最初に熱心にアプローチしたのが日本でした。日本はASEAN諸国に政府開発援助(ODA)を使ったインフラ整備や人材育成の協力を行い、それらをうまく活用する形で民間企業も積極的に進出していったのです。

日本の直接投資を見ると、ASEAN加盟国10カ国には中国の倍ほどの投資残高(約33兆円)があり、日本企業の途上国への進出という意味ではASEANが最も重要な地域です。また貿易でもASEANは日本にとって非常に大きな位置(中国に次ぎ15%)を占めています。ASEANにとっても、日本との関係はASEANの経済発展に非常に役立っているという認識があり、そういう意味では、ウィンウィンの関係にあるといえます。

一方で、中国の方が日本よりもASEANに距離的に近く、一部の国は地続きですから、鉄道や道路により中国とASEANのつながりは非常に緊密になっています。ASEAN各国の主要貿易相手国は、日本ではなく中国です。

佐分利:
日本とASEANは経済安全保障という点でも重要なパートナーですが、これまでは「上から目線だ」などと言われることもありました。日本は今後ASEANとの関係を大きく変える必要があるのでしょうか。

浦田:
以前のASEANにとって、外国企業は日本、米国、欧州の企業でしたが、今では中国、韓国、台湾などいろいろな国の企業がASEANで活動しています。それだけASEANの市場は競争も厳しくなってきており、「上から目線」は絶対に避けるべきでしょう。日本企業が学ぶべきASEAN企業も数多くあります。

2008年に日本のイニシアチブで設立された国際機関であるERIAは、同地域に対する重要な日本の貢献だと言えるでしょう。東アジアの経済発展のための知的貢献を行うことがERIAのミッションですが、ASEAN事務局との関係も良好ですし、ERIAはその役割を効果的かつ誠実に果たしていると思います。

今後の抱負

佐分利:
今後の抱負をお聞かせください。

浦田:
これまでRIETIにファカルティフェローとして参加し、RIETIのもつ優れた知的ネットワークに感銘を受けていましたが、RIETIはさらに文理融合やEBPMといった新しいテーマにも果敢に取り組んでいて素晴らしいと思います。先輩方が敷いたレールをきちんと受け継いで、より強固なものにすることが私の使命だと思っています。

国際化にも非常に関心があります。RIETIは世界に誇れる組織であり、国際的なシンクタンクのランキングでもトップ10を目指せると思います。

2023年2月15日掲載

この著者の記事