TPP 問われる日本 世界貿易・投資の低迷防げ

浦田 秀次郎
ファカルティフェロー

2月22~25日にシンガポールで開かれた環太平洋経済連携協定(TPP)交渉の閣僚会合は大枠合意を断念し、決着を先送りした。昨年12月の閣僚会合に続く交渉物別れである。今後も交渉が継続される見通しであるが、次回の交渉日程が決まっていないことなどから、停滞感が強まっている。このままでは交渉は勢いを失い、世界貿易機関(WTO)の下での多角的貿易自由化交渉であるドーハ・ラウンドのように漂流してしまう可能性が高い。 大枠合意を断念した背景には、知的財産権の保護、国有企業に対する優遇策、環境規制などをめぐり、米国などの先進国と、マレーシアやベトナムなどの新興国が対立したこともあった。だが最大の障害は、交渉に参加している12力国の中で圧倒的な経済規模を有する日米両国による関税分野での対立であった。

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日本が米国の要求する全農産品の関税撤廃に抵抗したのに対し、米国は日本の要求する自動車関税の撤廃時期の明示や部品の関税撤廃に抵抗した。両国政府の抵抗の背景には自由化に反対する国内業界と業界から支持を得ている政治家の存在がある。本稿では改めてTPPの重要性を確認し、合意に向けて日本の取るべき方策を考えてみたい。

TPPの起源は2006年にシンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイのアジア太平洋経済協力会議(APEC)に属する4力国によって設立された、加盟国間の貿易を自由化する自由貿易協定(FTA)で、当初はP4と呼ばれていた。特に注目されるようになったのは10年に米国、オーストラリア、ペルー、ベトナムが加わり、拡大TPP交渉が開始されてからである。

その後、マレーシア、カナダ、メキシコ、日本が交渉に参加している。FTAの交渉過程での交渉国の拡大は珍しく、TPP参加の重要性を認識する国が多い証左である。TPPの最終目標はAPECメンバーを構成員としたFTAのアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)である。

TPPは高水準の市場開放だけではなく、透明性や安定性の高い自由で公正な市場ルールを構築することで、アジア太平洋地域、ひいては世界経済の成長実現を目的とした包括的なFTAである。アジア太平洋諸国は貿易・投資政策の自由化によって市場を開放することで貿易・投資の拡大に成功し、高成長を遂げてきた。

ただし、日米を含む先進諸国では一部の分野で貿易・投資障壁が残っている。また、重要性を増している中国やベトナムをはじめとする新興国市場では、多くの分野で高い貿易・投資障壁が残っているだけではなく、市場ルールが整備されていない。TPPの構築によってこれらの問題を改善することが、労働や資本の有効活用を可能にするとともに企業によるサプライチェーン(供給網)を中心とした活動の効率的な運営を可能にし、アジア太平洋経済のさらなる成長を実現する。

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TPPの詳細は交渉中のため未定であるが、以下のような項目が含まれることが予想される。モノの貿易では農産品・工業製品に対する関税の撤廃、サービス部門での貿易・投資の自由化、WTOで十分にルール化されていない知的財産権、競争政策、労働、環境などの分野でのルール構築、貿易・投資に影響を及ぼす規制政策に対する分野横断的問題へのアプローチの構築などである。

これらの内容から分かるように、TPPはモノの貿易自由化といった伝統的な通商政策から「21世紀的」な通商問題に至る広い範囲をカバーしており、最先端の貿易制度になる可能性が高い。TPP交渉に参加している12力国の国内総生産(GDP)が世界全体に占める割合は38%(12年)であるが、TPPがFTAAPに拡大すれば57%になり、TPPが世界の貿易制度に発展する可能性がある。

ドーハ・ラウンドが進まないなかで、貿易自由化に対して同じような考えを持つ国々との間でFTAが数多く締結され、貿易・投資の拡大に貢献している。

これまでのFTAは2国間・複数国間の協定が中心であったが、TPP交渉開始とその後の日本の交渉参加に触発され、東南アジア諸国連合(ASEAN)・日中韓・インド・豪州・ニュージーランドの16力国による東アジア地域包括的経済連携(RCEP)、欧州連合(EU)・米国による環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)、日EU間のFTAなどのメガFTA交渉が開始された。

メガFTA交渉によって世界の貿易・投資政策の自由化の流れが保たれているが、TPP交渉がつまずくと他のメガFTA交渉も失速する可能性が高く、世界の貿易・投資が低迷してしまう。

12年に誕生した第2次安倍晋三政権は、3本の矢(大胆な金融緩和、機動的な財政出動、成長戦略)からなるアベノミクスを実施した。第1と第2の矢が放たれたことで、株価上昇や円の下落をもたらし、日本経済の回復が進んだが、世界経済減速の影響なども受け、その後は回復ペースが鈍化している。

少子高齢化や巨額の政府債務残高などの深刻な問題を抱える日本経済の再興には、TPPと構造改革を核とした第3の矢である成長戦略の実行が欠かせない。他方、米オバマ政権もTPPを雇用増大につながる輸出拡大のための重要な政策と捉えている。

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米ブランダイス大学のピーター・ペトリ教授による経済モデルを用いたシミュレーション分析によれば、TPPの発効は日本と米国のGDPを、それぞれ2.0%、0.4%引き上げる(表参照)。さらにFTAAPの発効は日本と米国のGDPを、それぞれ4.3%、1.3%引き上げる。ちなみにTPP、FTAAPによる世界のGDPの引き上げ効果は、それぞれ0.2%、1.9%である。

表:メガFTAがもたらす経済効果
(日、米、世界のGDPの押し上げ効果)
TPPRCEPFTAAP
日米など環太平洋の12カ国ASEAN諸国や日中韓など16カ国APEC参加の21カ国・地域
日本1.96%1.79%4.27%
米国0.38%0.00%1.31%
世界0.22%0.62%1.86%
(出所)米ブランダイス大学のペトリ教授による推計

日米が両国だけではなく、アジア太平洋、さらには世界経済にとってのTPPの重要性を認識するならば、双方が譲歩することで交渉合意を実現させることが極めて重要であることは、容易に理解できるであろう。

合意に向けての米国での障害は自動車分野での関税撤廃への抵抗であり、日本での障害は農産品市場の自由化への反対である。具体的には、コメ、麦、牛・豚肉、乳製品、砂糖の「聖域」5項目の自由化への抵抗が強い。これらの5項目の品目を関税撤廃から除外すると、自由化率は93.5%となる。

TPPの目標は自由化率100%であるが、多くの交渉参加国では政治経済状況から100%は難しいとしても、日本を除くTPP交渉に参加する先進国が発効させてきた多くのFTAの自由化率が約98%以上であることを考慮するならば、交渉合意にあたっては97~98%程度の自由化は必要となるであろう。

発効済みFTAでの自由化率が90%に満たない日本には極めて厳しい水準だが、関税の段階的削減や、生産減や失業への一時的補償などの政策で対応可能である。自由化を進めるには、構造改革による競争力強化が重要である。農産品の自由化は食料品価格の低下を通じ、所得の伸びていない日本の消費者、特に低所得者に大きな恩恵を与えることも忘れてはならない。

米国で11月に実施される中間選挙の日程を考慮するならば、TPPの早期実現に向けて残された唯一の希望(チャンス)は4月に予定されている安倍・オバマ首脳会談での大枠合意である。合意形成にあたっては、首脳会談までに両首脳が政治的リーダーシップを発揮してTPPの重要性や必要性を国民に分かりやすく説明し、国内の反対派を説得するとともに交渉担当者に対して合意に向けて適切な指示を与えなければならない。

2014年3月21日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2014年4月14日掲載

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