アジア研究報告―インドの活力取り込め

浦田 秀次郎
ファカルティフェロー

インドは中国と並んで、人口が多く高度成長が続き、世界から注目を集めている。両国の経済は、2008年9月の米国でのリーマン・ショックをきっかけとした世界経済危機の影響から、一時的に成長率を鈍化させたが、09年になると回復に転じた。欧米諸国や日本などの先進諸国に比べ、回復が早いインドと中国の経済は、世界経済のけん引役になるとの期待が高い。

日本経済研究センターは、インド経済の高成長をもたらした要因を分析するとともに、さらなる成長に向けた課題を明らかにし、それらの課題への対応を検討、報告書をまとめた(主査は筆者)。また日本経済がどうすればインド経済のダイナミズムを取り込めるのかにも注目した。

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08年のインドの国内総生産(GDP)は1兆2175億ドルと、中国の約3割、日本のほぼ4分の1であるが、購買力平価で換算すれば米国、中国、日本に次いで既に世界第4位の経済大国である。人口は約11億人、国土面積は約328万平方キロメートルと、いずれも日本の約9倍である。人口では若年人口の比率が高く、土地では耕地面積が大きい。

1947年の独立後、インドは社会主義的な統制経済下で保護政策を採用し、輸入を国内生産で代替する形で工業化を進めたが、効率的な生産は実現できず、期待した成長が達成できなかった。自然災害や印パ戦争などの非経済的要因も成長を阻害した。80年代に入り、経済自由化を徐々に進め、成長率は上昇したが、財政・経常赤字が拡大。91年には深刻な危機に陥った。

これに対しシン財務相(当時、現首相)の指導の下、経済改革が進められた。具体的には、貿易や直接投資政策などの対外経済政策の自由化、金融制度改革、産業許認可制度の撤廃などが進められ、競争原理が機能するようになり、民間企業の活動が活発化した。経済改革の本格的な成果は2000年以降、表れた。91~03年までの実質年平均成長率は6%弱だったが、03~07年までの年平均成長率は8%以上を記録した。

90年以降のインド経済をけん引してきたのはサービス部門だが、中でも新しい顔として台頭したのがIT(情報技術)産業である。IT革命とグローバリゼーションが追い風となって、優秀なIT人材を豊富に有するインドのIT産業は急速に発展した。

2000年代に入ると、高成長で国民の所得と購買力が増加し、一定の購買力を持つ中間層と呼ばれる所得階層が大きく台頭する。企業は拡大した購買力を狙って乗用車やバイク、家電や携帯電話などで魅力的な商品を投入し消費を喚起した。例えば地場最大のタタ自動車は10万ルピー(約22万円)の超低価格車を開発し、販売拡大を狙っている。また激しい企業間競争で携帯電話料金が大きく低下、携帯電話の加入件数は、この2年、ほぼ毎月1000万件以上増加している(図)。さらにFMCG(Fast Moving Consumer Goods)と呼ばれるシャンプーやリンス、飲料など日常使われる日用品市場・産業が拡大している。消費の拡大は企業の投資を促し、経済成長の好循環が形成された。

インドの電話加入件数

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若年人口増加、旺盛な消費需要、堅調な投資、拡大する貿易・直接投資など高成長につながる要因は少なくないが、克服すべき課題も多い。

第1に、インフラの未整備が挙げられる。道路、鉄道、港湾などの物流部門や電力部門の大幅な投資不足は深刻である。これが円滑な経済活動を困難にするほか、成長に貢献する外資導入を抑制する。インド政府もインフラ整備の重要性を強く認識しているが、資金調達や規制について権限を持つ中央政府と地方政府による調整が課題である。

教育も深刻な課題だ。経済成長には有能な人材が不可欠で、人材の育成には教育・訓練が必要だが、初等、中等、高等とすべてのレベルでの教育が不十分である。初等教育では、児童が家業や農作業に動員され、3分の1近くが中途で退学してしまう。高等教育への進学率も10%程度と低い。将来のけん引役と期待されるIT産業をはじめ医療サービス、バイオテクノロジーなどの知的集約産業の発展には高等教育の充実が必要である。若年人口増加は雇用が確保されれば成長をもたらすが、雇用機会が乏しく失業が増えれば、成長を抑制する。若者の雇用機会を増やすには、教育や訓練を通じて能力を高める必要がある。

農業分野もインド経済に大きく影響する。GDPに占める農業の比率は年々低下し、08年度は約17%になったが、総人口の3分の2が農村部門に暮らしており、不作に陥ると農村部の広い範囲で所得と消費が減退し、国全体の成長の足を引っ張る。農村部の多くが貧しく、社会・政治面で影響を及ぼす。灌漑や農道など農村インフラ不備に加え、投資不足や技術導入の遅れなどが問題で、政府は金融機関から農民への貸し出しを拡大させているが、資金面だけではなく、技術導入や販路拡大など資金面以外での支援も必要だ。

経済改革がかなり進んだ半面、依然、労働関係法は被雇用者に手厚く、法制度の順守も徹底されず、外資制限、輸入保護など、改善すべき政策・制度は多い。農民や被差別カースト民らの政治意識が高まっているが、政治家の中には農民や労働者の痛みを伴う改革に抵抗する向きも多い。

財政赤字、医療問題、エネルギー・環境問題なども適切な対応を必要とする課題である。これらの課題の対応には自助努力が最も重要だが、日本などの外国からの支援も有効に活用すべきである。

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日本は高成長が予想されるインドとの経済関係を緊密にして経済的メリットを享受すべきだろう。日印経済関係は、この数年、直接投資と貿易を中心に大きく拡大してきたが、両国の経済規模からすると低水準である。日印経済関係のさらなる拡大には相互に貿易や投資障壁を削減する自由貿易協定(FTA)交渉の早期合意や構想段階にある東アジア包括的経済連携協定(CEPEA)を実現させることが重要である。

最近の日印経済関係における最大の構想は「デリー・ムンバイ間産業大動脈」である。同構想は、デリーとムンバイを結ぶ1483キロメートルの地域を、東京と大阪を結ぶ環太平洋工業ベルト地帯と同じような産業地帯に開発するという壮大な計画である。実現すればインド経済の成長に寄与し、日系企業のビジネスチャンスも拡大するが、成功させるためにはいくつかの課題をクリアしなければならない。それらは、日本による十分な投資、日本政策金融公庫の国際部門である国際協力銀行による事前調査案件に対する融資に関するインド政府の政府保証、関連する6州における工業団地の調整やインフラ整備の問題などである。

環境問題は持続的な経済発展の前提となる難問だ。インド経済は既に巨大で一段の拡大が予想されているだけに、地球環境問題で果たす役割は大きい。環境分野で競争力を持つ日本企業が、今後、活躍する余地は大きいだろう。

経済関係の強化には人材交流が重要な役割を果たすが、日印での人材交流は極めて低水準にとどまっている。人材交流では日本に不足しているIT人材などの専門家の受け入れや留学生交流が鍵となる。日本学生支援機構によれば、日本へのインドからの留学生の数は09年度においてはわずか543人であり、中国の7万9082人に遠く及ばないだけでなく、インドよりもかなり人口の少ないネパール(1628人)やスリランカ(934人)より少ない。インドからの留学生が少ない最大の理由は語学であるが、日本での就職の難しさもある。留学生の増加には、日本の諸大学によるインドの大学との協力関係の拡大や日本企業によるインド人留学生の採用拡大を進めることが重要である。

2010年1月15日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2010年2月3日掲載

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