APEC戦略、再構築急げ

浦田 秀次郎
ファカルティフェロー

アジア太平洋経済協力会議(APEC)は、関税貿易一般協定(ガット)のウルグアイ・ラウンドが暗礁に乗り上げ、欧州で地域主義が進展する中で、アジア太平洋諸国が相互に市場を開放し、地域や世界経済の成長に貢献することを目的に1989年に設立された。メンバーも発足時の日本、米国、オーストラリア、韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国など12カ国から拡大し、中国、ロシアなども加盟したことで、現在、21カ国・地域となっている。

APECの中で中心的な役割を果たしてきた日本にとって、発足20年目の節目にあたる今年は、これまでの成果を評価するとともに将来を考え、APEC政策を再構築する上で重要な年となる。

先進国メンバーにとって貿易と投資の自由化実現をうたったボゴール目標の達成年である2010年が来年と、目前に迫る(途上国・地域メンバーは20年)。日本は同年の議長国で、その役割を果たす上からも、本年は入念な準備が求められよう。現在は経済危機に見舞われているが依然として世界で最も影響力を持つ米国で新政権が誕生することも、東アジアでの地域的枠組みづくりに熱心に取り組んでいる日本にとり、アジア太平洋戦略を再構築する必要性を増加させることになる。

日本経済研究センターでは、過去3年、東アジアの経済統合について研究を行ってきたが、今年度は分析対象をアジア太平洋に拡張し、APEC地域における経済動向と発展への課題を検討し、日本のAPEC戦略について提言をまとめた(主査は筆者)。

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06年時点でAPECは、国内総生産(GDP)でみて世界の55%、人口では40%と、世界経済で重要な位置を占める。加盟国・地域の多くは高い成長率を記録しているという共通点を持つ一方、人口、経済規模、経済発展段階などでは多様性に富む。

1人当たりGDPでは最高の米国と最低のベトナムの間には60倍の差がある。こうした経済発展格差は各国間の賃金格差となって表れ、多国籍企業による工程間分業を可能にしている。東アジアでは日中韓ASEAN、北米では米国・メキシコにおいて電子機械などで工程間分業による地域生産ネットワークが形成され、経済成長の推進力となっている。加盟国・地域内で天然資源に恵まれた国々がある一方、恵まれない国々があるため、食料品やエネルギーの貿易でも輸出国と輸入国が存在する。

こうした多様性は相互補完的な貿易構造を生み出しており、APECの対世界の貿易に占める域内貿易の割合を70%と極めて高い水準に押し上げる要因になっている。域内の高成長は財やサービスの貿易、投資の活発化によるところが大きいが、その中で米国は財貿易の最終消費地、サービス貿易の競争力のある担い手、投資の大きな供給国・受け入れ国として重要な位置を占めている。

貿易・投資拡大の背景にはAPECや世界貿易機関(WTO)の下での自由化がある。しかし、多くの加盟国・地域、特に発展途上国・地域では、一段の自由化の余地が残っている。財貿易では輸入関税は農産品などの一部の商品を除けばかなり削減されてきたが、基準・認証などの非関税障壁は増加している。サービス貿易や投資については自由化のみならず政策の透明性や運用における煩雑さなど円滑化の遅れが障害となっている。APECではそれぞれの自発性により進めていくことから、自由化が容易な分野では自由化は進むが、難しい分野では保護が残ってしまう。

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そうした中、06年のAPEC会合で米国が提案した加盟国・地域による自由貿易協定(FTA)であるアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)構想の検討が進んでいる。FTAAPが形成されれば欧州連合(EU)をしのぐ世界最大の市場となる。そこで一般均衡モデルを用い、FTAAPのほか、(1)検討段階にある日中韓FTA(2)ASEAN+3(日中韓)FTAおよび(3)APECで経済協力開発機構(OECD)に加盟している国々によるFTA(APEC先進国)に関し、加盟国・地域経済への影響を分析した。

その結果、FTAは加盟国・地域のGDPを引き上げる効果を持ち、加盟国数の増加とともにGDP引き上げ幅も拡大する傾向が確認された。FTAAPによる日本のGDPの引き上げ効果は0.8%にのぼり、他のFTAによる効果よりもかなり大きい(図)。自由化効果としては、サービス貿易障壁の撤廃が関税撤廃よりも大きい。分析では経済成長に大きな影響を与える直接投資を考慮していないため、実際の値はさらに大きくなるとみられる。

FTAによる日本のGDPへの影響

APECには米国、カナダ、豪州など世界有数の農産物輸出国があるが、日本や中国などの大きな輸入国もある。農産物輸出入額はAPEC全体では1990年代半ばまでは輸出超過だったが、その後は輸入超過に転じ、近年、その額は拡大している。農産物の安定供給は人間が生きていく上での必要条件であることから、多くの国々では国内生産の維持・拡大を目的として農業が輸入から保護されている。APECの中では、日本と韓国の保護水準は極めて高い。ただし、農業保護は国内農業の非効率を助長し、期待とは逆に輸入依存度を高めるだけではなく、FTAの障害になっている。

APECでは、中小企業や人材の育成など様々な分野でも協力が行われており、中でも最も活発に協力が行われている分野の1つがエネルギー分野である。APECではアジア途上国を中心にエネルギー消費が増加している状況の中で、気候変動問題への関心も高まっており、各国レベルでエネルギー安全保障や地球温暖化対策が進められている。これらの個別の取り組みを補完し効果的に対応するには地域協力が有効である。

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APEC諸国・地域は輸出と直接投資をテコに順調な経済成長を遂げてきた。現在、世界金融危機の影響から経済が低迷しているが、危機を脱し成長軌道に回復すれば、以前のような順調な経済成長が期待できる。その際、貿易と投資の拡大が重要な役割を果たすと思われるが、それには貿易・投資の自由化および円滑化の促進が不可欠である。従来の自主性に任せるのではなく、拘束力のあるFTAAPの設立が有効であろう。

農業保護などの問題から、近い将来におけるFTAAPの実現は難しいとの見方が多いが、そうした中で、APECの一部のメンバーが自由化度の高いFTAの設立を開始した。現段階では、シンガポール、チリなどの4カ国によるFTA(P4)が発効しているが、本年には米国、豪州なども参加する環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)が具体化しそうだ。米国とのFTAが発効すれば韓国も参加するという見方もある。農産物輸入自由化が障害となって、日本がこれからの国々とのFTAを締結することができなければ、輸出機会の削減という形での被害が発生する。そのような事態を避けるためにも、農産物自由化を決断しなければならない。

わが国が10年にAPEC議長国を務めることは、自国の将来に大きな影響を与えるアジア太平洋でのプレゼンスを拡大させる好機である。具体的には、日本はボゴール目標の達成度についての評価とAPECの次の目標の設定において中心的役割を果たすべきである。同目標の達成度の評価については産官学での検討が有効であろう。

また、その次の目標としては、貿易自由化だけでなく、投資自由化、貿易・投資円滑化、経済技術協力などが考えられ、その中でも特に日本が競争力を持つ環境対策を採り入れたグリーンFTAAPの創設を提案したい。10年のAPECに向けて日本は東アジアでの地域的枠組み(CEPEA)構築の動きとの連携を深めるとともにAPECの他のメンバー、特に、本年の議長国であるシンガポールと11年の議長国である米国と綿密な戦略調整をしていくべきである。

2009年1月19日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2009年2月5日掲載

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