アジア研究報告 利益大きい経済圏広域化

浦田 秀次郎
ファカルティフェロー

東アジアの経済統合は、日中韓だけでなく、インドやオーストラリアやニュージーランド(NZ)も加えた東南アジア諸国連合(ASEAN)+6という広域の枠組みで進める方が参加国の利益が拡大する。日本は農業を軸に自由化と構造改革を進め、ASEAN+6の自由貿易協定(FTA)設立に向けた先導的な役割を果たすべきである。

1997年のアジア通貨危機後、東アジアではASEAN+3(日中韓)の枠組みで首脳会議、諸大臣会合、分野別会議などを通じた地域協力が進んできた。その中で、日本の主張とASEANの中でそれを支持するシンガポールやインドネシアなどの意向が通る格好で、インド、豪州、NZも含めた16カ国(ASEAN+6)で2005年12月に第1回東アジアサミットが開かれた。

存在感が高まるASEAN+6

日本は経済連携や環境などの分野でASEAN+6での協力のイニシアチブを取っている。東アジアの経済成長推進へ向けた政策提言を目的とする東アジア版の経済協力開発機構(OECD)ともいえる「東アジア・ASEAN経済研究センター(ERIA)」構想やFTAを含む東アジア包括的経済連携協定(CEPEA)構想を提案、実現に向けて活動している。

ASEAN+6の枠組みでの協力は始まったばかりだ。日本経済研究センターでは、東アジアの地域協力枠組みにインドなど3カ国を加える意義と課題を検討し、課題克服にあたっての提言をまとめた(主査は筆者)。

中国やインドの高成長を背景に、ASEAN+6は世界経済において重要性を増している。05年時点で国内総生産(GDP)では世界の4分の1、人口では2分の1を占めている。経済の拡大は域内を中心とした財・サービス貿易及び直接投資の拡大を伴った。ASEAN+6諸国間の域内貿易依存度は上昇して40%を超えたが、豪州とNZでは50%半ばで極めて高いのが、インドでは30%未満と低い。

潜在性高いインド市場

ASEAN+3諸国間では機械産業を中心に、多国籍企業による直接投資を用いた域内生産ネットワークが構築されているが、インド、豪州、NZはそうしたネットワークには組み込まれていない。ただ、コンピューターや自動車など一部の製品はインドも部品や情報サービスの提供を通して生産ネットワークに組み込まれつつある。

インド、豪州、NZが加わると、ASEAN+3は、鉱物資源や一次産品の調達先確保やインドの消費市場開拓でメリットが大きい。ただし、付加価値が高くないインド市場は、高付加価値の財・サービスの供給に事業の絞り込みがちな多くの日本企業には対応が難しい。半面、日本企業が事業展開に消極姿勢を続ければ、インド市場から生まれる巨大な需要を取り逃がしてしまう。

インド経済の先行きは明るいとの見方が多いが、雇用拡大と貧困削減をにらんだ高成長実現を目指す上で解決すべき課題も多い。規制緩和徹底と政府、中でも特に地方政府のガバナンス(統治)の向上は深刻な課題で、労働市場改革も進んでいない。インフラも不足している。

インド、豪州、NZはASEAN+3との貿易・投資関係を強化することで経済成長を促進できる。貿易・投資の拡大には貿易・投資の自由化が不可欠である。インドは91年の改革以来、自由化を進めてきたが、複雑な関税制度や非関税障壁は残っている。投資可能分野も拡大しているものの、外国企業の行動は制限されており、自由化の余地は大きい。

ASEAN+6でのFTA形成による貿易自由化の効果に関し、一般均衡モデルを用いたシミュレーション分析では、ASEAN+6のGDPは2.1%の押し上げ効果を持つことが示された。ちなみに日本のGDPは0.5%上昇する。

アジアでは現在、ASEANを軸に、ASEAN+中国、ASEAN+韓国などのようにASEAN+1という形のFTAが形成されつつある。一方、ASEAN+3FTA構想(東アジアFTA構想)も検討されている。それらのFTAについてもシミュレーション分析を行ったが、ASEAN+6FTAがASEAN+6にとり最も大きな経済的利益をもたらすとの結果が得られた(表)。

東アジアFTAのGDPへの効果

背景には閉鎖的であるが大きなインド市場の開放による分業機会の増大がある。ただしこの結果は経済成長に寄与する直接投資などを考慮していないことから、実際の値を過小評価している可能性が高い。

FTAの障害になるといわれる農業を見てみよう。主要農産物輸出国の豪州や、乳製品に比較的優位を持つNZ、広大な国土で多様な農業を展開するインドを加えたASEAN+6で農業をみると、ASEAN+3とは違った姿が浮かび上がる。

豪州、NZ、インドともに輸出超過である。インドの輸出超過は農業政策失敗の結果でもあり、今後は人口増や所得上昇で国内消費が拡大し輸出の減少が予想される。一方、豪州とNZからの輸出は続くだろう。日本と韓国の輸入超過傾向は今後も続きそうだ。中国の場合、現時点では農業の輸出入がほぼ均衡しているが、経済成長に伴う食糧需要増大や工業化の進展を考えると輸入超過になる可能性が高い。

このように、ASEAN+6には農産物輸出国と輸入国が混在しているが、域内貿易依存度は低い。このことは域内貿易拡大により域内自給率が引き上げられる可能性が高いことを示唆する。

エネルギー分野では、インドや豪州が加わることで好ましい効果が期待できる。国際エネルギー市場で存在感を増しつつあるインドは中国などと同様に、今後もエネルギー需要の高い伸びが予想されており、ASEAN+6での協力は需要を確保したい中東やロシアなどのエネルギー生産国に対する交渉力強化につながる。エネルギー資源大国であり輸出国である豪州が地域協力に加われば、石炭や天然ガスなどの域内依存度が高まる。

政治の指導力と国民の支持必要

ASEAN+6などの地域主義がもつ有益な機能の1つは、様々な会議などを通じ、貿易、財務など、関連省庁の実務者間の地域ネットワークが形成され、情報交換を密に行う手段が多層的に構築されることだ。その結果、東アジア諸国の実務者間に「一体感」がはぐくまれ、参加国の政策的関心が共通化されよう。地域協力の進め方に、いまだ意見や利益の相違が顕著である東アジアにおいてこそ、このような機能の充実が望ましい。

ASEAN+6協力で主導的立場にある日本は議論を促すだけではなく、実際に協力を進めるべきだ。具体的には、ASEAN+6各国とともにERIAとCEPEAを本格的に稼働させるために事務局の設立と効率的な運営ができるように人材と資金を投入する必要がある。また、ASEAN+3の枠組みで活動している会合やプロジェクトにインド、豪州、NZを参加させるように賛同者とともに強く働きかけるべきである。

ASEAN+6経済連携の中心的な柱となるのはFTAだが、日本はASEAN+6FTA設立に向けて先導的役割を担うべきだ。しかし、貿易自由化により被害を受ける可能性が高いと思われている農業部門からの反対が強いことから、期待される役割を果たしていない。農業自由化の議論では被害だけが強調されているが、被害を抑える措置は可能であるだけではなく、自由化を構造改革と同時に進めることで、日本の農業の明るい将来も見えてくる。

日本が農業部門の自由化と構造改革を進め、ASEAN+6FTA設立の先導的な役割を果たすとともに、エネルギーや環境など様々な分野で協力を進めることは、日本や東アジアの明るい将来に大きく貢献する。そのような役割りを日本が果たすには、先見性のある政治家の強いリーダーシップとそれを支える国民の支持が不可欠である。

2008年1月25日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2008年2月1日掲載

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