アジア研究報告 協力推進 分野ごとに

浦田 秀次郎
ファカルティフェロー

発展段階や政治制度などで各国間に大きな差がある東アジアは、制度を構築するより分野ごとに協力を進めながら段階的に共同体を形成していくのが望ましい。その際、対象地域を広げる方が一段と大きな経済成長をもたらす。

貿易投資拡大に一段の自由化を

今月半ば、フィリピンのセブ島で、第10回となる東南アジア諸国連合(ASEAN)+3(日中韓)首脳会議と第2回東アジアサミット(EAS)が続けて開催された。東アジアでの地域協力はまず、東アジア危機をきっかけにASEAN+3を中心に始まり、1997年の第1回首脳会議以来、毎年の首脳会議や閣僚会合で経済、エネルギーなど17分野・48協議体における地域協力が進んでいる。

これに対し、東アジアサミットはASEAN+3にインド、オーストラリア、ニュージーランドを加えたASEAN+6で一昨年発足した。2つの枠組みは、いずれも東アジアの経済的繁栄、社会的・政治的安定の実現に向け東アジア共同体創設の重要性を唱えている。そこで日本経済研究センターでは、東アジア共同体創設にあたって不可欠な地域協力の現状と課題を検討し、課題克服へ向けて東アジア諸国および日本の採るべき政策を考察した。

多国籍企業による貿易と投資の活発な動きをテコに、1980年代以降、東アジアでは、電子・電気機械産業を中心に多国籍企業による工程間分業を組み込んだ域内生産ネットワークの構築が急速に進んだ。こうしたネットワークの構築を後押ししたのは、関税貿易一般協定(GATT)や世界貿易機構(WTO)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)などの枠組みを使った東アジア諸国による貿易・投資の自由化である。

しかし、それでも依然として東アジアでは関税・非関税障壁が高い国が目立っており、投資分野でも障壁を残す国も多いため、貿易・投資拡大にはさらなる自由化が必要だ。

東アジア各国は貿易・投資拡大のために物流インフラのハード面での拡大に力を入れているが、国内のインフラとの連携が悪いほか、通関手続きが非効率だったり、電子交換システムが未整備だったりするなど、ソフト面、すなわち貿易・投資の円滑化問題が域内統合の障害になっている。

こうした問題に対して、日本はこれまで培ってきた豊富なノウハウや技術を積極的・戦略的に供給したり協力したりすることで、東アジアでの貿易拡大の促進だけでなく、日系企業にとっても大きなメリットを供与できる。

WTOでの貿易自由化が頓挫する中、世界の他地域と同様に、東アジアでも特定の国との貿易障壁を撤廃する自由貿易協定(FTA)への関心が高まっている。ただ、東アジアで設立されているFTAは2国間および複数国間のFTAであり、地域全体を包摂する東アジアFTAについては政府レベルの検討は進んでいないのが実態といえる。

東アジアFTA設立で大きな障害となるのが農産物自由化である。農産物輸入国は言うまでもなく、農産物輸出国も農業を保護しているケースが多いためで、その背景には食糧安全保障の考え方や政治的影響がある。経済成長には農産物貿易の自由化は避けて通れないが、それだけでなく日本にとっては、安全確保のための検疫制度や新品種の開発を促進するための知的財産権保護についての共通ルールを設立することも重要である。

一般均衡モデルを用いて東アジアFTAの効果に関するシミュレーション分析をしたところ、農産物を含めた包括的な貿易自由化・円滑化を進め、そしてASEAN+3よりも+6のように対象地域を広げるほうが一段と大きな経済成長をもたらすという重要な政策的含意を示す結果が得られた。

東アジアでは、90年代末の通貨危機をきっかけにまず金融・通貨分野での協力が進んだ。通貨危機の原因となった外貨不足に対処するために、外貨を相互に融通できるチェンマイ・イニシアチブがASEAN+3により設立された。銀行に過度に依存した金融システムを改善するためのアジア債券市場育成とアジア債権ファンド・イニシアチブも進められている。アジア通貨単位創設が政策課題として提案されているが、欧州での経験に照らせば、東アジアにおいても通貨協調は段階的に展開させることが望ましい。

役割大きい文化の交流

高成長を背景にエネルギー消費が大きく増大する中で、東アジアではエネルギー安全保障への関心が高まっており、エネルギーでも協力強化の余地がある。エネルギー安全保障の強化には、エネルギー効率向上のための技術移転や緊急時に備えての石油備蓄などが有益であり、技術やノウハウの蓄積が豊富な日本が域内協力で果たすべき役割は大きい。

IT(情報技術)は現在の経済・社会に欠かせないが、日本を除く東アジアで導入されているIT関連技術は、ほぼすべてが欧米企業が開発したもので、東アジア企業は欧米企業に多額のライセンス料を支払っている。

欧米企業に優位性があるのはIT分野で自らの開発活動をもとに国際標準を確立しているためと考えられるが、その背景には欧米諸国が官民一体となって国際標準の獲得に取り組んできたことがある。東アジアにとって不利な状況を是正するには、技術開発力を持つ日中韓企業が協力できるような環境整備を進めなければならない。

文化交流を通じて相互への関心や理解が深まることを考えれば、東アジア共同体形成過程において文化交流の果たす役割は大きい。文化交流の促進に向けた課題としては、文化の輸入規制の緩和、知的財産権の保護、ヒトの受け入れ促進などが挙げられる。

東アジア共同体の構築にあたっては、安全保障分野での信頼関係が不可欠であるが、現時点では、信頼関係は成立していない。現在、東アジアには2国間の安全保障関係である「日米・米韓同盟」、より開かれた安全保障関係の「ウェブ型安全保障」(2国間同盟+多国間協力)、政治・外交などの非軍事的次元に重点を置いた「協調的安全保障」(ASEAN地域フォーラム)の3つの安全保障形態がある。これらの三形態を融合させることで、安全保障メカニズムを重層的に作り上げ、相互に補完させることが重要である。

失業の発生 対処は可能

東アジアでは経済発展段階、政治制度などに関して各国間で大きな格差があることから、共同体創設にあたっては、制度構築による「制度的アプローチ」ではなく、以下に示すような分野ごとに協力を進める「機能的アプローチ」が適している。

東アジア共同体は、経済共同体、社会・文化共同体、安全保障共同体の3つにより構成されると考えられるが、その場合、3つの共同体を段階的に形成するのが現実的である。第一段階は、ヒト、モノ、カネ、情報が域内で自由に移動できるような包括的なFTAを発展させた東アジア経済共同体の創設である。東アジア経済共同体形成にあたっては、上述した経済分野での地域協力が重要な鍵となる。

経済共同体を創設する過程や文化交流を通して、東アジア諸国間の相互理解が深まるとともに、後発諸国による先発国へのキャッチアップにより各国間の所得格差が縮小すれば、価値観の共有が進む。その結果、東アジアにおいて社会・文化共同体、さらには安全保障共同体の創設が可能になり、最終目標である東アジア共同体が創設されるであろう。

東アジアで最も経済的に発展している日本は、東アジア共同体創設にあたって先導的役割を果たすべきである。少子高齢化が進みダイナミズムを失い始めている日本にとって、高成長が予想される東アジア諸国との密接な関係を構築し維持することが経済や社会の繁栄にもつながることを認識しなければならない。

東アジア経済共同体創設にあたっては、貿易自由化や労働者の受け入れなどにより失業などの構造調整問題が発生する可能性があるが、一時的所得補てんや新たな雇用機会獲得にあたっての人材能力向上へ向けての技術支援などにより対処が可能である。東アジア共同体創設に向けて日本に必要なのは適切な戦略を構築する立案能力と戦略を実施する政治的意思である。

2007年1月30日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2007年2月5日掲載

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