イノベーション実現に何が求められるか

野村 浩二
ファカルティフェロー

漢から清代まで、2000年にわたる中国陶磁史は、当時の基幹産業におけるイノベーションの歴史である。焼成中に灰などが降り注いで与えられた自然の景色から、緑釉や三彩というような彩りが人為的に加えられる。円熟した文化を誇示するように、唐代には豊かな造形を持つ雪のごとき白い磁器が、宋代には雨過天晴とも称される色彩を持つ、研ぎ澄まされた青磁が創り出された。元初にはイスラムからもたらされたコバルトを用いた青花(染付)が開発され、釉下における絵付けという表現が加わる。

当初は消費者にあまり受け入れられなかったようであるが、技術革新は嗜好(需要)をも変えていく。明代には市場の主役は青花へと移り、その優美さは永楽帝の時代に極致へと達した。清の康煕、雍正、乾隆帝の時代には宮廷による管理の下、技術的なもうひとつのピークを迎え、そして衰退する。

いくつかの教訓が見いだされるだろうか。第一に、技術とは単調に積み重なるものではないことである。後生には前世代の作品を模造するものの、その品質を超えることは例外的であり、北宋や清朝の官窯を再現することはまずできない。第二に、その非単調性の源泉は、求められる経済性にある。時代を超えて生き残る技術は、量産化に伴い生産コストが低下していく、市場競争を勝ち抜いたものである。優れた製品であろうとも、量産化に適さないときには質の劣る製品に淘汰され、その技術は衰退していく。第三に、イノベーションの実現のためには、研究開発に向けた投資が必要である。天才的な陶工の出現もあったかもしれないが、卓越した気品を誇る作品が現在に遺された背景に、膨大な量の失敗作や試作品が必要であったことは、今に見る窯跡が物語っている。

第四に、必要は発明の母であるが、特定の必要性によって開発された発明が別の必要性を充足し、あるいは新たな必要性(需要)を創出することもある。言い換えるならば、ある必要性を充足するため、研究開発投資を特定分野に集中させることが望ましいとは限らない。むしろそれは逆効果ですらある。

そして最後に、技術革新は経済社会の安定の下にあった。中国では「陶により政を知る」と言う。イノベーションが実現した背景には、安定した市場(需要)があり、研究開発のための費用負担が社会的に受容される、揺るぎない治世が不可欠であった。盛唐、北宋、永楽、そして康乾盛世と陶磁史における最盛期は経済社会の成熟期と合致している。

温室効果ガスを50年に80%削減するわが国の長期目標は、経済的な実現可能性を備えた具体的なプランを描くことの困難性から、長期的なイノベーションへの期待に溢れている。低炭素社会構築のためのイノベーション実現には、政府が過剰に介入することなく、研究開発投資を促進する制度資本の拡充、電力価格上昇の抑制、そして日本経済の競争力回復に向けた取り組みが求められよう。

『エネルギーフォーラム』2018年8月号に掲載

2018年9月7日掲載

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