デジタル金融の実相 「一物多価」の経済実現へ

成田 悠輔
客員研究員

お金とは何だろうか。答えは無数にある。よく言われる貨幣の3機能(尺度・交換・保存)に加え、お金はゲームや宗教のようでもある。中でも大事なのは「過去の経済活動の記録」としてのお金だろう。

私が一万円札を持っている。これは何を意味するのだろう。私が過去に何かのサービスをしたり物を作ったりした。それは誰かが欲しいと思うものだった。だからその人はお返しに一万円札をくれた。ということは、一万円札は過去に私がした貢献の痕跡である。1次元化され、匿名化された粗い記録ではあるけれど。

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記録としての貨幣の必要性は時と場合により違う。この点を考えるため、図では時間とともに経済活動の実態と記録がどう変遷してきたかをイメージ化した。

図:経済活動の実態と記録が再び収束し、太古に先祖返りしている

太古には、経済活動は小さく、実態と記録のズレも小さかった。贈与や交換のほとんどが小さな村落や街に閉じていた。そんな環境では経済活動のほとんどを記録することもできただろう。有名なのが古代エジプトなどで使われていた石製の台帳だ。台帳は共同体内で誰が誰に何をしたかを刻印するものだったという。実態のほとんどが記録されれば、他人に依存してばかりの「パラサイト」を見つけて罰することもできる。

しかしやがて経済が爆発する。遠くまで出かけて商売したり、人を巻き込み組織を作ったり、海の向こうまで出かけて貿易したり。こうなると、爆発する活動のすべてを手作業で台帳に記録するのは無理になる。大航海時代から産業革命、コンテナ革命の数百年は、経済の実態と記録のズレが爆発する時代でもあった。それは同時に、実態と記録のズレを埋めるお金の黄金時代でもあっただろう。

そして歴史は巡る。この数十年の情報革命で、経済の実態と記録が再び収束し始めた。日常生活でも、ほとんどの決済や取引を現金ではなく、キャッシュレスやカードで済ませるようになった。そしてデジタル決済は、すべてデータとして記録されている。

もちろん、すべての決済を記録した一つのデータベースがあるわけではない。だが各決済はどこかの事業者に記録され、少数のプラットフォーム企業を足し合わせれば決済・取引活動の大方を捕捉することに成功している。そして国家がその気になれば、各地に分散した決済履歴データをのぞき見ることができる。

石や紙の台帳が経済活動のほとんどを記録していた太古への先祖返りだ。ある意味で、今日の経済はデジタル村落経済である。

デジタル村落経済の発生は大事な帰結をもたらす。お金の価値が下がっていくという帰結だ。なぜか。経済の実態の大半を記録できる太古の台帳経済や現在のデジタル村落経済では、実態と記録のズレを埋める装置としての貨幣の必要性が下がるからだ。貨幣に頼らず記録に直接尋ねて、信用するか、取引するか、罰するかを決めればいい。

経済データの膨張とともに、お金が衰退する。この仮説は、インフレとも関係があるかもしれない。インフレは最近のニュースであるだけではない。歴史を通じて起き続けてきた世界経済の経験則でもある。

「万物の利益率 1870~2015」と題された論文は、物、土地から株式まで様々な資産の価格変遷を追うデータを先進数十カ国について構築した。そこからわかった一見当たり前な経験則は、どんな資産も長期では値上がりしているという事実だ。デフレの国・日本でさえ、過去百年では物価も地価も株価も明瞭に上がっている。

物価や資産の値段が上がるとはどういうことだろうか。物と比べたお金の相対的価値が下がるということだ。お金の価値は長期では下がり続けてきたことになる。なぜお金の価値が下がり続けてきたのだろうか。経済活動を捕捉するデータが豊かになり続けてきた結果として、記録としてのお金へのニーズが下がり続けてきたからだ、という仮説が考えられる。

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この潮流の先に待つのは、1次元化され匿名化されたお金が支える「一物一価的な匿名価格システム」の衰退かもしれない。

物やサービスに全員共通の値段があり、その分だけお金を払えば購入できる。私たちが慣れ親しんだこうした価格システムが支配的なのは、個人ごとに履歴をたどりその物やサービスを手に入れるに値する人かどうかを判定することがデータ的にも計算量的にも難しいからだろう。いちいち価格交渉するのも面倒だ。全員共通価格システムはその選別を粗い形で代行してくれる。だが記録が実態に追いつくにつれて、データと計算の制約も緩んでいく。

デジタル金融がいい例だ。デジタル経済データの膨張は、融資・保険などの金融の個人化を推し進めその力を強めていく。経済活動の記録の総量と解像度が高まるほど、金融契約の設計や実行に利用できる情報が増えるためだ。その典型がウェブプラットフォーム企業による金融サービスで、スマホ上の個人の行動履歴に基づき融資やカード与信を細かく個別最適化して自動で即決する。

その一歩先に訪れるのは価格の多元化・個人化だろう。あらゆる商品やサービスの価格が、個人ごとの記録に基づき個別最適化されて、価格が人により異なる一物多価の世界が現れる。

価格の個人化はすでに起きている。米国で家具を中心に扱う電子商取引(EC)サイトは、同じ商品の価格が閲覧者により異なる仕組みを導入した。オンライン労働者マッチングサイトで顧客企業ごとにサービス価格を変える試みもある。各ユーザーの属性や過去の行動履歴により価格がカスタマイズされた世界だ。

柔軟な一物多価の価格設定をうまく行えば事業者は収益を改善できる。さらに面白いことに、消費者の満足度も改善できる場合があるという。一物多価は売り手買い手のウィンウィンになりえることになる。

こうなると、価格やお金の意味が変容していく。同じ一万円の購買力が人により異なり、お金は過去の経済活動の記録をより多角的に表現する装置へと脱皮する。さらに各取引・決済が収入や資産などの記録にひもづけられ、お金持ちほど価格も高くなるような仕組みを作れば、一物多価の価格システムの中に格差を是正する機能を内蔵することもできる。貨幣市場経済と再分配の融合である。

そんな進化を市場が遂げれば、国家の役割が疑われる未来さえ想像できる。再分配は国家の専売特許ではなくなるからだ。税を取り立てて中抜き後に社会保障を行うより、柔軟な価格システムの方が格差是正への近道になるかもしれない。

最終的には、価格やお金が消失した経済も想像できる。価格を介さず、個々人の属性と過去の活動履歴に基づき、その人が何をしたり手に入れたりすることが許されるかが直接決まるような経済像だ。そんな価格・お金抜きの経済は、未来への飛躍であると同時に太古への回帰にもなるだろう。

2022年10月31日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2022年11月9日掲載

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