経済学で起業してみる、目に見える「変化」の拠点

成田 悠輔
客員研究員

昔々、経済学が社会に巨大な影響を与えた時代があった。その頃、経済学者は既得権に抗して人々の権利と生活を勝ち取る革命家だった。

彼らの構想は、19世紀から20世紀にかけてソ連をはじめ多くの実験共同体・国家をつくるまでに結実した。すべての革命家がそうであるように、彼らの革命は人を救いもすれば間接的に殺しもしたし、別の既得権のおばけを生み出しもしたが。

今日の経済学者はどうか。世界で10人ほどしか読まない論文を書いて同業者同士でけなし合ったり褒め合ったりしているか、審議会やメディアでおしゃべりの下請けをしているか。明らかな没落だ。

没落の兆候が、書店に並ぶ経済学の教科書のスタイルだ。どこかの誰かがつくった「経済」がそこにあり、それを分析するのが私たちという構図。いわば理学(自然科学)もどきとしての経済学だ。

しかし、不変の法則が多くある自然と違い、経済は法則自体が変わる。例えば、狂乱物価に不動産バブルが続いたかと思いきや、いくら紙幣を刷っても物価がびくともしない30年に突入したりする。

経済の変幻自在さに目を向けるなら、立ち上がるのは「次の変化をどう生み出すか」「経済や市場をどうつくるか」という問いだ。変化をつくる工学としての経済学、経済や市場を構想し設計し製作する経済学の役割が浮かび上がってくる。

そんな大それた動機、そして大学で誰にも読まれない論文を書いていると絶望にさいなまれるという短絡的な気分もあって、最近、筆者はオアシスを求め企業と仕事をすることが増えてきた。サイバーエージェントやZOZO、メルカリをはじめ10社程度と大小さまざまな仕事をしている。小さくとも目に見える変化を生む基盤としての事業と企業だ。

国産の研究開発を世界に

拠点となるのが、半熟仮想株式会社という筆者が代表を務める会社である。怪しげな社名は、まだ熟しきっていないおぼろげな技術で新しい社会を想い描くという意味である。日本生まれの偉大な科学技術企業スクウェア・エニックスの名作ゲーム『半熟英雄』へのオマージュで、私たちが研究する「反実仮想」との語呂合わせだ。

時間や空間や言語にとらわれず、複数のメンバーが日米の国境と時差を超え、日本語と英語の壁もまたいで活動している。私自身も昼は日本で事業・執筆をし、夜は米国のイェール大学で研究・教育をする二重生活中。感染症を契機とする地球規模のデジタル化を逆手に取った働き方を模索している。

半熟仮想の事業は、以下の3つの段階で進めている。1つ目は、日本発の突端的なR&D(研究開発)を行い、それを世界に向け開放していくことだ。新たな事業や政策をゼロベースで設計し、導入後の新世界で何が起きるかを予測する技術の開発と実践を進めている。専門的には「市場設計(マーケットデザイン)」「因果推論」「反実仮想」といった経済学とコンピューターサイエンスの融合技術群だ。

データ・アルゴリズム科学技術においては、米中の少数のメガ企業によるデータと技術の占有が進んでいる。この流れにあらがって、日本発で世界のどこに持っていっても恥ずかしくない品質の開放的技術貢献を目指している。

その一例がZOZOとの共同事業だ。この事業ではまず、国内最大級のファッションEC(ネット通販)サイト・ZOZOTOWNで使われるおすすめ(推薦)アルゴリズムの改造を行った。ZOZOTOWNのトップページの一部に実装した結果、旧来のアルゴリズムに比べ数十%規模でクリック率や購買率を改善する成果が得られた。

さらに、会社だけでなく社会をも潤すことを目指し、データとソフトウェアをオープンソース化した。まず公開したのは、ZOZOTOWN上での推薦アルゴリズムの実装から取得した2800万件超のファッション推薦データだ。

加えて、新しい推薦アルゴリズムを実サービス環境に導入した際の性能を予測し、その予測の正確さの検証を行うことができるソフトウェア開発基盤も公開した。このような大規模実サービスで用いられたソフトウェアやデータを公開する試みは、日本はもちろん世界でもほとんど例がない。

伝統産業と公共政策

2つ目は、開発した技術を用いた、日本の伝統産業やアナログ産業の再興だ。これまで、データとアルゴリズムの恩恵はウェブ産業と製造業など経済のごく一部に集中しすぎてきた。この現状を破り、データ技術の果実を広い社会に還流させたい。

そんな問題意識から、例えば無添加のだしや調味料で人気の茅乃舎(かやのや)をはじめとする地産食品ブランド群を展開する久原本家や、教育・出版事業の雄・学研グループなどと共同事業を行っている。どんな食品・教育を開発し、いつ誰にどんな値段で提供するかの意思決定を、あたかもウェブサービスをデザインするかのように、データを基に行い、展開することが狙いだ。

こんな問題意識を共有するサイバーエージェントとも事業提携を結び、小売業や公的機関のデジタル化とデータ活用の支援を始めている。小売業の値付けを支援する「カカクのカガク」というソリューションも最近提供を開始した。

衣食住や小売り、教育、医療といった課題への取り組みは、自然と社会事業・政策的色合いを帯びてくる。営利企業、非営利組織、公的機関を巻き込んで、幅広い社会・政策課題の解決に貢献したい。

例えば新型コロナウイルスに対するさまざまな政策がどのような効果を持つか? 政策を行った場合と行わなかった場合の各シナリオにおける感染や経済の状態予測をデータやプログラムごと公開し、リアルタイムで検証していくプロジェクトなどを行っている。公共政策のデジタル機械化という21世紀の夢に向け模索中だ。

3つ目、最終段階は、22世紀に向けた社会構想である。例えばビットコインを構想したサトシ・ナカモトは、わずか9ページの論文で数十兆円規模の新経済を創出した。彼は、経済学・暗号論・計算機科学を融合させた情報認証アルゴリズムで、中央政府なしの経済という夢を具現化。これはマルクスの「経済を解釈するより変革する」という言葉にも表れている、19世紀の社会科学の古典的スタイルだ。

この動きは仮想通貨にとどまらない。データやアルゴリズムは政治や経済、宗教、メディアといった社会の根っこにある価値・制度基盤を変えていく。数百年前の常識と技術で構築されレガシー化しているように見える政治(例えば選挙・立法・行政過程のデザイン)や経済(例えば資本市場の仕組み)をどう今世紀風に更新できるか。半熟仮想は、その構想と実験を発表し始めている。


(本稿の参考文献等は、冒頭の記述についてはロバート・L・ハイルブローナー『入門経済思想史 世俗の思想家たち』、研究開発例についてはhttps://arxiv.org/abs/2008.07146、事業実装例についてはhttps://www.cyberagent.co.jp/news/detail/id=25506、政策実装例についてはhttps://forbesjapan.com/articles/detail/39053、社会構想例についてはhttps://globe.asahi.com/article/13857057をご参照ください。)

『週刊東洋経済』2021年1月23日号に掲載

2021年2月10日掲載

この著者の記事