就活ルールを考える 「人間の選択」絶対視 避けよ

成田 悠輔
客員研究員

大学生の就職活動の開始時期を定める「就活ルール」の廃止を巡る議論が盛んだ。本稿では、労働・教育制度の設計を研究する筆者の考えを示したい。

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就活は学生の人生を大きく振り回す。就活中の心と体、財布の負担だけではない。就活時に不況でつまずいた若者はその後の長きにわたり苦労するという「溶けない就職氷河」現象がよく知られる。「就活」というと逃げ出してしまいたい閉塞感が漂い、逃げ道は自己啓発や就活自体の全否定になってしまいがちだ。

就活という現実を単に否定するのではなく、そもそも就活など考えなくても済むような社会はあり得ないだろうか。筆者は「就活ルールを廃止すべきか否か」といった過度に狭い問題設定から離れて、もっと抜本的な仕組み作りとそのための価値観を育むことが肝要だと考えている。

そこで以下のような仕組みを提案したい(図参照)。全国の就活を仲介するデータ・計算基盤を電脳空間上に作るというアイデアだ。この基盤を「就職機械」と呼ぼう。就活生と企業は希望する段階で就活機械に登録する。就活ルールはなくし、登録はどれだけ早くても遅くてもいい。

図:「就活機械」のイメージ
図:「就活機械」のイメージ

就活機械は各就活生に少数の企業の情報をまとめた企業メニューを提示する。情報には各企業での仕事内容、場所、待遇、仮想現実(VR)オフィス訪問などが含まれる。就活生は企業メニューの中から行けるとすればどこに行きたいか順位をつける。各企業もまた、少数の学生からなる就活生メニューの中で誰が欲しいか順位をつける。

この好みと企業・学生の属性情報を受け取った就活機械は、企業・学生の好みを学習する。学習された好みは、全国数十万の企業の中で学生がどこに行きたがるかを予測するのに用いられ、就活機械が学生の選択を代行する。各企業が数百万の学生の中で誰を取りたがっているかも同じく就活機械が予測する。

星の数ほど就活生や企業が存在するので、どちらの就活生・企業がよいか判断できないということも多い。そうしたときはランダム(無作為)に選んでしまう。

機械で代行された企業・学生の好みは出会い系サイトが用いるようなお見合いアルゴリズム(情報処理の手順)に組み込まれる。お見合いアルゴリズムは定期的に企業と学生のカップルを提案する。

この最終段階で学生と企業に通知が行き、彼らは受けたければ受け、断りたければ断る。つまり選択は就活機械に委ねられ自動化されるが、自動化された選択を拒否するという人間の選択は残る。さらに断り情報はその都度、就活機械に組み込まれ、就活機械は学生と企業の好みの変化を学習し、予測を更新していく。

この仕組みでは、人が直接時間と意識を使うのは最初のデータ入力と最後の選択だけだ。出願アルゴリズムが学生の努力を代行し、採用アルゴリズムが企業の努力を代行し、後はお見合いアルゴリズムが就活を代行する。

就活をできるだけデータと計算機の世界に委ねてしまうという就活の自動化である。

筆者はそうした自動化機械を実際に開発し、その性能を実世界データと仮想世界シミュレーションを用いて評価したことがある。その狙いは学生と企業でなく、学生と学校のカップル作りというやや異なるところにあったが、十万ほどの学生と千ほどの学校の選択代行と効率的な組み合わせの自動化は難なくできた。

自動就活では、企業も学生もとりあえず登録しておくだけで機械が勝手に就活してくれるので、多くの登録者を期待でき、市場の厚みを維持できる。どこかで働いている時も就活機械が不眠不休で新しい働き場所を探してくれる。

こうしていつでも心変わりしたり逃げ出したりできる状況を作っておけば、抜け駆け競争の必要も弱くなり、「就活ルールを廃止すべきか否か」ということはもはや大問題ではなくなる。

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就活の自動化にはいくつか利点がある。第1に学生・企業が就活に動き回る労力や時間を節約できる。特に大きな時間的・経済的負担を強いられがちな地方在住者の負担軽減は魅力的だ。

第2に就職後にミスマッチが明らかになる「こんなはずじゃなかった」的な事態への緩衝材の役割を就活機械は果たす。失敗や後悔について、人はいかにそれらを避けるかを雄弁に語りがちだ。それにもかかわらず、100年前に比べて人が後悔しなくなったというエビデンス(証拠)を寡聞にして知らない。

むしろ後悔は世界や自分の変化の印であり、天気の移ろいのようなものだ。天気を変えようと不毛な努力で過去の人類のように消耗するより、失敗や後悔をあらかじめ許して、失敗を世界や機械のせいにして先に進める仕組みを作った方がよいのではないか。

その点で就活機械は自然と同じく複雑で、誰の責任で何が生み出されたのか簡単には分からない。

「こんなはずじゃなかった」場合には、自分の責任について悩むことなく、責任を就活機械の複雑さに押しつけておけばよい。就活機械は無言ですべてを受け入れてくれるし、丁重な謝罪機能を盛り込むことも可能だ。ミスマッチに直面した人は、新しい居場所を探して自分のデータを就活機械に再送信すればよい。

こうした仕組みに懸念はあるだろう。機械に学生や企業の代行ができるわけがない、機械が間違いを犯したらどうするのだと思われるかもしれない。ましてや「困った時はランダムに選択」などもってのほかだと思われるだろう。

だが人間もしょっちゅう間違いを犯す。例えば前述した筆者の研究は、生身の学生はどの行き先を選べばよいか混乱していて、自身の過去の選択を後悔して正そうと動き回っていることを発見した。機械より人間が優れていると思い込まなければならない理由は何もない。

実際、15の匿名米国企業の内部人事情報を用いた研究は、データとアルゴリズムに基づく機械採用が人事担当者の採用よりも高い生産性をもたらすことを示している。(米ロチェスター大学のリサ・カーン氏らの研究)。米国最大のオンライン労働市場での実験でも、アルゴリズムによる自動人事推薦は人による人事と同じかそれ以上の成果を上げたと報告されている。(米ニューヨーク大学のジョン・ホートン氏の研究)。

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さらに言えば、むしろ間違いを歓迎してもよいのではないか。機械とランダム選択による間違い込みの選択は、どの選択が正しいのか分からず混乱した私たちに、世界の新しい一面を見せてくれるかもしれないからだ。

実際、自称ノマド芸術家のマックス・ホーキンス氏は、自分の好みによる「間違いのない」選択に退屈し、毎朝サイコロで行き場所や食べる物を決め、偶然に身を委ねる生活を始めた。

機械と偶然による自動化された就活も、自分探しと自己責任で閉塞した社会に逃げ道をもたらしてくれるかもしれない。

いつの日か就活の仕組みと技術が際限なく改善されることで、もはや就活の存在を意識しなくても済む未来を想像してみた。就活が大事だからではない。就活という苦しく退屈な準備運動で疲弊してしまうことなく、もっと心躍る仕事と遊びに皆が時間と精神を使えるようになってほしいからだ。

2018年10月23日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2018年11月1日掲載

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