成長戦略の評価 包括的な投資支援策を

宮川 努
ファカルティフェロー

新しい成長戦略は、金融政策と同様、異次元の政策を打ち出せるのか? これが、今回の成長戦略に寄せられた市場からの期待である。しかし、安倍晋三首相自ら公表前に重点項目のアピールに努め、「日本再興戦略」とこれまでにない危機感を漂わす表題を掲げたにもかかわらず、残念ながら現時点での市場の評価は芳しくない。何故、「日本再興戦略」は従来にないほど注目を浴びながら、期待外れと受け止められたのか。本稿ではこの問題を、投資促進策を中心に議論したい。

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今回の成長戦略の大きな特徴は、成長戦略を独立した経済政策として捉えるのではなく「アベノミクス」を構成する経済政策の3本柱の1つとして位置づけたことである。よく知られているように、アベノミクスの第一の矢、第二の矢として位置づけられている拡張的な金融政策と機動的な財政政策は、総需要側から経済を活性化させる政策であるが、成長戦略は経済の供給側を強化する政策である。

需要と供給の両者を一体化して政策を推進するということは、先に発動された総需要側の政策、特に金融政策が、総供給側の政策の遂行をスムーズにするという役目を担っていることを意味する。この総需要側から総供給側への政策の受け渡し役となるのが、国内総生産(GDP)の重要な需要項目の1つであり、国際競争力の強化にも寄与する民間設備投資である。

政策当局は、異次元の金融緩和による円安、株高、実質金利の低下を通して、設備投資の増加へとつながるシナリオを描いたからこそ、設備投資活性化を今回の成長戦略の3本柱の1つである「日本産業再興プラン」のトップに位置づけたのだろう。そのシナリオ自体は間違っていない。実際に異次元の金融緩和は一時、為替レートや株価をリーマン・ショック前の水準まで戻すことに成功し、設備投資を増加させる環境を整えた。

しかしその後の為替市場や株式市場の混迷ぶりは、こうした需要側からの設備投資刺激策の限界を示唆している。成長戦略は民間設備投資総額を3年間で70兆円にまで増やす目標を掲げているが、実は成長戦略を巡る混迷の1つは、この数値目標にあると考える。

2012年度の名目民間設備投資額は63兆円であるから、もし異次元の金融政策によって2%の物価上昇率が3年間続き、来年度に消費税が3%上昇するならば、何ら追加的な政策がなかったとしても69兆円の設備投資額が達成されることになる。しかし物価上昇分と消費税分だけで増加した設備投資は、実質的な生産能力の増強を伴わないため、設備投資による経済成長への寄与は無いに等しい。

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需要側の政策が、供給側の強化に寄与しないという政策間のちぐはぐさは、計算上の問題にとどまらない。より深刻な問題は、投資活性化を通じてどの資産を蓄積し競争力をつけていくかということに関して「失われた20年」以前の発想しかしていない、という点である。多くの人は「投資」という言葉から、建物や機械といった有形資産を想像するだろう。しかしIT(情報技術)革命以降こうした有形資産の投資だけでは、生産性の上昇、ひいては経済成長が達成できないという見方がほぼ定着している。

例えば先ごろ経済協力開発機構(OECD)が公表した「新しい成長の源泉」というプロジェクトの報告書では、有形資産以上に、ソフトウエア、研究開発(R&D)、マーケティング、人材育成などを包含した「知識ベース資産」の方が、有形資産よりも生産性向上への貢献度が大きいことを紹介している。米国では2000年代に入って有形資産投資よりも知識ベース資産投資の方が上回っている。

日本では経済産業研究所のプロジェクトにおいて、OECD報告書と整合的な知識ベース資産投資(経済産業研究所の定義では無形資産)が産業別に公表されている。それによると2000年代の平均投資額は約40兆円で有形資産投資の約6割となっている。

このデータを使った経済産業研究所における分析では、知識ベース資産投資はIT関連産業の生産性向上に大きく寄与し、かつその価値が株価に反映していることがわかっている。IT関連産業とは、IT機器を生産する産業だけでなく、情報通信産業や小売業、金融業などIT機器を集約的に利用する産業を含む。そしてこのIT関連産業は「失われた20年」の期間でも平均して2%以上の成長を達成しているのである。

こうした認識に立てば、政府の目標である実質2%の経済成長は、IT関連産業の成長支援と、それ以外の産業でネットワーク化、IT化を推進することで達成できる。この成長シナリオにしたがえば、有形資産投資よりも、知識ベース資産の蓄積がより有効なのである。

実は、成長戦略で列挙されている多くの項目(人材力強化、イノベーションの推進、新規企業の育成、医療施設のネットワーク化)は、知識ベース資産の蓄積を必要としているのだが、戦略の中では「投資」という認識が薄い。ここでも、旧次元の発想に基づく具体策で新たな産業構造を達成しようとする一種のミスマッチが生じている。注目されていた雇用改革もまた、新たな雇用制度の構築を、旧来型の労働市場観の元で実現しようとする、ミスマッチのもう1つの代表例と言えよう。

成長戦略で掲げる日本経済の方向性と整合的で、かつ異次元の発想に基づく政策とは、有形資産だけでなく知識ベース資産も含むより包括的な投資活性化策である。

現在の国民経済計算における民間設備投資は、ソフトウエア投資など一部の知識ベース資産投資を含んでいるので、有形資産・知識ベース資産を合わせた投資額は100兆円弱であろう。もし目標物価上昇率2%を含む6%の伸びが14年度から7年間持続できれば、20年における経済全体の総投資額は150兆円になる。米国のように知識ベース資産投資が有形資産投資を上回るパターンには至らなくても、150兆円の中で知識ベース資産投資を有形資産投資と同額にまで引き上げる目標を掲げてはどうだろう。

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知識ベース資産投資は、有形資産投資以上に企業の内部収益に依存するため、その活性化には法人税減税が必要である。しかし当面は「日本再興戦略」に書かれた様々な政策を着実に実行していくことに加えて、知識ベース資産の中で最も重要な人材育成については、国際部門や研究部門における人件費を対象に、有形資産の投資減税と同様の対応をすべきである。

より長期的にはOECDの報告書が提言しているように、企業会計において知識ベース資産の開示を進める努力が望まれる。新規企業の育成策や知識ベース資産に税制上の恩典を与える場合も、こうした会計情報の変更がなければ進まない。マクロ経済の業績報告書ともいえる国民経済計算では、近年徐々に知識ベース資産を含める方向で変化している。これは経済全体のパフォーマンスに寄与する知識ベース資産を正確に評価しようとしているからである。したがって、企業レベルでも知識ベース資産の評価は進めるべきであろう。

政府はこの秋にも税制改正を中心に設備投資の活性化策を再度検討するようである。今度こそは、新しい酒を新しい革袋に入れた戦略になるよう期待したい。

2013年6月20日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2013年7月8日掲載