中国経済は、1978年から始まった改革開放の30年間で年平均9.8%の高成長を遂げたが、今回の世界的危機の影響を受けて、減速を余儀なくされている。これが景気循環の一局面で済むのか、それとも第1次石油危機当時の日本のように高度成長期の終焉を意味するのか見極めるには、輸出や投資、消費といった需要項目の変動だけでなく、中長期的には環境やエネルギーをはじめとする供給側の制約にも注目する必要があるだろう。こうした問題意識のもと、日本経済研究センターは、「中国 成長の壁を越えて」(座長は筆者と朱建栄・東洋学園大学教授)報告書をまとめた。
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近年の中国の経済規模の急拡大で、国民生活は大幅に改善された一方、都市化と工業化が急激に進み、人口と資源の矛盾が激化。大規模な環境破壊が引き起こされている。
英石油大手BPによると、2007年現在、中国のエネルギー消費は石油換算で18.63億トンと、世界全体の16.8%を占め、米国に次ぐ世界第2位である。年間1人当たりの消費量では先進国に比べ、はるかに低い水準にとどまっていることを考えれば、今後、経済成長に伴いさらに増える可能性が高い。
エネルギー消費の拡大とともに、二酸化炭素(CO2)の排出量も急増している。特に、先進国に比べて、CO2排出量の多い石炭をはじめとする化石燃料への依存度が高いことが、この傾向に拍車をかけている。06年の総排出量は56.1億トンと、米国の57.0億トンに迫り、中国が米国を抜いて世界一の排出国になるのはもはや時間の問題である(表)。
表 主要国の二酸化炭素 (CO2) 排出量 (2006年)
排出量 (億トン) |
シェア
(%) |
|
---|---|---|
米国 | 57.0 | 20.3 |
中国 | 56.1 | 20.0 |
ロシア | 15.9 | 5.7 |
インド | 12.5 | 4.5 |
日本 | 12.1 | 4.3 |
ドイツ | 8.2 | 2.9 |
世界全体 | 280 | 100 |
(資料) 国際エネルギー機関 (IEA)
中国環境保護部の副部長で、環境問題のオピニオンリーダーでもある潘岳氏によると、中国の国土の3分の1は酸性雨に侵食され、人口の4分の1が安全なレベルに達していない水を飲み、都市人口の3分の1は非常に汚染された空気を吸っているという。このような環境の悪化が国民の健康に甚大な被害を与えていることはいうまでもない。
中でも深刻なのは(1)淡水域の汚染が著しい「三河」(淮河、遼河、海河)と「三湖」(太湖、滇池、巣湖)(2)三峡ダム事業・南水北調事業という2つの国家プロジェクト(3)二酸化硫黄と酸性雨に対する規制区(4)大気汚染が特にひどい北京(5)水質が特に悪化している渤海の5つで、中国政府などもこれらの地域を対象に重点的対策を行っている。
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中国では、政府の環境政策のスタンスは時代とともに大きく変化してきた。78年までの計画経済の時代では「社会主義国に公害は存在しない」としたため、全国に向けて環境保護の重要性を訴え、国民の環境保護意識を促す動きはほとんど見られなかった。改革開放に転じてからも、長期にわたって「発展最優先」の大義名分の下で、環境対策はおろそかにされた。しかし、近年になり、環境問題の深刻化が経済成長と社会的安定を損なうという認識が広がるにつれて、当局は積極的に環境対策に取り組むようになった。
第11次5カ年計画(06―10年)は、「資源節約を基本国策とし、循環型経済を発展させ、生態環境を保護し、資源節約型の環境に優しい社会づくりを急ぎ、経済発展と人間、資源、環境の調和を図るべきだ」とうたった。その上で、「国民経済と社会の情報化を推進し、新しいタイプの工業化の道を確実に歩み、節約型の発展、環境に配慮したクリーンで安全な発展を貫き、持続可能な発展を実現すべきである」としている。
具体的には、環境保護と資源の節約の主要目標として、単位国内総生産(GDP)当たりのエネルギー消費量を5年間で20%引き下げ、主要な汚染物質の排出量を10%減らし、森林被覆率を18.2%から20%に引き上げることが明記されている。
また、07年10月に開かれた中国共産党第17回全国代表大会の政治報告において胡錦濤総書記は「エコ文明を建設し、エネルギー・資源節約型、生態環境保護型の産業構造、成長方式、消費モデルを形成しよう」と呼びかけ、環境破壊を代価に実現した高成長という路線と決別する決意を示した。
しかし、政府のこうした努力は、総論賛成・各論反対という壁にぶつかり、所期の効果を上げるに至ってない。
まず成長と環境の両立が正式に提起されたが、その道のりは前途多難である。中央政府はこの問題を重視し、地方幹部に対する監督も強化し、沿海部ではその進展もかなり見られている。ただ、経済発展が遅れた地域ほど、民衆の理解も現地政府の取り組みも遅れているのが現実である。両立といいながらも、内陸部では結局、開発優先に偏るという基本的方向が修正されたとはいえない。
また、民衆の力をどこまで動員できるかも問題である。環境問題に対する住民運動、非政府組織(NGO)活動の拡大に対して、中央政府は比較的寛容だが、各地の地方政府は依然懐疑的で、制限しようとする。
さらに、報道の自由に対する制限を含め、政治の民主化にはまだ大胆に踏み込めない。多発する環境汚染事故に対して、その情報が漏れないよう地方政府や企業は隠ぺい工作を大胆に行っている。問題の根底にある地方政府と企業との癒着体質、まん延する地方役人の汚職腐敗などを是正するには、究極的には報道の自由と地方の直接選挙の大幅拡大といった政治改革は避けて通れない。
日本における60年代以降の汚染された環境の回復と改善は、中央政府や地方自治体の努力の成果というより、民間の「草の根」の運動がより重要な役割を果たしたといわれている。中国も、マスコミや民衆に一段と大きな自主権を与え、民間の力を環境対策にもっと導入しなければならないだろう。
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一方、温暖化ガスの排出による気候変動に象徴されるように、環境問題はもはや個別国の問題ではなく、これにどう対応するかは人類全体にとって最重要課題である。09年12月にコペンハーゲンで開催される国連気候変動枠組条約第15回締約国会議では、京都議定書に続く枠組みなどが討議され、2050年までの温暖化ガス排出削減目標と行動計画が提出される予定である。コペンハーゲン会議で、もし削減目標と削減義務が合意に至らないと、環境破壊は世界規模で広がり、全人類が気候変動の被害者となるであろう。
中国は現在までなお発展途上国として具体的な排出削減目標を自らに課さず、公約もせず、世界排出削減協議の合意に貢献していない。だが台頭する経済大国であり、また1、2位を争う排出大国であるだけに、温暖化防止をはじめとする地球環境の改善という国際公共財の提供において、ふさわしい責務を果たすことを求められている。
こうした期待に応えて、中国は排出量削減の数値目標を拘束力のある国際公約として掲げるべきである。具体的に、(1)20年までにCO2排出量の増加傾向に終止符を打つ(2)30年までに年間排出量を22億トン以下に抑え、90年のレベルまで戻す(3)50年までに年間排出量を11億トンと、90年の半分まで削減する――ことからなるロードマップを薦めたい(本報告書の執筆者、胡鞍鋼・清華大学教授による提案)。これは50年までに世界の排出量を年200億トン以下にするとするロードマップと整合的である。
中国が排出量削減を公約し、実行していくことは、政府が提唱する「科学的発展観」と「エコ文明建設」の理念に一致するものである。これは、直接中国自身と地球全体の環境の改善に寄与すると同時に、外圧を通じて国内における環境対策への抵抗を抑えることができる。また、排出量削減に消極的だった米国やインドといった大国のポスト京都議定書の国際協調体制への積極的関与を促すことになろう。このように、中国が排出量削減を公約することは、自国の利益だけでなく、人類全体の利益とも一致している。
2009年4月9日 日本経済新聞「経済教室」に掲載