中国研究報告 法治と公平 実現を模索

関志雄
コンサルティングフェロー

市場化を目指す改革のひずみが露呈する中国では、改革の評価と今後の方向をめぐり、左右両派のあいだで経済論争が起きている。法治と公平を前提とした「良い市場経済」を模索すべきという方向では一致しており、中国経済は効率重視に偏った方向を転換できるかがカギになろう。

中国では、1978年から始まった市場化を中心とする改革が年率2ケタという高成長をもたらした。一方で、所得格差が拡大し、成長の恩恵を受けていない庶民の不満が高まっている。これを背景に、改革の評価と今後の進め方をめぐり、マスコミやインターネットを巻き込んだ形で大論争が起きている。その対象は、格差問題にとどまらず、国有企業の民営化や外資政策、医療・教育・住宅の3つの分野における改革など、広い範囲に及んでいる。

新自由主義者と新左派が大論争

これらの論争は主に効率性対公平性を軸に、新自由主義者と新左派の間で交わされている。日本経済研究センターではその内容と背景、政策への影響などを分析し「中国の経済大論争-市場と政府の均衡を探る」研究報告書をまとめた(朱建栄・東洋学園大教授と筆者が共同座長)。

中国では、社会主義の看板と裏腹に、効率性を尊ぶ新自由主義者の政策への影響力が強く、学界でも主流派である。一方で、公平性を重視する新左派は、庶民の間では人気を集めながらも学界では非主流派の地位に甘んじている。新自由主義者も公平性を無視しているわけではないが、公平性の基準として新左派が結果の平等を重んじるのに対し、新自由主義者は機会の平等を強調する。

中国が不公平な社会である点には両陣営間で異論はないが、原因と採るべき方策は意見が分かれる。新自由主義者は市場経済化の不徹底を問題視し、私有財産権の確立と市場経済に基づいた所得の分配を主張する。一方新左派は市場経済化自体を問題視し、公有制の維持を一貫して主張する。

民営化も、新自由主義者は、国有のままでは企業の経営効率の改善が見込まれなければ、その資産を大事にする経営者に所有権を譲る方が良いと考える。これに対し新左派は、経営者や官僚たちが自らの立場を悪用し、国有財産をほしいままにしていると批判する。

グローバル化についても、新自由主義者は自由貿易と比較優位に沿った分業を信奉して賛成するのに対し、新左派は成長が期待される幼稚産業、特に技術集約度の高い産業に対する保護の必要性を訴え反対の立場をとる。新自由主義者は外資導入に伴う技術移転や雇用創出のプラスの面を強調するが、新左派は外資企業の進出は国内市場だけでなく、民族資本の成長の機会も奪うという「中国経済のラテンアメリカ化」を懸念する。

実現求められる「良い市場経済」

論争を経て、両陣営の論点の対立が鮮明になる一方、権力と資本が癒着する「悪い市場経済」を回避し、法治と公平を前提とした「良い市場経済」を目指すべきだとの共通認識が形成されつつある。その実現に向け、次のような移行戦略の変更が求められている。

まず、効率だけでなく公平をも配慮しなければならない。改革の果実が国民全体に行き渡るように、胡錦濤・温家宝政権は「調和の取れた社会」(和諧社会)の構築を目標として掲げている。それに向けて、2006年10月、中国共産党第16期中央委員会第6回全体会議(六中全会)で採択された「社会主義調和社会構築の若干の重要問題に関する決定」では発展の理念と発展戦略の転換が打ち出された。

すなわち、効率優先から公平と効率の均衡へ、先富論から共同富裕論へ、経済発展優先から経済社会協調発展論へと転換された。また、沿海地域優先は地域協調発展に、都市発展優先は都市農村協調発展に、国内総生産(GDP)至上主義は人と自然の調和に、かじが切りかえられた。

第2に、権力を持ったり情報を独占する内部者が主導する改革方式を変え、多くの国民を改革に参加させなければならない。改革に伴う格差の拡大は単なる政策ミスではなく、従来の改革方式と密接に関係する。特に内部者主導型改革は、国有企業の所得権改革を「権力の資本化」に変質させた。新たな改革段階においては、国民の積極的な参加を通じてチェック・アンド・バランスを強化しなければならない。

第3に、市場経済化が進む中で、政府の役割も変えていかなければならない。具体的には、公共財・サービスの提供(社会保障や医療、教育に加え、市場秩序の維持、所有権の保護など)や、マクロ経済の安定、所得の再分配といった機能を強化する一方、腐敗の温床となっている「市場への不必要な介入」を控えなければならない。

経済面の変化と政治面における共産党による一党独裁の間の矛盾が顕著になっており、政治改革が行われなければ、既得権益の打破は難しく、経済改革も挫折しよう。法治と民主化をはじめとする政治改革は、経済成長と社会安定の両立を目指す中国にとってもはや避けて通れないのである。

第4に、これまでの「漸進的改革」という移行戦略を見直さなければならない。ロシアや東欧諸国が採った急進的な「ビッグバンアプローチ」とは対照的に、「漸進的改革」では、旧体制を維持しながら、新体制の育成に力を入れてきた。

だが改革が深化した今日、新旧体制の共存を意味する漸進改革の下の様々な弊害が現れている。例えば改革が及んでいない国有企業などは、独占の利益と改革によってもたらされた市場化の利益の双方を享受する一方、消費者は逆に重い負担を強いられている。民間資本参入が厳しく制限されている医療と教育、最も重要な産業要素である「土地」が公有制の名の下で政府に支配されている住宅などの分野は、その典型である。新たな改革段階では、やりやすい順で進める部分的改革から、各部分の調和を図りながら進める全面的改革に移行する必要がある。

期待される理論の革新

最後に、従来のイデオロギーによる制約を除去しなければならない。これまで、イデオロギーの制約から指導者は明確な改革目標を提示できず、多くの改革は大義名分が欠如したまま行われた。国有企業の民営化をはじめ、多くの改革措置は人目を避けながら行わざるを得なかった。

改革者が政治的に弱い地位に置かれ、保守勢力の攻撃を恐れ消極的になり、改革の好機を失うことも多かった。さらに改革のための政策は、十分に議論されないまま実施される場合もしばしばだ。特に、経済学以外の社会科学では、依然として多くのタブーが残っており、学者たちの改革への参加が難しい。その結果、彼らの知恵を得られず、政治と社会の改革は経済改革と歩調を合わせることができなかった。

幸い、改革の過程で、「理論革新」が行われ、伝統的イデオロギーが見直されてきた。資本主義の要素を取り入れた「社会主義初級段階」、「中国的特色のある社会主義」、「3つの代表」などの「理論」はその典型である。これらは文化大革命時代なら「修正主義」と批判されるものだが、いまや時代とともに進歩する(「与時倶進」)社会主義の象徴となっている。「良い市場経済」の確立には、公有制と一党独裁の放棄など大胆な理論革新が期待される。

「新自由主義者」VS「新左派」の対立論点

2007年4月10日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2007年4月19日掲載