中国経済報告 調和とれた社会への岐路

関志雄
コンサルティングフェロー

中国経済は高成長を続ける一方で、都市部と農村部、沿海地域と内陸部、富裕層と貧困層の間の所得の二極分化が深刻化している。格差を是正し、調和のとれた社会を目指す胡錦涛・温家宝政権にとって、高度成長期の日本の経験が大いに参考になるはずだ。

今年から始まる中国の第11次5カ年計画(規画)では、「科学的発展観」に基づき「調和のとれた社会」を構築することが最重要課題となっている。「科学的発展観」とは、「人を主体とした立場(以人為本)から、社会全体の持続的な均衡発展を目指す」という考え方である。

具体的には、(1)都市と農村の発展の調和、(2)地域発展の調和、(3)経済と社会の発展の調和、(4)人と自然の調和のとれた発展、(5)国内の発展と対外開放の調和という「5つの調和」から構成される。中でも、「都市と農村」「地域」「経済と社会」の発展にかかわる3つの調和は、社会の安定と高成長を持続させるための前提条件である。

それに向け、従来のような成長一辺倒の発想を改める必要があるが、その際、高度成長期以降の日本が参考になる。こうした問題意識から、日本経済研究センターの中国研究会(筆者が座長)は中国の清華大学国情研究センターとの共同研究で「持続可能な成長方式へ転換急ぐ中国」報告書をまとめた。

戸籍制度の撤廃 構造改革を促す

中国では、農村の生活水準が都市部と比べてはるかに低いことに象徴されるような、「農業、農村、農民」からなる「三農」問題が、政府にとっての最大の課題である。三農が問題になった背景には、農業からの搾取、農村軽視、農民差別といった開発戦略が長年とられてきたことがある。「戸籍登記条例」などからなる戸籍制度によって都市と農村が分断され、また、「選挙法」で農民の一票の重みは都市住民の4分の1に制限されている。二等国民扱いされてきた農民に都市住民と同じ権利を付与してはじめて、三農問題の根本的な解決が可能となる。そのためには以下の政策実施が急がれる。

まず、二元社会構造を打破し、身分社会から市民社会への転換を急ぐ。戸籍制度を改革し、農民、都市住民といった実質的な身分制を廃止する。それによって人口移動と都市化が加速し、農村人口や農家世帯数の絶対的減少という、日本などの経済発展過程で見られた構造転換を実現する。

第2に、農政転換を進める。食料問題解決のため、長年増産至上の農政が展開されたが、内外の状況変化に応じて、増産、増収、競争力増強が同時に実現できるように構造調整を進める。大規模経営へ移行を促し、土地制度のさらなる改革を行う。農業の再組織化(日本における農家と農協のような関係)も図る。

第3に、このような構造転換は農民の政治権利、国民としての身分が保障されてはじめて可能である。「戸籍登記条例」、「選挙法」などにある農民差別の条項を廃止し、憲法をはじめとする様々な法令(義務養育法、労働法、社会福祉関係の法律)を全国民に適用する。

戦後の日本では、民主主義政治体制の下、農家は国民としての政治権利を有し、格差是正のために一票の力を生かして高度成長の果実を等しく享受できた。中国においても、農民の経済と社会地位を向上させるために、民主化を通じて農民の声を政府の政策に反映させなければならない。

地域格差是正 雁行型発展で

「三農」問題だけでなく、地域間格差も悩ましい問題である。経済発展の目覚ましい沿海部の上海の1人当たり国内総生産(GDP)は遅れている内陸部の貴州省の10倍にも上るなど、中国の地域格差は世界の中でも際立って大きい。

一方、日本では、所得の最も高い東京と最も低い沖縄の格差は2対1にとどまっている。地域間格差是正には、日本を参考にしながら、(1)統一した国内市場の整備、(2)地域間の比較優位に基づいた分業体制の構築、(3)中央財政を通じた先発地域から後発地域への財政移転の3つを進めることが必要だろう。

第1の国内市場に関して言えば、労働力の移動への制限をはじめ、中国は地域間の障壁がいまだ残っており、統一したマーケットにはなっていない。一方、日本では、資本主義の形成期に当たる明治時代に、労働力の自由な移動をはじめ、国内の統一市場がすでに形成されていた。1889年に発布された明治憲法では、居住・移転の自由が明記されている。労働力に加え、モノとカネの自由な移動は、日本の地域格差を抑えるのに大きな役割を果たしている。中国も、それを保証する、いわば国内版の自由貿易協定(FTA)を精力的に推し進めなければならない。

第2に分業体制は、先進地域から後発地域への直接投資が地域格差是正に寄与しよう。この四半世紀、東部に当たる沿海地域は労働集約型製品の生産と輸出をてこに、高成長を遂げた。しかし、いずれ沿海地域は賃金と土地の価格の上昇に見舞われ、労働集約型産業の競争力を失うであろう。より安い労働力と土地を求めて、外資系企業のみならず、やがては中国企業も直接投資などを通じて、生産拠点を中部や西部からなる内陸地域へ移転せざるをえない。

東アジアでは先進国の衰退産業を途上国に移転させる格好で分業体制を構築し、日本を先頭にアジアNIES(新興工業経済群)、ASEAN(東南アジア諸国連合)の国々が空を飛ぶ雁の隊列のように「雁行」型で経済発展を遂げてきた。中国で求められるのはいわば国内版の「雁行」型発展である。そのとき、1960年代以降5回に渡って実施された日本の全国総合開発計画が1つの参考になろう。

3番目の中央財政を通じた財政移転には、国内版の政府開発援助(ODA)ともいえる中央政府の税収の再配分が有効であると考えられる。日本ではどの地方自治体においても一定の行政水準(ナショナル・ミニマム)を確保できている。これには「地方交付税制度」をはじめとする地域間の財政移転が大きな役割を果たした。

社会保障を整備 全国統一制度を

都市部と農村部、沿海地域と内陸部の格差に加え、中国では所得の二極分化や、環境破壊と公害の発生、党・政府の役人の汚職・腐敗などの問題が国民の不満を募らせ、こうした問題への抗議行動が各地で頻発している。

市場原理のみが優先され、社会的公平・持続的発展とのバランスを早急に図らないと、民営企業家、ホワイトカラーなど一部の階層・利益集団ばかりが恩恵を受け、他の階層(特に労働者、農民)が不利な影響を受けることになる。これは社会の各階層・利益集団の間に亀裂の拡大をもたらし、社会の不均衡・不安定を招く。その結果、経済発展の勢いがなくなるという、いわば「ラテンアメリカ」化現象が生じることになりかねない。

中国は、市場経済を採用する以上、ある程度の格差を容認しなければならないが、社会安定のためには、社会のセーフティーネットづくりが欠かせない。60年代の日本のように、中国でも高成長が続いているうちに、高齢化に先手を打って、農村部を含む全国統一の社会保証制度を強制加入の形で早急に作り上げる必要がある。

日本では、60年代、社会的な摩擦と対立が一時期、激化する傾向を見せた。そこで政府主導の下で公民の各種権利を保障する努力がかなり払われた。言論・結社の自由などは米国占領下で既に導入されたが、個人のプライバシーの保護、各種の新しい権利の概念の承認と合法化がかなり推進された。たとえば公害闘争、環境保護などにおいて企業の権利が制限され、一般市民の権利が優先される法律が多く採択された。このような努力により日本は社会の安定を保ちながら、高成長を通じて先進国への仲間入りを果たした。

これに対して、ラテンアメリカ諸国は、経済発展の過程において現れたさまざまな社会問題への対応を怠ったため、格差・社会的対立・腐敗が取り返しの付かないものになってしまった。中国は、まさに日本の道を進むか、それともラテンアメリカの道を進むかという岐路に立っている。

2006年4月26日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2006年5月26日掲載