世代間問題は克服できる

小林 慶一郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

地球温暖化、少子高齢化と人口減少、財政の持続性、原子力発電所の核廃棄物の最終処分などは「現在世代がコストを払うと、現在世代はなんら利益を得られないが、将来世代が利益を得られる」というタイプの政策課題、すなわち世代間問題である。

世代間問題では、「50年後の人間」という仮想の将来世代の視点で現在の政策課題を議論すると、政策決定が変化する場合がある。これを研究し、自治体などの政策形成に生かそうとする研究者や実務家の取り組みであるフューチャー・デザイン(FD)を2018年2月13日付の本欄で紹介した。今回は哲学や倫理の面から、世代間問題にどのようなアプローチが考えられるかを論じたい。

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地球環境や社会、経済の持続性を維持するには、世代間倫理の確立が必要である。世代間倫理とは現在世代が「世代間問題の解決のために見返りのないコストを支払う」ことができるかを問う、倫理体系のことだ。財務総合政策研究所の広光俊昭氏が著作でこの問題を真正面から検討している。

同氏は、米ニューヨーク大学のサミュエル・シェフラー教授の論を引いて、現在世代と将来世代の間には次のような公共的互恵性があるとした。自分の死後まもなく世界が終わると知ったら、人は人生で達成することの多くを無意味だと感じるだろう。つまり、「自分の死後における世界の存続」こそ我々の大きな関心事であるとシェフラー氏は言う。世界の存続は、現在世代にも将来世代にも共有される価値である。その価値を守る行為は、現在世代と将来世代の双方にとって互恵的だ(=公共的互恵性)。一見すると将来世代のために見返りのない自己犠牲を払っているように見えて、実は将来世代からの貢献を期待しているのである(上図参照)。

図:公共的互恵性/公共的承認

こうした互恵的利他行動が世代間で成り立つのは、まだ生まれていない人々を自らと同じ人間として処遇する、という将来世代への尊重があるからだとされる。ここで、公共的互恵性と相互に強化し合う補助線として「公共的承認」の概念を提唱したい。

米コロンビア大学のアクセル・ホネット教授のヘーゲル解釈によると、人類の歴史は承認を巡る闘争である。承認欲求を満たすために、個人も国家も他者からの承認を求めて闘うのだ。フランシス・フクヤマ氏の「歴史の終わり」も同様の歴史観に基づき、自由民主主義は人々の相互の承認を最大にする政治体制だから、歴史の終局的な統治形態であるとした。

しかし他者による承認はそれ自体に本源的な価値があるというより、その価値の根拠として、さらに誰かの承認を必要とするはずである。それはどこから来るのか、私を承認する他者は誰に承認されるのか、とたどっていくと、無限の未来の将来世代から承認されることに行きつく。世界が自分の死後も存続しなければ自分の人生に意味を見いだせなくなるというシェフラー氏の指摘は、個人の人生の目的はそもそも将来世代の直接間接の承認が期待できて初めて意味を持つ、ということだと解釈できる。

利己的なものも含めて現在世代が目指す価値の根拠は、無限遠の将来世代からの承認であるという思想が「公共的承認」である。公共的承認を認識する個人は、利己心が強いほど強く将来世代への利他行動に誘われる。利己的に承認を求める人間は、将来世代の承認を得たいと強く欲求するからだ(下図参照)。

また、我々の承認欲求を満たしてくれる将来世代を我々が尊重することは自然であり、こうして自然に生まれた将来世代への尊重が、公共的互恵性をも基礎づける。さらに、将来世代への尊重は、彼らからの承認の価値を、我々現在世代にとって一層大きくする。公共的互恵性と公共的承認は相互に強め合うのだ。

公共的互恵性や公共的承認を活性化するには、現在世代の選好が変化することが望ましい。熟議民主主義の取り組みはそのような試みと解釈できる。

市民による熟議、例えば市民会議、ミニ・パブリックスなどが人々の思考を変えることについては、気候変動など重要な政策決定に影響を与えた実績を強調する積極派(米スタンフォード大学のジェームズ・フィシュキン教授、米エール大学のイレン・ランデモア教授など)と熟議の意義は認めつつも補完的な役割にとどめるべきだとする懐疑派(エール大学のイアン・シャピロ教授、米ノースウエスタン大学のクリスティーナ・ラフォン教授など)が論争を繰り広げている。

熟議民主主義の議論ではあくまで現在世代の間での熟議が主題である。そこに将来世代の視点に立つFDの発想は乏しいが、これからはFDと熟議民主主義を合わせることで、民主主義の意思決定を、世代間問題に対応できるかたちに補強できると思われる。

なんらかの制度や組織の創設によって現在世代の選好に影響を与ようとする試みもある。一つは、世代を超えた持続的な開発計画の策定を法的に位置づけようとする動きで、先駆的な例が英ウェールズの「将来世代のしあわせ法」である。京都先端科学大学の西條辰義特任教授の近刊によると、15年に制定された同法はウェールズの環境、文化、遺産などを強化する開発計画を策定するようウェールズ政府に指針を与える。

もう一つの例は、欧米諸国で進む独立財政機関の設置である。独立財政機関とは、40〜50年先までの財政の長期推計を国民や議会に提示する中立的機関である。将来について国民が持つ情報を増やし、将来世代への配慮を現在世代の政策決定プロセスにもたらすと期待されている。

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最後に夢物語を。「利己的行動が実は社会の持続性を高める」という、バーナード・デ・マンデヴィルの「蜂の寓話(ぐうわ)」のような結果がもたらされれば理想的な制度設計だ。

例えば「炭素排出権」本位制の電子マネーシステムはその一例かもしれない。金本位制の貨幣制度なら貨幣を得たい利己的な人間は金の採掘に殺到するが、もし排出権が貨幣として通用するなら、人は利潤動機から排出権を生成しようとするだろう。植林や二酸化炭素排出を減らす技術開発を自発的に行うことになる。

利潤追求という利己的動機が、排出権生成という公共的行為をもたらす。排出権が貨幣になるのは、暗号資産が政府の規制なしでも採掘を促進した状況と同じである。政府による炭素排出量制限などの強い規制がなくても、無限遠の将来世代がその価値を承認するという信頼があれば、貨幣=排出権は価値を持つ。貨幣は公共的承認を実体化したものと言える。

世代間問題は、現存するあらゆる政治体制にとって解決が難しい問題である。民主主義を補完する新しい政治哲学と政策決定の仕組みが求められている。

2023年6月16日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2023年6月21日掲載

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