長期停滞、対症療法脱却を

小林 慶一郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

インフレと賃上げの本格化とともに、安定的な2%のインフレという金融政策目標がいよいよ達成できるかもしれない。しかし国内総生産(GDP)の低成長の要因が分からなければ、インフレが定着しても、成長率が高くなるとは限らない。本稿では過去30年におよぶ長期停滞の要因と、その対策を探ってみたい。

まず、少子高齢化が停滞の原因だという説がある。米アトランタ連銀のリチャード・アントン・ブラウン氏と日本銀行の池田大輔氏は2022年の論文で、この説を理論モデルのシミュレーションで検証した。これは、オスロ大学のマーカス・ハガドン教授が提唱する「物価水準の需要理論(DTPL)」と同様の理論に基づく、日本の長期停滞の研究である。

DTPLでは、総需要の大きさによって物価水準が定まる。総需要の大きさは金融政策と財政政策の総合的な効果で決まり、その総需要が物価水準を決める。金融政策と財政政策の組み合わせによっては、物価の経路が不安定になるという従来の理論の問題は起きない。ブラウン・池田論文は、こうした特徴を持つ世代重複モデルで少子高齢化の影響を分析した。少子高齢化が進むと、高齢者はすぐに支払いに使える流動資産の保有を好むため、貨幣などの流動資産の価値が上昇し、物価が下落する。その結果、デフレが続く。

さらに、高齢化により平均的な生産性が落ちるので1人当たり生産量も減る。生産年齢人口も減るので全体のGDPも減少する。結果的に、物価、成長率、金利がすべて低迷する。ブラウン・池田論文はこうして長期停滞が少子高齢化によって引き起こされた可能性があることを示した。

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まだ定説とは言えないが、同様の意見は増えている。実は少子高齢化がデフレの原因という説は、日本総合研究所の藻谷浩介氏が「デフレの正体」で10年に指摘していた。当時の学界では顧みられなかったが、先見の明があったといえよう。ただ、経済政策でにわかに少子高齢化は解決できない、という問題がある。

ここで、過去30年の経済低迷の原因として想定できるものを列挙してみよう。1990年代は不良債権、00年代は不良債権処理の後遺症、低金利環境による過度なリスク回避、10年代は人的資本の劣化であろう。

90年代には、不良債権処理が遅れたために不確実性が日本全体にまん延し、様々な問題を引き起こした。05年に不良債権問題は正常化したが、15年間も処理にかかったことで後遺症が残った。企業活動が萎縮し、低成長が長引いたのだ。

90年代末の銀行危機のあと、雇用を重視する日本企業の伝統は崩れ、非正規雇用が急増した。一橋大学の深尾京司特命教授らの22年の研究によると、00年代には非正規雇用が増えたことなどで賃金が下落し、労働分配率が低迷した。この時期に人的資本への投資が低迷し、その結果が時間を経て顕在化したのが10年代の低成長だと指摘している。

00年代に不良債権処理で虚弱化した経済をゼロ金利で支えたことは、短期的には効果があっただろう。しかし想定外に長くゼロ金利が続いたため、景気刺激効果は薄れ、副作用も出てきた。低金利環境が経営層のリスク回避を過度に助長し、低成長をさらに固定化したのである。

雇われ経営者の立場で考えれば、低金利で資金調達できるのだから、低収益でもリスクのない事業をしておけば債務不履行を起こしてクビになることはなく、老後も安泰である。だから、リスクのある事業にあえて挑戦しない。

簡単な例(図を参照)でも、低金利の環境では「高リスク高収益」の事業は選択されず、「低リスク低収益」の事業が選択される。低金利政策の結果として、皆が低収益事業を選択し、経済成長率が低迷するということは、少なくとも理論的にはありうる。同じ例で、高金利政策が長期的に続けば、皆が高リスク高収益事業を選択する、という可能性も示される。

図:「低金利→低成長」の仮設モデル

低金利が低成長をもたらす副作用は、低金利環境が長引くことで生じる。経済や企業経営を活性化するために、四半世紀も続くゼロ金利環境を、段階的に正常化する道筋を考えなければならない。

次に人的資本の劣化については、独マンハイム大学のトム・クレッブス教授が03年の論文で理論モデルを提唱している。クレッブス教授は、賃金所得の変動リスクがなんらかの理由で増大すると、人的資本の蓄積が減ると指摘している。

労働者にとって、人的資本投資(教育や研修を受けることなど)のリターンは賃金なので、賃金の変動リスクが増えるということは、人的資本投資のリスクが増えるということにほかならない。人々はリスクの高い投資(自分の人的資本を増やす投資)を避けるので、経済全体で人的資本が減少する。つまり、賃金の変動リスクが上昇すると、人的資本投資が減少し、経済成長率が下がる。

クレッブス教授の議論は、00年代に日本で非正規雇用が増えて雇用リスクが上昇したため、人的資本が劣化して経済成長率を押し下げたことを示唆している。もちろん、本人の選択による人的資本投資の減少だけでなく、非正規雇用の労働者に対する教育訓練コストを企業側が削減したという要因も、人的資本の劣化に影響したとみられる。

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ここまで、長期停滞の要因として少子高齢化、不良債権処理の後遺症、低金利の副作用(企業の過度なリスク回避)、人的資本の劣化という4点を挙げた。このほか、政府債務の増加によって財政の長期的な持続性について将来不安が高まることも、長期不況をもたらす可能性がある(早稲田大学の上田晃三教授と筆者の22年の論文)。

少子高齢化以外は、今後の経済政策で対応できる課題である。人的資本の劣化については、賃金所得リスクを平準化するために、非正規雇用と正規雇用の同一労働同一処遇の実現や、就労形態によらないセーフティーネット(たとえば給付付き税額控除)の整備が有用と思われる。企業の過度なリスク回避を抑えて高リスク高収益事業を実現するためには、名目金利の段階的な正常化が必須であろう。しかし、景気を冷やし過ぎないよう軟着陸する必要がある。また、金利上昇は政府債務の負担増に直結するので、金融の正常化は財政の長期的な持続性確保と一体で進めるべきだ。

これについては独立財政機関の設立が有益ではないか。独立財政機関は、経済協力開発機構(OECD)の標準では70年程度先までの、中立的で信頼性の高い財政見通しの推計を国民に提示する。長期の財政推計を国民が知れば、持続性を維持するための改革に合意を得やすくなる。財政健全化への信認を確保しながら、金利の段階的な正常化を目指すという財政と金融の一体改革を求めたい。

2022年10月12日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2022年10月17日掲載

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