核先制使用の制裁条約を

小林 慶一郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

この4カ月、ウクライナでの戦争によって核兵器使用の現実味が一気に高まった。全面核戦争は、理論的可能性の範囲ではなくなったと言えまいか。つまり、全人類が当事者である。

クレマンソーの皮肉な名言に倣えば、核使用のエスカレーションや核抑止戦略の議論は余りにも我々の生に直結しているため、専門家に任せきりにして思考停止していい話ではない。本稿では誰もが当事者となりうる話として、核抑止戦略を考察してみたい。

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改めて考えると、相互確証破壊の論理、すなわち、「核保有国は核攻撃されたら必ず反撃して相手を滅ぼすことができるので、核戦争が始まったら誰も生き残れない。従って誰も核戦争を始めない」という理屈は危うい。この論理には脆弱性があり、倒錯がある。

まず、脆弱性である。相互確証破壊の論理はゲーム理論としては正しいが、結論を得るのに必要な仮定が強すぎる。完全情報の下で、プレーヤーが相手の行動目的を完全に把握していて、自分も行動目的に沿って合理的に行動する、という前提条件である。しかし、現実にはこれはまったく成り立たない。ロシアのプーチン大統領の発言や行動については、情報も、意図も、すべてが不透明であると世界が知ってしまった。

相互確証破壊の論理には倒錯もある。紛争で達成しようとする目標と、その手段が余りにも釣り合わないのだ。「世界の中での生存」を目的とする2国間の個別的な紛争は、相互確証破壊の論理では、「世界そのもの」を手段=人質として扱うことになる。目的(=世界の中での個々の国の存続)と手段(=世界そのもの破壊)のバランスが正当性を持たないのである。

悪い比喩だが、東京を縄張りにする暴力団と大阪を縄張りにする暴力団が勢力拡大を目指して抗争し、大阪の暴力団が負けそうになったら、暴力団とは何の関係もない首都圏住民2千万人を皆殺しにする、と言っているようなものである。

このような脅し=手段は、実行されれば目的(暴力団の勢力拡大)を根底から吹き飛ばしてしまう。そもそも、冷戦体制が終わった現在、紛争当事国に全世界の存亡を決する権利があるとするゲームの問題設定自体に正当性(レジティマシー)がない。暴力団が、一般市民の生殺与奪の権を持つという前提に正当性がないのと同じである。

以上のような脆弱性と倒錯を乗り越え、安定した核抑止を考える必要がある。

脆弱性を克服するには、核エスカレーションの階段を核保有国が昇り始めるのを止める必要がある。エスカレーションの階段を昇れば緊張が高まり、不測の事態が起きる可能性が高まるからだ。

また、倒錯を克服するためには、紛争と無関係であるのに核使用によって甚大な被害を受ける世界全体(紛争当事国以外のレスト・オブ・ザ・ワールド=ROW)をプレーヤーに入れたゲームで、問題を議論する必要がある。

核使用の犠牲となるROWは、単に非当事国に今生きている者だけではない。世界中でこれから生まれてくるはずだった何十世代、何百世代、何千世代という将来世代が存在できなくなるかもしれないという意味で、無限の未来に続く将来世代すべてが犠牲者である。それは人類だけでなく、地球上のあらゆる生物についても同様である。当事国2者の紛争がどのような理由と目的や大義を持っているにせよ、人間や万物の将来世代の存続を危うくすることは正当化できない。

例えば、2千年後の未来の人類にとってみれば、現在のウクライナ侵攻は、人類の存続を賭けるに値しない、まったく無意味な争いに見えるだろう。2千年前のポエニ戦争の理由が現代の我々にとってどうでもいいのと同じである。

従って全世界にとって、核エスカレーションの階段を紛争当事国に昇らせないことが最大の目標となる。

一つの思考実験だが、核の階段の最初の一歩を昇らせない仕組みとして、「核先制攻撃をする国に対しては即時無条件に最大限の制裁を行う」という「核先制使用制裁条約」を創設し、多くの国々が締約国となることは有益だ。制裁とは、非軍事的なあらゆる手段による広範な制裁を意味する。経済制裁だけでなく、国際的な枠組みからの排除などの強制措置を含む。

これは「限定的なものであっても核先制攻撃は紛争と無関係な全人類の生存を危うくするという意味で、人類に対する犯罪行為である」という新しい規範を確立することと同じである。

なお、核先制使用の否定は、現在の日本政府の考え方とは相いれない。現状で政府がこのような提案をすることは望めないが、核使用のテールリスクに対し、理論可能性も含めて白地から核抑止のための新しい規範を議論する意味はある。

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新条約の有効性を図で考えよう。上図は、通常の核抑止の2者ゲームである。核保有するA国とB国の紛争で、A国が限定核使用(L)をするか、しないか(NL)を決め、次にB国が反撃(E)をするか、しないか(NE)を決め、さらにA国が反撃(E)するか、しないか(NE)を決める。両国ともEを選べば全面核戦争になる。

図:核使用の抑止を巡る2国間ゲーム/上記のゲームで非当事国が制裁する場合

このゲームでは、両国が合理的なら、均衡ではA国が限定核使用(L)を実施するが、B国は反撃せず(NE)、核のエスカレーションは起きない。理論上、全面核戦争は回避される。しかし現実の世界では、いったん限定核使用が起きると、様々な不確実性が広がるため、全面核戦争に至る可能性はゼロとはいえなくなる。

下図は、核先制使用制裁条約に世界中の国が加盟したらどうなるかを示している。この場合、限定核使用をした場合には世界中の国から制裁を受けるため、A国が先制核攻撃することで得られる利得はマイナスになる。上図のように、制裁がなければA国の限定核使用を止めることはできないが、下図のように世界中の国が核使用国に制裁を加えると事前に分かっているなら、A国はそもそも限定核使用する利益がないので、先制核使用は行わない。こうして核エスカレーションの第一歩が阻止される。均衡では核使用は起きないので、制裁も必要なく、結果的に制裁する方の国々もコスト負担はない。

2021年に核兵器禁止条約が発効したが、核兵器の廃絶は核保有国が同意しないと実現できないので、現状、非現実的な取り決めである。核兵器禁止条約では、核兵器使用に対する制裁は規定されていない。もし核先制使用制裁条約を創設できれば、締約国が核非保有国であっても制裁は実行できるので、この条約を作ることで、信頼性の高い新しい国際規範を創造できる。それは、世界の運命の決定権は世界中の人々に広く正当に分有されるべきだ、という国際規範の創造でもある。

2022年6月15日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2022年6月20日掲載

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