「合理的期待仮説」次の課題

小林 慶一郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

今回はデフレや「期待」の政策論争を離れて、学問論にフォーカスする。経済学が期待形成についてどう思考してきたかを物理学とのアナロジー(類比)で整理し、今後の可能性を論じたい。経済学が物理学に倣って理論を発展させたことはよく知られている。

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物理学も経済学も20世紀に革命的変化を経験した。物理学では20世紀初頭に量子力学が誕生し、経済学では20世紀後半に合理的期待仮説に基づく現代マクロ経済学が成立した。この2つには、学問のフレームワーク(枠組み)の変化としての共通点がある。観測対象のシステムを「外」から見ていた学問が、システムを「中」から見るようになった、という変化である。

物理学では19世紀に発展した解析力学(ニュートン力学)と20世紀初頭に出現したアインシュタインの相対性理論を合わせて古典物理学と呼ぶ。量子力学は古典物理学とまったく異なる学問体系である。「観測者が『外』から観測対象の物理システムを見ている」のが古典物理学で、「観測者が観測対象の物理システムの『中』にいる」のが量子力学である。

古典物理学では、観測者はシステムの外にいるので物理システムに影響を与えない。しかし現実の世界では、観測者は観測対象の物理システムの「中」にいる。この事実を正確に記述したのが量子力学である。量子力学では、観測者は物理システムの中にいるため、観測行為によって観測対象の物理システムに影響を与えてしまう。これが不可解な量子力学的現象の原因だ(これは観測問題を重視する1つの解釈である)。

経済学の世界では、古典経済学からケインズ経済学までをひとくくりにできる。それらと、1970年代以降に成立した現代マクロ経済学は大きく異なる。

ケインズ経済学までは、観測者(経済学者)は経済システムの「外」にいて、経済システムの「中」の人々(市場の住人たち)とは別個の存在と仮定されていた。市場の住人たちは「自分が住んでいる経済システム全体を観測し、認識する」ということはしない。彼らは政府の政策にただ単純に反応するだけだ。

しかし現代マクロ経済学では「経済システムの『中』にいる市場の住人たちこそが観測者だ」と考える。市場の住人たちは自分の行動を決めるときに経済システム全体を観測し認識しているはずだ、とシカゴ大学のロバート・ルーカス名誉教授は指摘した。

76年の論文でルーカスは次のように論じ、経済政策の有効性に疑問を呈した。政府が政策を変えると、経済システムの中にいる個人(観測者)は、経済全体についての期待を変化させるので、政策に対する反応を変える。すると、かれらの集合体である経済システム全体の反応も変わり、政府の当初のもくろみよりも政策効果は小さくなる。この「ルーカス批判」は観測者が物理システムの「中」にいるためシステム全体に影響を与えるという量子力学の理論フレームワークと同型である。

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現代の経済学では、経済システムの中にいる人々が観測者であることから、人々の期待形成は次のような再帰的(Recursive)構造を持つ。

政府は「市場がどう反応するか」という期待(期待G)をもって、政策を実施する。市場参加者は「政府の政策がどうなるか」という期待(期待M)をもって、政策に反応する。市場の反応は市場参加者の期待(期待M)に依存するので、「市場がどう反応するか」という政府の期待(期待G)は期待Mに依存する。一方、政府の政策決定は政府の期待(期待G)に依存するので、「政府の政策がどうなるか」という市場の期待(期待M)は期待Gに依存する。

つまり期待Mは期待Gによって決まり、期待Gは期待Mによって決まる。人々の期待Mは(政府の期待Gを経由して)期待M自身に依存して決まることになる。この「期待が自分自身に依存して決まる」性質を再帰性という。

「再帰性」は現代マクロ経済学の核であり、研究者たちはそのことを強く意識している。ニューヨーク大学のラース・リュングヴィスト教授とトーマス・サージェント教授が書いた現代マクロ経済学のもっとも代表的な教科書の題名が「再帰的マクロ経済理論」であるのも、それが理由である。

「人々の期待が、人々の期待それ自身に依存して決まる」という再帰性は経済システムの本質だが、再帰性があると、ふつうは何が起きるかまったく予想できず、意味のある政策分析ができない。そこで経済学者は「人は完全に合理的に予想するので、期待の基本形は最初から完成しており、時間がたっても変化しない」という非常に強い仮定(合理的期待仮説)を入れることにした。

合理的期待を仮定すると、期待が単一に定まり、政策分析がきれいにできる。ただ、現実の経済システムでは、期待は再帰的ではあるが合理的とは限らない。再帰的期待のきわめて特殊な一例が合理的期待なのであり、それが現実というわけではない。

合理的期待仮説を現実に近づけるため、これまでさまざまな改変が試みられてきた。キーワードだけ挙げれば、たとえば、サンスポット理論、高次期待とグローバルゲーム、モデル選択のロバストネスの理論などがある。しかしいずれの改変も、合理的期待仮説の結果とさほど大きな違いはないので、政策分析では合理的期待仮説を使うのが主流のままである。

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量子力学と比較すると、いまの経済学では、ある重要な性質が欠落しているように思える。それは、観測者(人)と観測対象(市場)の直接的な相互作用である。

量子力学の根本的な性質として、ハイゼンベルクの不確定性原理がある。量子力学の観測とは、観測者が光子(光の粒子)を観測対象にぶつけて、跳ね返ってきた光子を観測装置でキャッチすることである。当然、光子をぶつけられた相手の位置や運動量は変化するので、観測行為によって相手の位置と運動量を両方同時に確定することはできない。これが不確定性原理だ。

一方、経済学の競争市場の理論では、観測者(人)と観測対象(市場)の間に量子力学の観測のような直接の相互作用はない。「企業も人も市場価格を所与として、自分の需要量や供給量を決める」というのが競争市場の仮定であり、そこでは「ひとりの人間の行動が直接的に市場価格に影響する」という可能性があらかじめ排除されている。「価格を所与として量を決める」という経済学の大前提が、観測者と観測対象の直接的な相互作用を「遮断」する思考のフレームワークとして機能しているのである。

「企業も人も市場価格を所与として数量を決める」というのは理論上の仮定で、現実の経済ではもちろんそうなっていない。現実の期待形成メカニズムを本当に理解し、期待を誘導してデフレから脱却するためには、経済学版の「不確定性原理」を見つける必要があるのかもしれない。

それには「人々は価格を所与として数量を決める」という大前提を離れ、「人々は価格と数量の確率分布を決める」というような新しい経済学が要るのかもしれない。現世代の学者だけでは荷が重い課題であり、次代の探究者との協働が不可欠であろう。

2017年2月20日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2017年3月8日掲載

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