デフレ期待は「将来不安」

小林 慶一郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

日本銀行は9月20、21日の金融政策決定会合で、長短金利を誘導目標とする新たな緩和の枠組みを決め、引き続き2%インフレの達成を目指す姿勢を強調した。ここで日銀はデフレ期待を払拭するためにオーバーシュート型コミットメント(2%のインフレが実現してからもしばらくは緩和政策を継続するという約束)も決めた。

9月29日の本欄で日銀の内田真一企画局長が表明しているとおり、その背景には、期待は「過去の経験」に引きずられる、という「適合的期待」の仮定がある。その場合は、日銀が2%インフレに強くコミットすることで、過去のデフレの経験によってできた「デフレ期待」を吹き飛ばそう、という発想は単純明快で正当なものである。

しかし、過去の経験だけでなく、将来の不安が期待に影響しているとしたら、ことはそれほど簡単ではない。

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欧米経済の「長期停滞論」も、期待の変化が関係しているかもしれない。ニューヨーク大学のロラ・ヴェルドカンプ教授らの2015年の論文は、08〜09年のたった1回の金融危機が、米国経済を長期的に停滞させる可能性があることを期待形成のメカニズムから定量的に示した。

標準的な経済学で使用される「合理的期待仮説」では、人々はすべての情報を合理的に使って将来についての期待を持つので、経済の構造変化がなければ、期待が変わることはない、と想定されている。つまり金融危機という一過性の経験だけでは期待は変わらないはずなのである。

一方、少し古い経済学が仮定する適合的期待では「人々は過去に起きたことがそのまま未来にも起きると期待する」と仮定される。この仮説が正しければ、金融危機の経験は、人々の期待を大きく変えるといえる。しかし適合的期待仮説は、人間が将来を合理的に予測する能力はゼロだと仮定するに等しい。それはあまりに極端である。

現実の世界では「合理的期待」と「適合的期待」の中間的な方法で人々は期待形成していると考えられる。日銀の分析や政策決定も、そのような中間的な期待形成のあり方を想定している。ヴェルドカンプ教授らの論文は、中間的な期待形成メカニズムを新たに理論化した。

彼女らの論文では合理的期待仮説とは異なり、「人々は危機の確率分布のかたちを事前には知らない」と仮定した。そのうえで「人々は、毎年の経験から得たデータを使って確率分布のかたちを推定する」と仮定した。つまり、人々は経験から徐々に学習して金融危機が起きる確率を学んでいくという仮説である。これは「期待学習仮説」と呼ぶことができる。

たしかに、現実の世界で、人々が金融危機の発生確率を事前に知っているはずはなく、経験から学習するしかない。また、期待学習仮説は、人々が今ある情報を使ってベストを尽くして将来予測をするという合理的期待仮説の考え方とも矛盾しない。むしろ合理的期待仮説を、現実的に拡張した考え方と言える。

ヴェルドカンプ教授らの理論では、大きな金融危機が起きると、そのデータを使って人々が確率分布のかたちを推定するため、推定結果が大きく変わってしまう。それまでの「金融危機は起きない」という期待が、08〜09年を境に「金融危機は数十年に1回は起きる」という期待に変わった。つまり、1回の金融危機によって、期待の永続的な変化が起きるのである。

この期待変化が米国の消費や投資を低下させ、国内総生産(GDP)の水準の長期的低下を引き起こした、とヴェルドカンプ教授らは論じている。

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期待が過去の経験からの学習と合理的な将来予想の混合物だと考えると、日本のデフレ期待をめぐる論点は整理しやすくなる。

デフレ期待が過去の経験(20年近く続いたデフレ)によって刷り込まれているとすれば、インフレへのコミットメントを日銀が強力に実行することで、いずれインフレ期待が生まれる。そのとき需要は完全雇用状態よりも大きくなり、一時的に景気は過熱状態になるが、それを容認してでもインフレを起こそうというのが日銀の狙いであろう。

しかし、ヴェルドカンプ教授らの論文が想定したようなテールリスク(なんらかの危機のリスク)が高まっていることが日本のデフレの原因だったら、そのようにはいかない。日本経済で想定される国内要因の最大の危機とは、財政危機である。

ヴェルドカンプ教授らの理論によると、米国経済では金融危機の経験によって危機再来の期待が高まったが、日本の場合、財政危機はまだ起きていないので、期待は危機の「経験」によって高まっているのではない。日本の政府債務の増え続ける金額を見て、人々が「予想」する危機のインパクトが年々大きくなっていることが問題なのである。

周知のとおり、日本の政府債務は加速度的に累増しており、いまやGDPの250%とされる(国際通貨基金=IMF推計)。政府の債務は、国民が支払う税収で返済されるのだから、われわれ国民の借金である。

政府債務は国民1人当たり1000万円弱。4人家族なら4000万円の借金をいつのまにか背負わされているという計算になる。この借金をいつどういうかたちで返せと言われるか分からない、という状況に日本国民は置かれているのである。

増税、歳出カット、高インフレ、のいずれかは避けられないのだが、どれがいつどのような形でやってくるか分からない。しかも、債務が年々増えているので、それらが実現したときに予想される生活の「痛み」は年々大きくなる。これでは、いくら日銀が旗を振って「さあいま消費を増やせ」と言っても、国民はこわくて消費できない。

日本の財政危機のテールリスクは、政府債務が増えるにしたがって、年々、大きくなっている。テールリスクが増大し続けるならば、ヴェルドカンプ教授らの理論モデルでは、総需要の縮小が年々ひどくなる。すると、GDPの水準が下がるだけでなく、その後の成長率も下がる。また需要を下押しする圧力が年々強くなれば「慢性的なデフレ期待がある」と認識されることになる。

つまり、日本では政府債務が加速度的に膨張し、財政破綻のテールリスクも年々大きくなっているため、需要の収縮圧力が年々強まり、経済成長率の長期的な低下とデフレ期待の持続が起きているのではないか。こうした理論的な予想ができるのだ。

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政府も日銀も認めているとおり、近年、日本の潜在成長率は極端に低下してゼロ%台に落ち込んでいる。潜在成長率が低下する理由は、通常であれば、技術進歩の問題だ。その場合、経済成長率を高める政策は、構造改革(成長戦略にもとづく規制緩和など)によって技術進歩のスピードを上げることである。

しかし、財政のテールリスクの増大が低成長とデフレ期待の原因ならば、まず財政再建の明確な道筋を国民に見せることが必要になる。それには日銀だけがデフレ脱却にコミットしても効果は薄い。政府・日銀が一丸となって財政のテールリスクを払拭することが、デフレ脱却と成長回復のために求められているのではないか。

2016年10月17日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2016年10月31日掲載

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