日経平均2万円は実力か 企業の「稼ぐ力」回復は途上

小林 慶一郎
ファカルティフェロー

日経平均株価が4月22日、2000年4月14日以来15年ぶりに、終値で2万円の大台を回復した。日本経済は長期のデフレから脱却し、企業社会が構造的に変わったのだろうか。株価の回復は日本企業が「稼ぐ力」を取り戻したことを示しているのだろうか。

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筆者は、マクロでは将来リスクの懸念があり、企業レベルのミクロでは構造変化の希望があると考える。

まずマクロの問題である。円安が進んだことで、輸出企業は数量ベースの業績が変化しなくても円建ての収益は大きく改善した。ただ、円安の反映として株価が上昇している分を差し引いてみれば、必ずしも2万円の株価が日本企業の実力を現しているとは言い切れない。ドル建てでは日経平均の上昇幅はかなり割り引かれてしまう(図参照)。

図:日経平均株価とドル建て日経平均
図:日経平均株価とドル建て日経平均
(注)2009年2月を100として指数化、月初値を利用、4月1日の後に4月22日の終値を追加

また、長期的には日本の財政の持続性とマクロ的な経済の安定性が不確実である点は引き続き大きな懸念材料である。財政危機(高いインフレによる物価調整)が起きれば、個々の企業努力は吹き飛ぶ。

1990年代末の銀行危機や2008年のリーマン・ショックの教訓もあるので、日本企業には今でも手元流動性を積み上げようとする強い志向がある。強いリスク回避はそれぞれの企業にとっては合理的でも、マクロでは成長を阻害する。典型的な「合成の誤謬(ごびゅう)」である。

しかし、財政の将来不安がなくならなければリスク回避は根本的には解消しない。消費税率を10%に引き上げても、財政を安定化させるには全く足りない。その一方で、歳出削減や消費増税をすれば景気が悪化する。マクロ経済と財政は八方ふさがりで出口なしだ。

その中で企業にリスクをとって成長しろというだけでは無理がある。将来不安を払拭するために、政府は40年程度先までの試算を公表して、財政再建の合理的な選択肢を国民に示すべきである。

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一方、ミクロの動きには希望が持てる。

昨年2月には機関投資家の株主としての行動規範を示した「日本版スチュワードシップ・コード」が制定された。今年6月には「コーポレートガバナンス・コード(企業統治指針)」の制定も予定されている。企業統治が変わりつつある。その特徴は、投資家から事業会社への投資資金の流れ(インベストメントチェーン)の全体を変えようとする動きがあることだ。企業統治改革といえば、事業会社の内部組織の改革が中心だったが、今回は事業会社に投資する側の機関投資家を改革することも視野に入っている。

日本株の投資家と企業の関係に問題があることを示唆するのが自己資本利益率(ROE)の推移だ。日本のROEの10年平均(2000年代)は約6%であり、グローバルな平均値の半分程度である。

今回、日経平均2万円超えの原動力は高ROE企業だともてはやされているが、ROEの短期的な実現値を経営目標と考えるべきではない。ROEはあくまで生産性の代理変数であり、長期的な実現値で評価すべきものだ。

問題の本質は日本企業の生産性である。90年代からの二十数年間、日本の生産性(全要素生産性、TFP)はゼロ成長に近く、ROEの低さは生産性の低迷を反映していた。株主資本コストをROEから差し引いたエクイティスプレッドを使うと、日本企業の低生産性はさらに際立つ。

日本の企業統治の弱さを変えて、日本全体の資産性と経済成長を高めようとしているのが、政府の日本再興戦略に位置付けられた企業統治指針などの動きである。

日本の企業統治の問題点は銀行による統治(バンクガバナンス)から、株主による統治(エクイティガバナンス)への転換がうまくいっていないことであろう。70年代までの資金不足時代には大きな力を発揮したバンクガバナンスがバブル崩壊後の資金余剰で弱体化したのに、代わるべきエクイティガバナンスが有効に機能していない。

そこには株式を発行する事業会社の問題だけでなく、株主(資産運用会社などの機関投資家)が統治主体として必ずしも有効に機能できないという投資家側の問題がある。わが国の資産運用業界は、投資先の経営改善に関与(エンゲージメント)しない短期売買型の投資の割合が高い。彼らの一定割合が長期のエンゲージメント投資志向の投資家に変わらなければならない。すなわち発行体の経営改善に深く関与して長期の企業価値向上から収益を得る投資モデルを普及させる必要がある。

それには運用会社に運用委託している最終投資家(年金基金、生命保険会社など)も長期エンゲージメント志向になることが求められる。さらに、同様の志向を持つ運用会社の新規参入が増えることも必要であろう。インベストメントチェーンに関わるすべてのプレーヤー(発行体、運用会社、最終投資家)が変わる必要があり、様々な政策的な後押しも重要である。詳しくは、3年前に筆者らが立ち上げた『山を動かす』研究会編「ROE最貧国 日本を変える」を参照していただきたい。

ROEを高める経営改革は、労働者の取り分を減らして株主の取り分を増やすゼロサムゲームとみられがちだ。労働市場改革も一体的に進め、ゼロサムでなく雇用や賃金も増えるプラスサムゲームを実現しなければならない。

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プラスサムの例は意外なところにある。高ROE企業の代表格であるトヨタ自動車の幹部から、トヨタ生産方式の本質は「人間性の尊重」と聞いたことがある。現場の従業員1人ひとりの参加意識を高め、彼らからの主体的な職場改善の提案を実行することで生産性を向上させるのがトヨタ生産方式である。

この哲学は、人類の歴史を通じて受け継がれた「積極的自由」の概念に通じるものがある。政治学や政治思想の分野とは異なり、経済の議論ではほとんど意識されないのが「積極的自由」と「消極的自由」の違いである。与えられた選択肢の中で欲しいものを選ぶ自由が「消極的自由(または選択の自由)」である。経済学者が使う自由の概念は例外なく消極的自由だ。

一方、政治学者のマイケル・サンデル米ハーバード大学教授によると、古典的政治思想における自由(積極的自由)は、ギリシャ時代から「自己統治に参加できる自由」であった。自分が住むポリスの政治に参加し、自己決定できるということが市民にとっての本質的な自由であり、かけがえのない価値であった。同じことは現代の様々な組織やチーム(自治体、企業、市民団体など)についても成立する。

企業でいえば、従業員1人ひとりが自分の職場のあり方を自己決定できる自由を持つことは、従業員に満足感をもたらすだけでなく、チーム全体に対する強い責任感を必然的に生み出す。それは結果としてチームの生産性を顕著に高める。こうした積極的自由の作用を最大限に生かして生産性を上げたのがトヨタ生産方式だといえそうである。

このように長期的に強い企業とは、ステークホルダー(利害関係者)の全員が当事者意識を持って意志決定に参加できる「積極的自由」のある組織ではないか。日本企業が長期のROEを上げられるかどうかは、そうした経営ができるかどうか、にかかっている。企業統治指針でも、価値向上のためにステークホルダーに配慮することが求められている。投資家も含めたインベストメントチェーン全体が変わることが必要だ。今回の株式市場の活況がその変化を促進することを期待したい。

2015年4月28日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2015年5月26日掲載

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