制度改革、足並みそろえよ

小林 慶一郎
上席研究員

経済成長戦略について議論が盛んだが、経済成長理論の観点から現在の日本の経済政策についてどんなことがいえるだろうか。以下で考えたい。

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1980年代後半から内生的経済成長理論が大きく発展した。それは、教育や経済活動を通じて新技術が様々な形でスピルオーバー(拡散)し、技術進歩が自己増殖的に持続すると考えるものだ。

この理論の大きな政策的含意は、「教育や研究開発への投資は民間だけでは過小になる」という点にある。公的な教育投資や研究開発投資は、技術進歩を加速させ経済成長を高める。その意味で、子ども手当や公立高校授業料無償化など新政権が打ち出した教育関連の施策は、次世代の人的資本形成を促す成長戦略として重要といえる。他方、政府の科学技術予算も成長にとって長期的に重要であり、事業仕分けなどを通じて縮小傾向がみられる点は懸念される。

新政権は、企業などの供給サイドより、消費者など需要サイドを重視した成長を目指している。だが近年の経済成長理論では、需要主導の成長モデルは少ない。第1次産業から第3次産業への産業構造の変化を説明するモデルや、新しい技術への公的需要を政府が財政出動で作り出すと産業化が促進されるという開発経済学的な「ビッグプッシュ」モデルなどがあるが、日本経済の現状にはそぐわない。

需要主導型としては、近年あまり注目されないが、アダム・スミスが『国富論』で提唱した、「市場の広さ(需要の大きさ)が分業を制限する」という分業の定理がある。市場(需要)が大きいと、生産者の分業が進み、分業が進むと生産性が飛躍的に向上し、経済が成長する。アダム・スミスは大きな市場(需要)の存在こそが、経済成長につながると示唆した。ちなみに筆者も、需要拡大が分業の深化をもたらし、分業による生産性上昇が人々の所得を増やして需要がさらに拡大するという内生的成長理論モデルをかつて提唱した。また米ニューヨーク大学のジョヴァノヴィック教授らは需要増加が企業の研究開発投資を増やし、技術革新と経済成長を引き起こすと主張する。

いずれの考え方でも、需要拡大が、分業などを通じて企業の技術進歩に結びつくことが経済成長をもたらす条件である。政策を考える上でも、消費者と企業を対立的にとらえるのでなく、需要拡大が企業の技術革新に結びつくように研究開発減税などの政策を組み合わせることが重要になる。また、技術進歩と経済成長をもたらす需要は、内需と外需を合わせた総需要である。内需だけでなく、新興国市場などの外需を開拓するための政策も需要サイドの成長戦略として重要となる。

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市場メカニズムが成長をもたらす仕組みを解明するこうした議論に対し、制度や政治と経済成長の関係を考察する研究(成長の政治経済学)がこの10年で急速に発展した。利益集団の政治力の違い、民主制や開発独裁など政体の違い、法起源の違いなどと、経済成長の関係が明らかになりつつある。この分野の研究は日本の構造改革路線の行方にも様々な示唆をもたらす。

冷戦終結後の共産圏では、ビッグバン方式で急激な市場経済化を進めたが、経済成長は一時的に大きく落ち込んだ(図)。米カリフォルニア大学バークレー校のローランド教授らは、制度の急激な変化が経済を悪化させると主張している。これに対し加藤創太国際大学教授は、「複数の制度を異なるスピードで改革すると、制度間の相互の補完関係が一時的に崩れるため、過渡的に経済のパフォーマンスが悪化する」との仮説を立てた。加藤氏と筆者は、東京財団などで共同でこの仮説を検証する研究を進めている。

冷戦終結後の旧共産圏諸国の実質GDP

例えば労働市場の自由度に関する制度と、雇用のセーフティーネット(雇用保険など)の大きさは、相互に補完し合う働きがある。労働移動が制限され企業が内部失業を抱え込むなど労働市場の自由度が小さければ、公的なセーフティーネットが小さくても労働者の将来不安は起きない。

一方、自由度の大きい労働市場と大きな公的セーフティーネットの組み合わせでは、労働者は職を失いやすいがセーフティーネットがしっかりしているため将来不安は低減される。よって失業の恐れがあっても消費は堅調となり、経済のパフォーマンスにはさほど悪影響を及ぼさない。従来の「大きな政府」対「小さな政府」という単純な枠組みでとらえられない制度間の補完性が存在するのである。

こうした関係の下で、労働市場の自由化が突出して先行し、セーフティーネットの整備が遅れれば、経済のパフォーマンスが悪化すると予想される。つまり労働市場の自由化で企業の競争力は上がるが、労働者の失業する可能性は高まる。こうしてセーフティーネットが貧弱なまま失業の可能性だけが高まると、消費者は将来不安から消費を減らし、経済全体が低迷する。

このような問題は、相互に補完し合う複数の制度が変化する際、「制度変化のスピード調整」がうまくいかないために過渡的に発生する。図で示した旧共産圏の例ではビッグバン方式で包括的な制度改革が行われた結果、一時的に経済が落ち込み、その後、緩やかに回復した。このパターンも、制度変化のスピード調整の失敗で一部説明できる。

加藤氏と筆者らのグループは、経済的自由度に関するカナダ・フレイザー研究所の国別データ(2008年度)を使い回帰分析でこの仮説を検証した。その結果、国レベルで見ると、制度間の変化スピードの不整合は経済に悪い影響を与えることが分かった。データは世界65カ国について、経済関係の諸制度(所有権などの法制度、金融環境、貿易規制、市場規制など)の自由度を指数化したものだ。1980年以降のそれぞれの指数の時間変化が入手できるため、指数の変化スピードで、各制度の変化のスピードがとらえられる。

このデータを使って回帰分析を行った結果、ある国で2つの制度の自由化のスピードの差が大きくなると、その国の国内総生産(GDP)を一時的に減少させる効果があることが分かった。例えば、貿易規制の自由化と市場規制の自由化のスピードの差が1%広がると、その国のGDPが2%減る効果がみられる。筆者らは現在、このモデルで、1990年以降の日本の構造改革についての検証を進めている。

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筆者らの研究から現在の日本経済についていえる教訓は次のようなことだ。(1)市場の競争性とセーフティーネットの大きさなど複数の制度はお互いに補完し合っており、制度改革を行う際にはそれらの変化のスピード調整が重要になる。(2)過去の構造改革はそのスピード調整に失敗した。例えば市場の競争性は高まったが、セーフティーネットの整備が遅れたため、将来不安の増大と消費低迷、格差拡大などの弊害が起き、経済のパフォーマンスも期待されたほど改善しなかった。(3)現在の政府に求められるのは、構造改革を全面的に止めることではなく、市場の自由化に合わせセーフティーネットの整備を加速するなどして、諸制度関の変化スピードのズレを調整し、経済パフォーマンスの改善を速めることである。

制度間のスピード調整を効果的に行うには、各制度を所管する官庁がばらばらに制度改革するのではなく、政治(官邸)が改革ビジョンを示しつつ、オーケストラの指揮者のように各官庁のスピード調整を行うことが必要である。その過程では、どんな制度が補完し合っているかを、綿密に分析する作業が欠かせない。その上で、各官庁は政治が指示したスピードに従って、所管の制度改革を実施する。それが「政治主導」の経済政策で必要な、政治と官の役割分担であろう。

以上、述べたように、最近の経済成長論では、市場競争の働きだけでなく、各国の制度、歴史、政治などの役割がますます重要視されている。現実の政策において、成長戦略を考える上でも、事業仕分けなどを進める上でも、こうした最新の研究成果は有益な示唆を与えるだろう。

2010年2月15日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2010年2月26日掲載

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