ディベート経済 格差問題をどう見るか

小林 慶一郎
研究員

バブル後の長い不況が終わり、景気回復の果実の分配を考えるべき時期になった。そのためか、国会などの場で所得格差の拡大をどのように是正するか、という問題が大きな議論を呼んでいる。

構造改革が拡大を招いた

バブル崩壊後の不況の中で、ホームレスになる人々の数が増え、90年代後半からは、パートや派遣労働などの「非正規雇用」が大きく増加した。正社員扱いにならない非正規雇用の人々は、同じような仕事をしても、給与や社会保障などの待遇が正社員に比べて相当に劣悪だと言われる。

労働市場をもっと自由なものにしようという構造改革の理念からみても、これは不合理な差別であり、早急に解決すべき問題である。

全体的な雇用環境も、ごく最近まで非常に厳しかった。特に、24歳以下の若年層の失業率は、10%近い高水準だった。

こうした状況から、「日本社会で所得格差が広がっている」という意見が急速に高まっている。

格差を問題視する議論の多くは、「構造改革で競争が厳しくなったから格差が生まれた」という考え方をとる。したがって、格差の拡大を是正するために構造改革の路線を転換すべきだ、というのが主張の眼目となる。

この立場の論者は「構造改革は、弱者を切り捨てることで企業を強くし、経済の効率化を図ってきた」とする。大企業や金持ちの投資家が競争の勝者で、貧困や低所得に陥った人々は競争の敗者だ、という見方である。弱者を擁護する立場から、市場競争が行き過ぎている、と見るのである。

しかし、格差拡大が事実だとしても、その原因が、構造改革によってもたらされた過剰な競争だ、という見方に無理はないか。

日本企業は、90年代末までの間、不況が続いていたにもかかわらず、給与水準を上げ続け、労働者への分配を増やし続けてきた。90年代末になって、長期不況に耐え切れなくなり、企業は労働者のリストラに手をつけざるを得なかったという見方もできる。もし、リストラをしなければ、存続できなかった企業も多かった。

こうしてみると、構造改革よりも、長期不況が格差拡大の大きな原因といえるのではないか。

競争の結果、健全な証拠

格差を問題視する議論がある一方で、本当に格差が拡大しているのか疑問視する意見や、格差を是認する議論もある。

統計データは、格差拡大を証明しているとは言い切れない。厚生労働省の所得再分配調査は、近年、格差が拡大していることを示しているが、総務省の家計調査では、格差拡大は起きていないように見える。高齢化で見かけの格差が広がっているとの意見もある。

現実に格差拡大が進んでいるのかどうか、もっとデータを集めて定量的に分析することが重要だ。

格差を是認する議論は、次のようなものである。

長い間、経済の低迷が続き、社会が閉塞状態に陥ってきたのは、競争がなさすぎたためだ。既得権者たちが談合して様々な資源を食いものにしたために、日本経済も国民生活も停滞した。そこに競争を持ち込んで、活力を取り戻すのが構造改革のねらいだった。競争の結果として、勝者と敗者が生まれるのは当然の結果である。

このような議論から見ると、競争の敗者が生まれて格差が拡大することは、最初から想定されていた、ということになる。

しかし、社会の活力を維持するためには、競争に敗れた人々が再びチャレンジできる仕組みが整っていることも重要だ。

一度、倒産すると事業家が再び起業するのは難しい。また、教育や職業訓練にもお金がかかるので、低所得者の子供は良い職業につけない。これでは、格差が世代を超えて固定化し、社会の活力は失われてしまうだろう。

したがって、格差の固定化は避けなければならない。だが、そのために重要なのは、政府の格差是正策だけではない。

たとえば、重要なのは金融の機会だ。倒産した企業家や低所得者は、適切な条件で資金を融通してもらえれば、再挑戦して立ち直ることができる。現在、借金苦に陥っている低所得者が多いことは、金融の機会が十分でない、という問題を示しているのだ。

市場のゆがみ直し、弱者に配慮を

格差を問題視する議論も、問題でないという議論も、それぞれに大きな落とし穴がある。

格差を問題視する人は「行き過ぎた競争が悪い」と考えがちだが、それは間違いだ。真実は、競争が既得権者によって「ゆがめられている」からこそ格差が開くのだ。

例として、住宅の賃貸借を考えよう。弱者である借家人の権利を守るために、借家の貸手の権利は、戦後、大きく制限された。

規制の結果、たしかに借家人の生活は守られたが、普通の人が家を貸すことも激減した。家を一度貸すと、賃貸を解消するのが極端に難しくなったことが一因だ。

その結果、借家の供給数が減り、家賃が高騰して、結果的に借家人の経済的負担は大きくなった。さらに、新規に家を借りようとする人は、非常に借りにくい状況が定着してしまった。

一方、賃貸アパートや賃貸住宅を専門に扱う大手の業者は、家賃の高止まりによって長年にわたり大きな利潤を手に入れてきた。

つまり、弱者救済のために競争を制限した結果、一部の既得権者を利する結果になったのである。

しかし、人は格差が生まれるのは競争のせいだ、と考えがちだ。そのため、古今東西、あらゆる国で、格差是正のために企業間の競争(個人間の競争ではなく!)を制限する政策が導入されてきた。しかし、それらの政策の多くは、当の低所得者たちを含む国民生活全般を悪化させたのである。

一方、格差は問題ない、という論者は、格差拡大が政治を動かす力をみくびる、という間違いを犯しているのかもしれない。

競争の敗者や弱者が結集すれば、大きな政治力になる。1930年代に世界恐慌が起きたとき、失業者や貧困層が急増した。日本を含めて多くの国で市場経済を否定する政治体制ができたのは、彼らが政治を動かしたからだ。

現在の日本は、景気回復期でもあるため、格差問題が大きな政治力を結集するとは考えにくい。しかし、いまから冷静に市場競争の犠牲者を救済するルールを考えておかなければならない。

景気回復の果実を弱者にも公正に分かち合わなければ、経済的弱者を中心に、社会の中に不満や絶望感が高まる。いずれは市場経済を否定するような大きな政治的うねりを引き起こすことになるだろう。その結果、市場競争が制限されれば、結局、一部の既得権層だけが利益を得ることになる。

こうした落とし穴に陥らずに格差是正策を考える際のポイントは2つだ。第1に、企業間の競争は制限すべきでないということ。第2に、企業ではなく、個々人を救済するべきだということだ。再教育や訓練など、個々の人間の可能性を開花させることが重要なのである。

2006年2月27日「朝日新聞」に掲載
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2006年5月19日掲載

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