ディベート経済 「小さな政府」は支持された?

小林 慶一郎
研究員

衆院選は、郵政民営化を突破口に改革を進める、と主張した小泉自民党が圧勝した。これは、「小さな政府」路線が国民に信認されたことを意味するのだろうか。

社会保障費が財政を圧迫

小泉首相は選挙の演説で、「郵政民営化すれば公務員の数が減る。その方が国民の皆さんも良いでしょう」と繰り返した。この主張が有権者に支持されたのか、という問題はあとで論じたい。

まず問題にしたいのは、公務員の数を大幅に減らせば行政サービスの縮小をもたらす可能性があることだ。これまで国民が享受していた行政サービスが減少する、という意味で、「小さな政府」は国民に負担を求めることでもある。

こうした「小さな政府」路線が必要な理由は、周知の通り、日本の財政の不均衡である。つまり、政府が770兆円という巨額の債務を抱え、税収などの歳入だけでは歳出を賄い切れない状況が恒常化している。

財政の収入のバランスを回復するためには、増税して収入を増やすか、公務員や公共事業を減らすなどして歳出を削減するか、あるいは、その両方を行うしかない。

財政の不均衡がひどくなったのは、90年代の長期不況で景気対策を続けたことが大きい。しかし、それだけなら景気が回復すれば財政も回復するだろう。問題はそれだけではない。年金などの社会保障関係の支出が毎年3兆円ずつ膨張するトレンドが続いている。それが財政を圧迫しているのである。

社会保障費の膨張に財政が耐えられなくなる、という問題は、70年代には先進国で深刻化していた。この福祉国家路線の行き詰まりに対応するために、80年代に米国のレーガン政権、英国のサッチャー政権による「小さな政府」路線が台頭してきたわけである。

日本も、中曽根政権の行財政改革のように、80年代には「小さな政府」に舵を切ろうとした。それがバブル崩壊後の不況で中断し、20年遅れでようやく再び表舞台に上がってきた、というのが現状だろう。手厚い社会保障制度のコストが財政を圧迫し、経済を非効率にする。この問題に対する1つの答えが、「小さな政府」ということになる。

「大きな政府」で弱者救済を

小泉首相の路線は、政府を小さくし、腐敗をなくし、民間の競争を活発にして経済を効率化しよう、という考え方だ。

総選挙で、小泉首相に反対する人々が問題にしたのは、経済競争に敗れた弱者の救済だった。

財政の不均衡が大きいのは、社会保障給付が税収に比べて大きすぎるとも言えるが、見方を変えれば、税収が少なすぎるからとも言える。社会保障の水準を維持しても、税などの国民負担を大きくすれば財政をバランスさせることは理論的には可能だ。

小さな政府になれば、福祉は削られ、助けを必要とする弱者はますます苦しくなる。蓄えの少ない高齢者や長年正規雇用の機会に恵まれなかった人、障害者などの弱者は、何らかの財政的支援がないと競争社会で生活できない。

また、小さな政府が福祉の水準低下を意味するならば、総選挙で「小さな政府」路線が信認されたとは、必ずしも言えないかもしれない。選挙後に朝日新聞が行った世論調査によると、年金や福祉問題への取り組みを求める声が6割に達する一方、財政再建を求めるという回答は16%にすぎない。国民の多くは、福祉などを切り詰めて財政再建を最優先するより、年金制度や福祉の立て直しと維持を望んでいるのかもしれない。

小泉首相の市場主義的思想に対立する社民的な立場を代弁すれば、次のようになるだろう。

市場競争は、自由さえあれば民間企業が進めていくことであり、政治がわざわざ競争を促進する必要はない。むしろ、競争の結果、敗れた人や、大企業など強者の力によって搾取された弱者を助けるのが政治本来の役割である。

こうした考えに立てば、社会保障の水準を維持し、大きくすることを第1の目標とすべきだという「大きな政府」路線をとることになる。

また、この立場は財政についてあまり明確に言わないが、増税など国民負担を大きくすることで財政再建をするしかない。

財政再建にらみ、選択は今後の課題

3つの観点から、小泉路線が圧倒的に支持された理由を考えることができる。

第1に、社民、共産などの「大きな政府」路線が支持を広げなかったのは、政策提案が財源についての具体性を欠いたものだったことが大きな原因だと思われる。

福祉の水準を維持拡大するためには、相当な増税が必要なはずなのに、どの政党もその点は詳しく触れていなかった。大企業や大金持ちだけに課税すればよい、という主張もあったが、それで足りるとは思えないし、経済全体への影響を考えると、有権者にはかなり非現実的に見えたはずだ。

与党も増税には触れなかったが、歳出を減らして財政の持続可能性を回復する、という方向性は明確な印象を与えた。

第2に、バブル崩壊後の不況の反省も大きいのではないだろうか。

政治がしっかりしなくても、銀行や大企業は大丈夫だ、というそれまでの常識は、バブル後の長期不況で崩れた。政治が公正な市場ルールを整備しなければ、市場経済も腐敗し、非効率化する。不良債権問題や経済の低迷は、そのことを有権者に強く印象づけた。

つまり、「市場競争には政治は関与すべきではなく、競争に敗れた弱者を救うのが政治の役割だ」という旧来の考え方は成り立たない時代になったということである。公正な市場競争を実現するために、政治が大きな役割を果たさなければならなくなった。

構造改革で経済が効率化すると所得格差が開く、とよく言われるが、それは長期的には正しくない。19世紀から20世紀にかけて、先進国では労働効率が向上したために格差が縮小し、庶民の生活は豊かになった。弱者の取り分を増やすためにも、経済を効率的にする必要がある。

第3に、弱者救済を訴える勢力が必ずしも真の弱者を代表していないかもしれない、という点だ。

従来型の政治(公共事業や規制による競争制限)の受益者は、地方の建設業者や労組などだった。こうした既得権益層は生活に困窮した真の弱者とは言い難い。むしろ、地域社会や雇用の場での強者と見なされるべき存在だ。

今回の選挙で反小泉陣営が求めていたのは「弱者救済のふりをした(強者の)既得権保護だ」と有権者が考えたからこそ、支持が広がらなかったのではないか。

市場をより競争的でフェアなものにする改革は支持を得たが、一方、「真の弱者」を救済する必要性も否定されたわけではない。

ただ、目の前に「財政」という難問がある。これを解決する方向性として、主に歳出を削る小さな政府路線にするか、主に税負担を増やす大きな政府路線にするか、という問題は、まだこれからの選択肢といえるのかもしれない。

2005年9月26日「朝日新聞」に掲載
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2005年10月19日掲載

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