日本の1人当たり国内総生産(GDP)は主要7カ国(G7)の首位から最下位へ転落し、経済力で大差をつけていた国々にも次々に追い抜かれ、世界34位まで後退した。この20年あまりで日本は成長のロールモデルから、停滞の教訓を学ぶ対象へと変わった。

出生率低迷で労働人口は減り、婚姻率が低下して家族のあり方も多様化した。人々の価値観と行動規範、労働市場や社会経済環境が変化し、世界で技術革新が進むなかでも日本の政策のアップデートは遅く、成長から取り残されている。
変化に背を向け、場当たり的な政策を繰り返しても持続的な成長は望めない。時代遅れの政策は経済活動の足かせとなり、構造的な成長を妨げる。持続的成長を実現するには、長期的視点に基づく転換が必要だ。
人口減少が続く中、一人一人の生産性が向上しなければ経済は衰退する。女性や高齢者の労働促進は重要だが、彼らの参加率はすでに高い。労働参加率を高める努力だけでは、持続的な成長につながらない。
男女賃金格差の是正や労働移動の円滑化といった、各自の生産性を高める環境整備も必要だが、それだけでも持続的な成長に至らない。個人や企業の成長意欲を妨げる障壁を取り除き、人的資本への投資とスキル底上げの加速が必要だ。
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米ハーバード大学のクラウディア・ゴールディン教授とローレンス・カッツ教授らは、20世紀後半まで米国が力強い経済を維持した要因として、1930年代に他国に先駆けて高校教育を義務化し、人的資本を底上げした点を指摘する。
高スキル人材が潤沢に供給されたことで、技術の発展が格差を広げることなく豊かさをもたらした。しかし教育水準の底上げが停滞しスキル向上が滞れば、80年代以降の米国のように技術革新が格差拡大を招き、経済成長の恩恵は共有されずに富の集中が進む。
日本では中等教育が義務化されたのは戦後で、80年を経た今も同じだ。高校進学率はほぼ100%だが、高校・大学の進学準備は親の経済力に依存し、教育の時間的・金銭的負担は増加している。大学進学率は約60%で、親の学歴や所得、地域の所得水準と強く相関する。格差は世代を超えて連鎖し、社会を分断する。
大きな変化になるが、日本は高校を義務教育化し、希望すれば誰もが大学などの高等教育を受けられる環境整備を目標に掲げてもよいのではないか。ICT(情報通信技術)を最大限に活用し、効率的な単位互換を促進するなど国を挙げて後押しする価値がある。
厳しい人手不足の中で教育年限を延ばし就業を遅らせることは、一見矛盾に見えるかもしれない。しかし日本は大学進学率が上昇する中でも、平均労働年数は増加している。生涯を通じた生産性と収入が高まれば、マクロの労働力と個人の生涯所得も向上する。
むしろ人手不足を理由に、賃金上昇が期待できない仕事に若者を就かせることは個人にも経済全体にも損失だ。介護や医療を中心とする人手不足が深刻な分野では、政府が代替技術への重点的投資を主導することが理にかなう。個人の所得成長、マクロの労働力強化、社会保障支出抑制、いずれの観点からも重要だ。
技術発展に伴い高スキル人材への需要は高まり、人材供給の停滞は賃金格差を拡大させる。外国人労働者の受け入れ拡大も議論されるが、日本の平均的な大卒賃金で十分な数の高スキル人材を呼び込むのは難しい。流動性が高いのは高スキルの日本人も同様だ。所得再分配を過度に強化すれば、人材の海外流出やスキル投資意欲の低下を招く。
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低所得層支援や老後の安心は重要だ。しかし日本で平均資産が最も多いのは高齢者、貧困が深刻なのは20〜50代の若年層だ。勤労世帯に税を課し、豊かな老後に公費を注ぐことは日本の最優先課題ではない。低所得層支援を掲げて繰り返す住民税非課税世帯へのバラマキは大半が裕福な高齢者に届き、格差を拡大する。
貧困層の支援は生活保護など本来のルートを通じて対象を絞るべきだ。生活保護がうまく機能しないなら解決策は高齢者を含むバラマキではなく、制度の整備だろう。一刻を争う新型コロナ危機時の一律給付金には一定の意義があった。しかし、貧困に陥り救済が必要な人を把握しておく必要性を痛感して5年経た今も、焦点のぼやけたバラマキを続けるのはなぜか。
経済の構造的な停滞は経済危機とは異なる。経済対策と称し膨大な行政コストを伴う給付や補助を乱発し、成長を祈るのは無責任でしかない。一時的な政府支出や消費の増加はむしろ持続的な成長を阻害する。
なぜか。平時の給付金で所得が一時的に増えた国民は消費を拡大し、生産者も恩恵を受けるのは確かだ。しかしその原資となる増税が先送りされる中、需要増に供給が追い付かなければ価格が上昇する。突発的な給付による需要増では、企業が長期的な生産増強や雇用拡大に踏み切るインセンティブは生まれない。
翌年には所得が元に戻るだけでなく、先送りされた課税で将来の手取りが減るため消費は先細る。企業は需要減を見越して生産を縮小し、変則的な給付に伴う事務コストも税負担を増大させる。今日のバラマキは明日の増税であり、将来負担の増加は投資意欲をそぐ。結果として生産力は低下し、成長は鈍化する。
神頼みの政策を繰り返せば長期的な停滞を招くだけだ。成長に結びつかない政策が出るたび将来負担が増し、政府債務の行方はますます不透明になる。本来、政策の役割は不確実性を減らし、安心して投資や消費をできる環境を整えることだが、日本では政策そのものが不安材料だ。
高齢化しているから仕方ないのか。1960年の国民年金開始以降、平均寿命は20年延びたが支給開始年齢は65歳のままだ。寿命の延びを支えたのは健康状態の改善で、60代後半の労働参加率は男女合わせて50%を超える。一方で社会保険料は所得の約30%に達している。問題は高齢化そのものではなく、社会変化のスピードに制度が追い付いていない点ではないか。
持続的な経済成長には、労働者と企業の生産性を高め、生涯所得と生産を増やす以外に道はない。政府が企業に賃上げを求めても成長は続かない。それよりも焦点を欠いた給付や思いつきの政策をやめ、働く意欲や所得成長の壁を取り除くほうが効果は大きい。
確実な成長分野や将来のユニコーン企業を政府が予測することは不可能だ。人的資本投資を通じて国民全体のスキルを底上げし、人々や企業が自律的に成長の源泉を見いだせるよう後押しすべきだ。古い価値観や慣行に縛られた経験則を指針にせず、多様性を尊重し、挑戦を促し、失敗を受け入れる環境が必要だ。
これは政策に限らず、企業や大学を含む教育・研究現場にも当てはまる。多様な個人のスキルと生産技術が自由に伸びる環境なくして持続的な成長はない。
2025年1月9日 日本経済新聞「経済教室」に掲載