新型コロナウイルス禍は正規・非正規や男女間など、様々な格差と分断を改めて浮き彫りにした。
世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数で、日本は156カ国中120位、先進国では圧倒的な最下位だ。基準4項目のうち教育・健康分野では高スコアだが、経済・政治参加の低スコアが致命的だ。健康で高い教育を受けた人的資本が生かされていない。
市場で効率的な資源配分が阻害される場合、政策が効果を発揮しうる。実現可能性はさておき、今の日本で男女別の最適税制を考えれば、女性の所得税率引き下げや女性の労働参加への補助金支給が最適となるだろう。だが実際は正反対で、多くの女性の就業と収入増には実質的な重いペナルティーが課され、特に既婚女性へのゆがみが大きい。
年収を「103万円の壁」の手前に抑えれば所得税はかからず、配偶者控除で夫の所得税も軽減される。同じ基準で配偶者手当を支給する企業も多い。夫が社会保険に加入していれば、年収を130万円に抑えることで第3号被保険者として年金・医療・介護保険料の支払いが免除される。壁の手前から壁を越えることで世帯の手取りは増えないどころか激減する。
年収130万円以下でも夫が社会保険非加入であれば、第1号被保険者として保険料支払い義務がある。低所得や無職の単身者も同様だ。負担は重く国民年金保険料未納率は20代後半で30%を超える。未納を続ければ老後は無年金だ。支払い免除の第3号被保険者の場合、基礎年金に加え夫の死後は夫の厚生年金報酬比例部分の4分の3が支給される。女性の厚生年金平均受給額は平均的な所得の夫の遺族厚生年金より低い。制度が作る壁の帰結だ。
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四大進学率は男女とも50%を超え、労働市場参入当初は雇用形態・賃金とも男女間で大差ないが、結婚や出産を機に男女格差が決定的となる(左図参照)。多くの女性が壁を前に就業調整を行い、20~30代で急減する正規雇用の割合はその後上昇せず、復職の大半は非正規雇用だ。
ゆがみの弊害は個人レベルにとどまらない。筆者と東大大学院の御子柴みなも氏は、女性参加による中長期的なマクロ経済・財政への影響を試算した。女性の参加は成長を促し財政収支を大きく改善させるが、雇用形態や賃金に変化がなければ大半の効果は消える。
非正規賃金は平たんで経験を積んでも所得増は期待できない(右図参照)。多くの女性が103万円や130万円の壁の手前でブレーキをかければ税・社会保険料も増えない。さらに景気変動のショックに見舞われると非正規社員が雇用の調整弁とされることは、金融危機やコロナ危機後の分析でも明らかにされている。
結婚と出産がその後の生涯にわたる収入減と所得リスク増と引き換えなら、女性の教育水準向上と機会費用の上昇に伴い家族形成のハードルが高まるのも当然だ。年間出生数は過去5年で16%減少し、20年には約84万人となった。この減少ペースが続けば30年後の出生数は現在の3分の1となる。婚姻率も低下を続け、生涯未婚率は男性26%、女性16%だ(20年国勢調査)。
高度成長期の典型的な家族形態はもはや標準的ではなく、旧来の家族構成と家庭内分業を前提とした昭和の制度は様々な弊害をもたらす。多様な個人の生き方やライフステージに対応できる労働市場の流動性と、個人の経済状況に配慮した税・社会保障制度が必要だ。
出生数の激減で生産年齢人口も急減する。社会保障支出増と税・社会保険料の収入減は確実に訪れる。財政問題、格差拡大、生産性低迷など、手遅れになりかねない課題が多い。日本の格差は米国のような起業家への富の集中が原因ではなく、高齢化要因を除けば制度の壁がつくる分断の影響が大きい。
正社員を支える終身雇用は崩れつつあるが、賃金カーブのピークに差し掛かる50歳前後の団塊ジュニアを支えきれるのか。団塊世代がすべて後期高齢者となる25年以降、痛みとともに様々な慣行や制度の綻びが露呈しだすだろう。そうなる前にできることは何か。
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第1に労働市場の流動性を阻害し、就業意欲や所得増を妨げる制度の壁を取り除く。第3号被保険者制度など急な見直しが困難でも段階的縮小の道筋を示す。
正規・非正規間の壁をなす社会保険適用の差別をなくす。企業規模や賃金の多寡を問わず、全ての労働報酬から定率で社会保険料を徴収し、生涯を通じた保険料支払いに応じた年金支給額を保証する。厳しい財政状況と公平性の観点から、支払い能力のある全ての人から最低限の保険料を徴収することも必要だろう。低所得層の負担増や引退後の経済格差、労働意欲に与える影響のバランスを考慮し支給額の累進性を定める。
企業の退職金など長期雇用にひもづく諸手当も縮小し、雇用者全体の賃金に反映させるのが望ましい。
第2に流動性の上昇に伴い、失業や所得減に直面する人を保護するセーフティーネット(安全網)の整備が必要だ。特に若年層には重点的に職業訓練を施すなど、使いやすい就業支援の仕組みを確立すべきだ。
セーフティーネットが未整備であれば、マクロ経済の危機対応能力や成長に不可欠な構造変化も阻害される。企業の破綻や新陳代謝が個人の長期失業と困窮を意味するなら、どんな企業も救済するほかない。植田健一・東大教授らの研究は、コロナ危機で導入された企業支援の利用企業は、もともと業績の悪い企業が多かったと指摘する。
コロナ後の回復局面では成長に必要な新陳代謝を阻害せず、支援の必要な人を保護しつつ、成長産業での雇用増に重点を移したい。
正社員を解雇できず、非正規社員を調整弁にする慣行の見直しも不可避だ。企業の解雇規制を緩和し、正規・非正規を問わず賃金と勤続年数に応じた補償金の支払いを義務付け、解雇の痛みを分かち合う。政府が全力で就業を支援する。
最後にあらゆるライフステージの人に開かれた採用市場を実現するため、年齢・性別・婚姻状況などの属性に関する質問、これを根拠にした採用を禁じる。求められれば採用や昇進の根拠の説明を義務付けるくらいの踏み込みが必要だ。
出生率低下は多くの国が直面する複雑な課題でシンプルな処方箋はない。ただし結婚・出産による賃金頭打ちと生涯所得の激減は、労働市場の流動性改善により是正できるだろう。
マクロ経済の中長期的な展望も出生に影響を与えるだろう。財政負担の先送りや格差拡大は将来の暮らし向きの悪化を意味し、子供の幸せを願う人に出産をためらわせる。将来世代に資する政策に向き合うことは、目下の社会経済問題の解決にも寄与する。
かつてはうまく機能していた政策や慣行が、環境変化により成長と分配の足かせに転じることもある。世代間・世代内の断絶を招かないよう国民への丁寧な説明をして、成長を阻む壁を取り除くことが急務だ。
2022年1月7日 日本経済新聞「経済教室」に掲載