米国・中国対立の文脈で施行された経済安全保障関連の政策は関税引き上げから始まり、ハイテク関連製品の輸出管理強化による技術のデカップリング(分断)、重要鉱物の輸出規制、半導体や電気自動車(EV)をめぐる産業政策へと範囲を広げている。いくつかは既存の貿易規範に反する形で導入されており、ルールに基づく国際貿易秩序の弱体化が始まっている。
今後も安全保障を名目に規制がさらに強まる可能性もある。しかし米中とも世界経済を二分するだけの力はない。中立を保つ広大な第三国地域は存在し続ける。中国経済の「切り離し」も部分的なものにとどまり、西側と中国の間でもかなりの規模の貿易・投資が続いていくと考えられる。
日本のようなミドルパワーは、米中対立を止めるのは難しいとしても、対立による規制の外にある経済圏では自由な経済活動を維持し、通商ルールを存続させていかねばならない。
一つの課題は、規制の下に置く経済と、自由な経済活動に任せる経済との間の柵(fence)をどこまで明確にできるかにある。中国との貿易・投資に関しては、現在や将来の政策に関する不確実性が、経済活動を必要以上に萎縮させている可能性がある。
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筆者は慶大の安藤光代教授、日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア経済研究所の早川和伸氏とともに、米国等によるハイテク関連製品の輸出管理強化に伴う貿易への影響について実証研究をした。数次にわたる措置による対中輸出の減少はごく細かい品目レベルに留まり、マクロあるいは産業レベルの影響は微少だということが分かった。
一方、2月に発表された中国の国際収支統計ベースの対内直接投資(ネット)は2023年に前年比82%減(暫定値)だった。中国から大量の企業撤退が起きた形跡はないが、外からの新しい投資は大きく落ち込んだ。背景には中国経済の減速もあるが、中国の投資環境や、今後の輸出管理の拡大に関する不確実性などから、貿易より先に投資に影響が出ているのかもしれない。
日本では経済活動の中国依存をなるべく減らすべきだとの声も強い。ただ中国市場ビジネスあるいは中国企業との連携を完全にあきらめるということでないなら、規制されるべき経済とそれ以外の経済とをどこかで切り分ける必要がある。
日本政府は米国政府との対話を踏まえつつ、できる限りはっきりと境界線を示し、日本企業が過度に萎縮しない環境を整えたい。欧州連合(EU)等とも連携し、経済安全保障関連の政策が既存の通商ルールの枠内に収まるよう努力していく必要がある。
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第三国はどのような状況にあるのか。機械産業を中心とする国際的な生産ネットワークに深く関与している東南アジア諸国連合(ASEAN)を見てみよう。
ASEAN諸国は米中どちらの陣営にも属さない中立的立場をとる。経済的にはどちらとも緊密な関係を維持し、うまく立ち回っている。18年から始まった米中間の関税戦争ではベトナムを筆頭に「正の貿易転換効果」を享受し投資を呼び込み、対米輸出を増加させた。20年からの新型コロナウイルス禍では、当初の感染拡大防止に一定の成果を上げ、軽微な経済の落ち込みで危機をやり過ごした。
ハイテク関連の輸出管理強化では、米国は第三国から中国への輸出の一部も対象としているが、ASEANで輸出を阻害されたものはなかったようだ。ASEAN全体としては堅実に年率4〜5%の経済成長を達成している。
図はASEAN諸国の輸出入の相手国別比率を示したものだ。22年、ASEAN全体では中国(香港・マカオを含む)のシェアは輸出側21%、輸入側24%。日本およびその他西側諸国・地域(米国、EU、韓国、台湾)の合計は輸出側37%、輸入側35%であった。
後発4カ国(カンボジア・ラオス・ミャンマー・ベトナム)では輸入側の中国シェアが特に大きい。またベトナム・インドネシア・タイ・マレーシアでは、中国のシェアは輸入側が輸出側より大きい。中国が部品・中間財の供給基地としての性格を強めているためだ。貿易におけるシェアだけで経済関係の深さが測れるわけではないが、ASEAN諸国が中国・西側の双方と深い経済関係を結んでいることは確認できる。
時系列の変化で目立つのは地域の大国インドネシアで、14〜22年に中国シェアが輸出で12%から22%、輸入は18%から28%へと急上昇した。西側諸国のみならず中国にとっても、ASEANは企業の進出先として最も安心できる場所である。ASEANでも中国の存在感の急拡大には懸念を抱いており、各国首脳もしばしば西側と経済関係を深めてバランスをとりたいと発言している。
ASEANにとってルールに基づく国際貿易秩序は極めて重要なはずだ。しかし、規律の緩みはここにも及んでいる。世界貿易機関(WTO)の紛争解決の第2審・上級委員会はトランプ前政権以降の米国が委員の選出を妨げ、委員がゼロとなってしまい機能を停止している。第1審のパネルで結論が出ても、どちらかの国が上級委員会に上訴すれば審理が止まってしまう事態に陥っている。
この「空上訴」案件は23年末までに24件積み上がり、インドネシアのニッケル輸出禁止など重要なものも含まれる。WTOに持ち込まれる紛争案件数自体が20年以降、1ケタとなっていることも懸念材料だ。
WTOの規定も、経済理論に照らして厳密に検討すれば問題もある。しかしWTOルールがあるからこそ一定の国際貿易秩序が保たれている。まずは危機に陥っているWTOを助けるため、ミドルパワーとASEANの協力を深化させていかねばならない。
また、EUが先導して立ち上げた多国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA)は、一時的に上級委員会の代わりを果たすことを目的とする仕組みであり、日本も23年3月に参加を表明した。ASEANではシンガポールだけが参加しているが、他の国々にも声をかけていくべきだ。
ASEAN諸国は先進国になりたいとの強い願望を抱いており、そのためには国際ルールの受け入れも辞さないとの姿勢も示している。インドネシアは経済協力開発機構(OECD)入りを目指している。24年2月に加盟協議開始が決定され、タイも6月に加盟協議国として認定された。
インドネシアは環太平洋経済連携協定(TPP)への参加にも強い関心を表明している。日本としても是非応援すべきだ。
世界では地政学的な緊張の中でも、引き続き活発な経済活動が展開されている。日本企業も過度に萎縮せず経済面の関与を続けていくべきだ。ミドルパワーと開明的なグローバルサウスの一部が連携して、ルールに基づく国際貿易秩序を支えていくことが求められる。
2024年7月18日 日本経済新聞「経済教室」に掲載