経済論争 この10年

08 その役割

小林 慶一郎
RIETI研究員

これまで見てきたように、経済論争の対立には、論者の価値観の対立が色濃く反映している。

そして、その価値観の対立の根元には、「バブル崩壊以降の長期不況の時代とは、いったいなんだったのか」という歴史観の違いがあったのではないか。

今日の長期不況を、1930年代の大恐慌の再来と見るのか、それとも、人類が経験したことのない新しい現象だと見るのか。

もし、大恐慌の再来なら、たくさんの処方箋が経済学の教科書に載っている。日本の不況に対しても、これまで経済学に蓄積された既存の処方箋を引っ張り出して、そのまま使えば良いということになる。既存の処方箋とは、公共事業などの財政政策や、日銀による金融緩和だ。

したがって、日本の不況も大恐慌の変種に過ぎない、という歴史観に立てば、「財政政策や金融緩和を、効果が出るまでやればよい」という議論になるだろう。

特に、米国の経済学者には、日本の不況について、大恐慌との類似点から論じる人が多い。

日本の経済学界では、米国の著名な経済学者に非常に高い権威がある。そのため、経済論争でも、米国の学者の議論がうのみにされやすい風土がもともとあったのだろう。

デフレを問題視するインフレターゲット論も、米国の著名経済学者が言い出したことが引き金となって、日本の論壇で爆発的に支持者を増やした。

しかし、今日の長期不況を、人類が経験したことのない新しい現象だとする歴史観に立てば、違った見方もとれるだろう。

巨額の不良債権が際限もなく先送りされ、名目金利ゼロの状態が何年も続くような状況は、今回の日本の長期不況しかない。これまで経済学が想定してこなかったことなのだ。もし、この不況を大恐慌とは異なるものだと考えるならば、処方箋も新しく考えなければならないかもしれない。たとえば、不良債権処理を重視する考え方も、今回の不況に特有の性質から出てきたと言ってよいだろう。

話は経済政策を超えて、政治体制にも及ぶかも知れない。30年代の大恐慌を世界が初めて経験したとき、恐慌への答えとして出てきたのが、ファシズムや共産主義によって、市場を否定し、恐慌の根を断つことだった。

今日の世界経済を見渡してみると、バブルの発生と崩壊、しつこい不良債権問題、金融危機などの問題は、日本だけでなく、世界各国で頻発している。

日本の長期不況をどのように解決するか、ということは、世界各国が直面するこうした経済状況にどう対処するか、という問題への答えでもある。

バブルの狂騒とその崩壊後の長期低迷は、憂うつで、愚劣な出来事の多い時代だったかもしれない。多くの論者が「とにかく、政府か日銀が景気を回復させてくれ」といらだつのも分かる。

しかし、それでは日本経済は愚かな経験をした、で終わってしまう。日本の長い不況が持つ歴史的な意義は何だったのか。それを明らかにするのも経済論争の役割ではないだろうか。

2004年4月19日 『朝日新聞』に掲載(全8回)

2004年4月27日掲載

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