最近の経済論争で最大のテーマはデフレ(物価下落)だろう。
日本のデフレは、卸売物価などでは、90年代半ばから始まった。
デフレという言葉は、いまでは不況(モノが売れなくなり、失業や倒産が増えること)とほぼ同義で使われている。90年代後半以降の長期不況の原因はデフレだ、という主張も繰り返される。
しかし、価格の下落が不況を引き起こすことは、自明なことではない。
90年代前半は、日本経済の高コスト構造が問題視されていた。物価の低下は、日本経済の体質改善の結果だ、と歓迎されたのだ。「価格破壊」は経済にとって良いことだ、と多くの人が考えていた。
現に、いまでは地価が下がり、優良な不動産が低価格で購入できるようになった。デフレのおかげで日本人の生活が改善された面もあることは、認めなければならないだろう。
最近あるアメリカの経済学者が調べたところでは、過去100年間に主要国で発生したデフレ73回(世界恐慌を除く)のうち、不況を伴ったケースは8回しかなかった、という。
では、デフレ悪玉論の主張はどうだろうか。
90年代末以降、デフレ・スパイラルが喧伝された。物価が下がって企業の利益が減ると、国民の給与所得が減って、ますますモノが売れなくなる。その結果、もっと物価が下がる、という悪循環に陥る。これこそ不況のメカニズムだから、不況を脱却するには、デフレを止めなければならない。これがデフレ悪玉論である。
この議論は一見、分かりやすく聞こえるが、変なところもある。
たとえば物価が下がれば買い手が増えて、売上量も増えるはずだ。買い手が一定額の資産を持つとき、物価が下がれば、その資産で買えるモノの量が増えるからだ。その結果、企業の利益も増える可能性がある。
実際、統計でみても、価格が下がった産業で利益が増えている例がある。デフレが起きれば必ず不況になるとは限らないのだ。
もちろん、デフレが止まらなくなるケースもある。それは、企業や銀行が多額の借金を抱えている場合だ。デフレが進むと借金の実質負担が重くなるため、経済活動が過度に収縮してしまうからだ。1930年代のアメリカの大恐慌で起きたと言われる債務デフレーションである。
債務デフレのスパイラルは経済にダメージを与えるが、それはデフレだけが悪いのではなく、不良債権問題とデフレが重なったときに起きる。不良債権とそれに関連する構造問題が、悪循環の核にあることを見逃してはならないだろう。
不況の原因はデフレだとする議論は、ここ数年、多くのエコノミストや評論家に熱烈な支持を得てきた。これにも、やはり論者の価値観が入り込んでくる。
デフレが悪いなら、不良債権は不況と関係がないことになり、責任を論じる必要もなくなる。銀行や企業はデフレの被害者であり、自力で何とかしなくても、政府・日銀に救済してもらう当然の権利がある、ということになる。
デフレ悪玉論を冷静に学術的な説として唱える論者もいるが、多くの人が熱烈に支持する理由は、この議論が、誰にとっても居心地の良いものだからではないだろうか。
2004年4月14日 『朝日新聞』に掲載(全8回)